富山藩
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富山藩(とやまはん)は、江戸時代に越中国の中央部(おおむね神通川流域)を領有した藩である。石高は10万石、加賀藩の支藩であった。藩主は前田家で、家名は松平出雲守、家格は従四位下・大広間詰・外様・準国主。藩庁は富山城(富山市)。家紋は宗家の剣梅鉢に対して丁字梅鉢紋を使用した。
- ^ 平凡社(1994年)『日本歴史地名大系 16 富山県の地名』富山市、p443
- ^ 『富山県の歴史』(1997年8月10日、山川出版社発行)152 - 153頁。
- ^ 在郷町の中でも加賀藩領においては高岡・魚津・今石動のように町奉行が差配した町もあった。
- ^ 朱印高が10万石であるのに対し、当初の家臣団の知行高を合わせると9万石に及び、幕末までに腐心して3万5千石を整理した。
- ^ a b c 坂井(1974年)第2章 富山藩の成立 p73-76、2.2.2 富山藩領域
- ^ 平凡社(1994年)『日本歴史地名大系 16 富山県の地名』大山町 p317
- ^ 富山県(1909年)『越中史料 巻2』532-535p
- ^ 平凡社(1994年)『日本歴史地名大系 16 富山県の地名』357p
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