黒部川とは? わかりやすく解説

くろべ‐がわ〔‐がは〕【黒部川】

読み方:くろべがわ

富山県東部流れる川。源を飛騨山脈中部鷲羽(わしば)岳に発し富山湾に注ぐ。上・中流は深い峡谷をなし、発電所が多い。上流黒四ダム人造湖黒部湖がある。下流扇状地には湧水多くある。長さ85キロ


黒部川

清水しょうず)湧く扇状地激流歴史刻む
黒部川は富山県富山市長野県大町市の境にある鷲羽岳にその源を発し3000m級の山々連なる立山連峰後立山連峰の間に黒部峡谷刻みながら流れ下っていきます山地抜けると黒部市愛本扇頂とする広大な扇状地北西流下し、途中左岸黒部市右岸入善町経て富山湾に注ぐ、流域面積682km2流路延長85kmの日本屈指の急流河川です。

黒部扇状地を流れる黒部川
黒部扇状地流れる黒部川

河川概要
水系黒部川水系
河川名黒部川
幹川流路延長85km
流域面積 682km2
流域内人約71千人
流域関係都県富山県

黒部川流域図
○拡大図
1.黒部川の歴史
"黒部川は全国有数急流河川であり、その激流によって侵食され土砂美し扇状地を形づくっています。かつて黒部川は扇状地縦横無尽流れ幾重にも川筋分かれていたことから、「四十八ヶ瀬」とよばれていました。現在でも、霞堤など「あばれ川」にすむ人々水害対す工夫随所見られます。"

 
黒部川のあらまし
北アルプス鷲羽岳(わしばだけ)(2,924m)を源流として富山湾(とやまわん)に向かってながれる黒部川は、我が国屈指の急流河川です。この黒部川流域日本有数年間降水量をほこり、山地部地形が非常に急峻であるため、激しく侵食され続けました。そして、その土砂により下流域には日本一美しと言われる広大な扇状地形成されました。
空から見た黒部川扇状地
空から見た黒部川扇状地
河床勾配比較図
河床勾配比較


産業支え水利用
黒部川扇状地では、豊かな河川水地下水利用した米作りや酒、醤油、みそ、かまぼこ飲料水などの食品産業が盛んです。また、中上流部は急勾配水力発電適した地形であり、大正時代終わり頃から電源開発が行われました。「くろよん黒部川第四発電所黒部ダム呼び名)」に代表される発電所からの豊富な電力背景に、アルミ産業発達しました。
奴奈川姫神話
観光放流中の黒部ダム


四十八ヶ瀬(しじゅうはちかせ)・いろは川
豊かな土壌育み暮らし潤い与える黒部川ですが、ひとたび豪雨となると「あばれ川」と化し多く人々苦しめてきました改修工事が進むまでは洪水のたびに氾らんし、川筋一筋定まらず幾筋にも分かれて流れていたことから、「四十八ヶ瀬」または、いろは四十八文字にちなんで「いろは川」と呼ばれていました。現在も各地残っている「両瀬(りょうせ)」「川端(かわばた)」「出島(でじま)」など、川に関する地名は、かつてその付近を川が流れていたことを物語ってます。
「従加州金沢至江戸道中図」(1751~63)と松尾芭蕉が1689年によんだ歌
「 従加州金沢江戸道中図(かしゅうよりかなざわいたるえどどうちゅうず)」(1751~63)と 松尾芭蕉(まつおばしょう)が1689年によんだ歌


激しい流れに耐える旧愛本堰堤(S44.8)
激し流れ耐える愛本(あいもと)堰堤(S44.8)
黒部川が田畑を飲み込む(S44.8) ~入善町福島での破堤の様子~
黒部川が田畑飲み込む(S44.8)
入善町福島(にゅうぜんまちふくじま)での破堤様子
2.地域の中の黒部川
"洪水や氾らんを繰り返してきた黒部川には川に関する歴史文化がいまでも根付いており、それを伝えいろいろな祭りあります。また野鳥多く訪れる「墓ノ木自然公園」や様々なスポーツ楽しめる中ノ口緑地公園」「黒部川公園」では多くの人が川とのふれあい楽しんでます。"

