鶴牧藩
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鶴牧藩(つるまきはん)は、上総国市原郡椎津村(現在の千葉県市原市椎津)を居所として、江戸時代後期から廃藩置県まで存続した藩。1827年、水野氏が1万5000石で入封した。
注釈
- ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
- ^ 忠清の四男・水野忠増は分知を受けて大身旗本となった[1]。忠増の子が忠位である。
- ^ 「水野家が城主格になった頃、あるとき江戸城で狼煙が上げられたが、その時に煙の中から折鶴が水野家江戸藩邸に落ちてきた。このことを記念して城を鶴牧城と命名した」といった命名伝承も語られている[6]。
- ^ 陣屋所在地の小字名は「鶴牧」で[2]、少なくとも大正期には城のあった場所が「鶴牧」の小字名と呼ばれている[7]。『上総国町村史 第一編』(1889年)では小字名は「鶴舞」と記されている[8]。
- ^ 『上総国町村史 第一編』(1889年)では小字名は「鶴舞」と記されている。
出典
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百三十一「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』pp.848-849。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『房総における近世陣屋』, p. 56.
- ^ a b c d e “鶴牧藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 川名登. “鶴牧藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e f “和田代官所”. 日本歴史地名大系. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 707.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 704.
- ^ 『上総国町村史 第一編』, 81/83コマ.
- ^ a b c “椎津村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月13日閲覧。
- ^ a b “鶴牧県”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “姉崎町(近代)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 千葉県編『千葉県誌』(1919年)によれば1万6939坪[2]。.
- ^ 『房総における近世陣屋』, p. 2.
- ^ “椎津城跡”. 日本歴史地名大系. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “正坊山城”. 城下図鑑. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “千葉県市原市”. 余湖くんのホームページ. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 『房総における近世陣屋』, p. 55.
- ^ a b c “鶴牧藩日記”. 日本歴史地名大系. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百三十一「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.849。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第三百三十一「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.850。
- ^ “和田(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
- ^ a b c d “和田村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
- ^ a b “AN-03 鶴牧藩庁跡”. フィールドミュージアム. 市原歴史博物館. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “姉ケ崎村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月13日閲覧。
- ^ 山城喜憲 1983, p. 345.
- ^ 近藤啓吾 2009, p. 430.
- ^ 近藤啓吾 2009, p. 429.
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