歴史文化伝え祭り
黒部川流域に住む人々は、洪水雪害にも負けず豊作長寿願っていろいろな祭り行ってきました

1.愛本姫社(あいもとひめしゃ)祭り
宇奈月町下立(うなづきまちおりたて)には、「お光(みつ)と大蛇」の伝説にゆかりのある愛本姫社があります毎年6月21日には、お光大蛇婚礼行列が行われ、名物のちまきも売り出されます。愛本姫社のご神体江戸時代浮世絵師池田英泉(いけだえいせん)が描いた花魁(おいらん)」の版画で、この版画ゴッホ模写したことで有名になりました祭りの日には、このご神体である「花魁」を見ることが出来ます
 愛本姫社祭り(お光と大蛇の婚礼) 愛本姫社
愛本姫社(あいもとひめしゃ)祭りお光(みつ)と大蛇婚礼愛本姫社(あいもとひめしゃ)


2.愛本新用水天満宮たいまつ祭り
愛本新用水完成して大喜びした農民が手にたいまつ持って用水沿いに水の流れ追って走ったのが始まりです。毎年10月5日夜にワラや竹でつくった長さ8m重さ450kgほどの大たいまつ2本に火をつけ、村落若者天満宮までかつぎます。
愛本新用水天満宮たいまつ祭り
愛本新用水天満宮(あいもとしんようすいてんまんぐう)たいまつ祭り


3. 墓ノ木(はかのき)タイマツ祭り
今から250年余り前の10月9日、黒部川の大洪水のとき堤防崩れてしまいました村人たちたくさんのたいまつを灯して、夜どおし堤防守ったのが墓ノ木タイマツ祭りの始まりです。現在、祭り10月13日変更され水神(すいじん)様に感謝豊作と息災を願って行われてます。高さ5m重さ200kgほどのたいまつ2本を「米つり歌」にあわせて新明社(しんめいしゃ)から約800m上流水神社(みずじんしゃ)まで運びます。大たいまつの前を子ども達の持つ小たいまつ群がって進みます
 墓ノ木タイマツ祭り
墓ノ木(はかのき)タイマツ祭り
3.黒部川の自然環境
"清流でもある黒部川の回りには、扇状地しみこんだが湧く湧水群があり、今も地域にくらす人々の生活密着しています。自然環境では、洪水で石だらけになった河原好んで生息するアキグミ」や水のきれいなところだけにすむ「トミヨ」など、急流清流の黒部川に適応した生き物見られます。"

清流黒部川
黒部川は全国でも有数清流で、「清流ランキング」でも常に上位位置してます。また、扇状地扇端部(せんたんぶ)には「全国名水百選」に選ばれ湧水群(ゆうすいぐん)があり、自然に湧き出る湧水のほか、井戸などから自噴する地下水見られます。特に黒部市海岸部生地(いくじ)地区多く見られ地元では「清水しょうず)」と呼ばれてます。これを利用した共同洗い場が今も残っていて、町内の人が管理し利用してます。
生地の共同洗い場:清水庵の清水
生地(いくじ)の共同洗い場清水庵(しみずあん)の清水(しょうず)


黒部峡谷(くろべきょうこく)
黒部峡谷長い年月をかけ、黒部川の激し流れによって削られ出来た深いV字峡谷です。峡谷には美しい自然が残っており、白竜峡(はくりゅうきょう)、十字峡(じゅうじきょう)、S字狭(えすじきょう)、奥鐘山(おくかねやま)、飛峡(さるとびきょう)などが国の特別名勝特別天然記念物指定されています。この美しい峡谷を楽しむために、毎年たくさんの人が黒部峡谷鉄道トロッコ電車)に乗り、この地を訪れます
後曳橋をわたるトロッコ電車
後曳(あとひきばし)をわたるトロッコ電車
S字狭
S字狭(えすじきょう):
黒部川がS字流れてます。
猿飛峡
飛峡(さるとびきょう):
サル飛び越えられるほど、黒部川で最も川幅が狭いところです。
4.黒部川の主な災害

発生発生原因被災市町村被害状況
昭和9年7月12日梅雨前線黒部市宇奈月町死者7名、負傷者133人、家屋流出35戸、倒半壊116戸、床上浸水755
昭和27年7月1日 梅雨前線黒部市宇奈月町死者8名、行方不明4名、家屋被害5,700戸、田畑24,000ha
昭和44年8月11日 梅雨前線入善町宇奈月町家屋流出全壊7戸、半壊床上浸水436戸、床下浸水410戸、氾濫面積1,050ha

激流挑む -黒部川直轄改修60年あゆみ- より

流出する直前の権蔵橋(S9.7.12洪水)激流にさらされる愛本堰堤(S27.7.1洪水)
流出する直前権蔵(ごんぞうばし )(S9.7.12洪水激流さらされる愛本堰堤(あいもとえんてい)(S27.7.1洪水
濁流が押し寄せた後の宇奈月町愛本地先(S44.8.11洪水)破堤により国道8号を越える濁流(S44.8.11洪水)
濁流押し寄せた後の宇奈月町愛本地先
(S44.8.11洪水
破堤により国道8号越え濁流
(S44.8.11洪水
ピストル型水制による洪水制御(黒部川R9.0k) (S44.8.11洪水)
ピストル水制による洪水制御(黒部川R9.0k)
(S44.8.11洪水

(注:この情報2008年2月現在のものです)

黒部川

読み方:クロベガワ(kurobegawa)

所在 千葉県

水系 利根川水系

等級 1級


黒部川

読み方:クロベガワ(kurobegawa)

所在 富山県

水系 黒部川水系

等級 1級


黒部川

読み方:クロベガワ(kurobegawa)

所在 京都府

水系 竹野川水系


黒部川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 14:18 UTC 版)

黒部川
黒部川河口から朝日、白馬~五竜岳、立山連峰
水系 一級水系 黒部川
種別 一級河川
延長 85 km
平均流量 12.18 m3/s
(宇奈月観測所 1994年)
流域面積 667 km2
水源 鷲羽岳富山市
水源の標高 2,924 m
河口・合流先 日本海黒部市入善町
流域 日本 富山県
テンプレートを表示
黒部ダム

黒部川(くろべがわ)は、富山県東部を流れる一級河川。黒部川水系の本流である。

地理

富山県と長野県の境、北アルプス鷲羽岳(わしばだけ)に源を発し、おおむね北へと流れる。川全体の8割は深い山地を穿ちながら流れ、黒部峡谷と呼ばれる。黒部峡谷中にはそのV字谷に混じって雲ノ平高天原薬師見平タンボ平内蔵助平餓鬼ノ田圃といった平坦地が点在する。黒部市愛本橋付近で山地を抜け、広さ1.2万haの黒部川扇状地[1][注釈 1]を流れる。この扇状地は黒部市、入善町にかけて広がり、その地形は海中にまで広がっている。黒部川の豊富な水量でこの扇状地は湧き水が多く、黒部川扇状地湧水群として名水百選のひとつにも選ばれている。本流は河口付近では黒部市と入善町の境界となり、日本海へと注ぐ。

富山県の七大河川(黒部川、片貝川早月川常願寺川神通川庄川小矢部川)の一。

主な支流

流域の自治体

  • 富山県
富山市立山町黒部市入善町朝日町

自然

河口周辺は富山県指定の「黒部川河口鳥獣保護区」として鳥獣保護区に指定されている。連携排砂後、水質汚濁があったが国土交通省による2006年の水質調査結果により8年ぶりに水質日本一に返り咲いた。

気候

黒部川流域は日本海型気候であり、国内有数の多雨多雪地帯である。その地点別の降水量は過去10年間の平均では、上流に向かうほど多くなり、黒部市街地では約2,000mm、扇状地より上流の宇奈月では約3,000mm、さらに上流の峡谷地にある仙人谷では、4,000mmを超える。

また黒部川流域では、6月から7月にかけて、梅雨前線による豪雨が多いことから洪水の危険性が高く、12月から3月にかけて、降雪が多いことから雪解け水による水資源が豊富である。

黒部川上流域は、南北に縦走する立山連峰と後立山連峰にそって偏西風が吹き抜ける際に発生する雨雲が、剣岳・立山等の標高の高い山にぶつかる位置にあるために降水量が多くなっている。

毎年、3月から5月頃にかけては、日本海に低気圧が発生し寒冷前線が通過することが多く、これに応じたフェーン現象の発生もみられる。この急激な温度上昇が、流域の雪崩や山火事を発生させる原因にもなっている。

流域内の年平均気温は、仙人谷で9°C、宇奈月で12°C、黒部で14°Cとなっており、上流域の仙人谷の方がいずれも 3〜5°C低くなっている[2]

歴史

江戸時代この地を領した前田氏は、防衛と技術上の問題から越中東部の常願寺川早月川片貝川、黒部川に橋を架けなかった。当時、黒部川は扇状地上でさまざまな流路に分かれて流れており、『黒部四十八ヶ瀬』[3][4]や『いろは川』と呼ばれていた[4]。昨日渡れた場所も今日は本流になり渡れずといった状況は絶えずあり、北陸道では親不知に匹敵する難所となっていた[3]。また、黒部川上流部では、立山一帯も含めて藩の取り締まり(視察)の一環として奥山廻りも行われた。

黒部川に橋がないことはあまりにも不便なため、寛永3年(1626年)に北陸街道を大きく上流に迂回した愛本の地に初めて橋を架けた。しかし氾濫の度に流失を繰り返したために、前田綱紀寛文2年(1662年)に橋脚がない全長63mもの刎橋を作らせた。この愛本刎橋は日本三奇橋の一つに数えられたという。

1880年、上流部で大町市富山市を結ぶ立山新道が開通し、黒部川は船で渡る交通システムが整備されたが、わずか2シーズンで廃止された[5]1971年立山黒部アルペンルートが開通すると観光客が黒部ダムの天端を往来することが可能となった。ダムの上流側の黒部湖には「平の渡し」という渡し船があるが、ダム湖ができる前に黒部川に架かっていた橋の機能を代替するものとして運行されている。

1970年4月1日、一級河川に指定された[6]

名称の由来

大まかに3つの説がある。

  • このあたりは古くはアイヌ民族の祖先の一部が住んでおり、縄文語(後のアイヌ語と類似)の「クンネ・ペッ」(kunne-pet、黒い川)という言葉が変化したものという説がある[7]
  • 同じくアイヌ語の「クル・ペッ」(kur-pet、魔の川)という言葉が変化したものという説がある[8]
  • 黒部の山奥にはネズコと呼ばれる木が生えており、それの別名は黒檜(クロヒ・クロベ)と言われていたためという説がある[7]

利水

黒部川は水量が多く高低差もあるため、水力発電に有利な条件を備えており、大正時代には日本電力(現在の関西電力)による水力電源開発が始められた。特に上流部では急峻な山岳地帯を舞台にして、壮絶とも言える工事が行われている。なかでも黒部ダム黒部川第四発電所関電トンネルといった通称「くろよん」と呼ばれる電源開発事業は最も有名であるが、その他にも戦前期の黒部川第三発電所の建設工事では「くろよん」を上回る犠牲者を出しているなど、黒部川の電源開発は多くの人命を失い、多大な労力を払いながらの事業となった。

一方、下流の扇状地でも、大正時代より灌漑用水などを活用した発電所建設が進み、全国でも珍しい低落差発電が行なわれている。

河川施設

ダム

連携排砂

黒部川上流部は土砂崩壊の激しい地域であるため、土砂が予想を上回る勢いで各ダムに堆積している。そこで出し平ダムでは排砂ゲートが設けられ、1991年平成3年)12月に初めての排砂が行われたが、これによって出し平ダムからヘドロが流されて漁業被害が起きたとされ、公害訴訟が起きている。これは出し平ダムで貯水開始から6年以上経過してダム湖に蓄積し変質したものを、薄める水が少ない冬にまとめて流したのが問題ではないかと考えられている。

これをふまえて下流域への影響を少なくする方法が検討され、また1995年(平成7年)7月11日に発生した豪雨で非常に大量の土砂が流出したため、3年間に3回、増水時に排砂放流を行った。増水時に排砂することで、下流への影響がダムの存在しない自然の状態に近くなるという行政による観測結果が得られた。

その後、下流に宇奈月ダムが完成し、2001年度(平成13年度)から連携排砂を行うこととなった。これは梅雨や台風で基準以上の増水が起きたとき、出し平ダムで排砂放流を行い、宇奈月ダムではまず洪水調節を行う。そして洪水のピークが過ぎるのを確認しながら宇奈月ダムも排砂を行うという方法である。

関電と行政は「これまでの観測結果からダム湖に土砂が流れ込む量の90%以上は増水時であることが確認されており、黒部川が増水する度に(その年の最初の増水に合わせて)連携排砂、以後は増水に合わせて連携通砂を行い、ダム湖に土砂を蓄積せずに流すように運用している。ダムが無い自然の状態の土砂移動により近付けるように自然との共存を目指して運用改善の努力がなされている」と主張している。

関西電力の発電所

  • 愛本発電所 - 関西電力の発電所としては最下流に位置する。1936年6月4日発電開始(開設時は旧富山県電気局、現在の富山県企業局)。最大出力3万700kW、使用水量50.0m3/s、有効落差71.5m。
  • 音沢発電所 - 出し平ダムから取水する。1985年7月18日発電開始。最大出力12万4000kW、使用水量74.0m3/s、有効落差193.5m[注釈 2]
  • 黒部川第二発電所 - (旧)柳河原発電所、愛本発電所に続いて建設された。黒部峡谷鉄道猫又駅付近にある。この発電所以降、電源開発はより上流部へと進められていく。小屋平ダムより取水。1936年10月30日発電開始。最大出力7万2000kW、使用水量47.2m3/s、有効落差177.0m。
  • 黒部川第三発電所 - 戦時体制下における電力需要を背景に建設された。黒部峡谷鉄道欅平駅に隣接している。この発電所及び仙人谷ダムの建設に伴って行なわれたトンネル工事は、地底において摂氏160度に達する高熱の岩盤を掘り進むという過酷なものとなった。劣悪な労働環境、地熱によるダイナマイト自然発火事故、物資輸送中の峡谷での転落事故、泡(ほう)雪崩による宿舎の全壊事故などの被害が重なり、全工区で朝鮮人労働者を含む300人以上が犠牲[9]となっている(ちなみに黒部ダム建設の殉職者は171人)。小説『高熱隧道』の舞台でもあり、映画『黒部の太陽』の伏線ともなっている。仙人谷ダムより取水。1940年11月22日発電開始。最大出力8万1000kW、使用水量33.6m3/s、有効落差278.3m。
  • 黒薙第二発電所 - 黒部川の支流である黒薙川に建設された。北又堰堤より取水。1947年12月26日発電開始。最大出力7600kW、使用水量6.2m3/s、有効落差152.6m。
  • 黒部川第四発電所 - 黒部川第四発電所の項目を参照。
  • 新黒部川第三発電所 - 黒部川第四発電所で利用した水の一部を再利用している。この導水路建設も戦前の黒部川第三発電所建設と同様、地熱との闘いとなった。仙人谷ダムからも取水。1963年10月7日発電開始。最大出力10万5000kW、使用水量46.0m3/s、有効落差269.0m。
  • 新黒部川第二発電所 - 新黒部第三発電所で利用した水を直接再利用している。発電施設はすべて地下にある。1966年9月29日発電開始。最大出力7万4200kW、使用水量46.0m3/s、有効落差189.8m。
  • 新柳河原発電所 - 宇奈月ダムによって(旧)柳河原発電所が水没するため、代替として建設された。出平ダムなどから取水。1993年4月1日発電開始。最大出力4万1200kW、使用水量50.9m3/s、有効落差93.2m。
  • 宇奈月発電所 - 宇奈月ダムから取水。2000年5月17日発電開始。最大出力2万kW、使用水量70.0m3/s、有効落差34.5m。

北陸電力の発電所

北陸電力の発電所はすべて愛本発電所の下流にある。

  • 黒東第一発電所 - 最大出力5300kW
  • 黒東第二発電所 - 最大出力10400kW
  • 黒東第三発電所 - 最大出力7200kW
  • 黒西第一発電所 - 最大出力6800kW
  • 黒西第二発電所 - 最大出力2200kW
  • 黒西第三発電所 - 最大出力1300kW

主な橋梁

黒部川河口よりの眺望

立山連峰と後立山連峰の風景

山名は各項目へリンクしています
白金の頭
長栂山
天狗の頭
画像ファイル(環境により文字がずれることもあります)


ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 他に大型扇状地として那須野が原扇状地(4万ha)、胆沢扇状地(2万ha)などがある。
  2. ^ この発電所を最後に電力開発事業は終了している。なお、柳川発電所で使われた水車等が展示されている。

出典

  1. ^ 北日本新聞『立山・黒部 世界へ発信』
  2. ^ 黒部川流域の概要”. 国土交通省河川局 (2019年8月16日). 2019年8月16日閲覧。
  3. ^ a b 宇奈月町史編纂委員会編『宇奈月町史』宇奈月町、1969年、p574,p592頁。 
  4. ^ a b 宇奈月町教育センター発行『愛本橋周辺 -その見どころ-』1990年、1頁。 
  5. ^ 「大山町史」第6章 交通・通信の発達 p544 大山町史編纂委員会編 1964年発行
  6. ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)164頁。
  7. ^ a b 河川事業-事業について|国土交通省 北陸地方整備局 黒部河川事務所”. www.hrr.mlit.go.jp. 2019年9月6日閲覧。
  8. ^ 北日本新聞 2017年8月13日付朝刊24面『ふるさと人物探訪2』より
  9. ^ 新潮社『高熱隧道』

関連項目

外部リンク




黒部川と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒部川」の関連用語

黒部川のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒部川のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
国土交通省河川局国土交通省河川局
Copyright© 2025 MLIT Japan. All Rights Reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黒部川 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS