四国地方整備局
四国地方整備局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:58 UTC 版)
「国土交通省直轄ダム」の記事における「四国地方整備局」の解説
四国地方整備局管内では管理中のダムが7基、施工・ダム再開発事業・再生事業中のダムが3基、合計10基のダムが管理・施工されている。なお、管内の直轄ダムの型式は全て重力式コンクリートダムであり、地方整備局では唯一である。 四国地方における直轄の河川開発は、四国最大の河川である吉野川において開始された。1949年(昭和24年)に内閣経済安定本部は日本の主要10水系において、大規模治水計画の策定を旧建設省に求めた。10水系に吉野川水系も対象として挙げられ、吉野川改訂改修計画が成立する。この時に吉野川水系でもダムによる治水計画が導入され、吉野川本流に現在「四国のいのち」と称される四国最大のダム・早明浦ダムが、支流の銅山川に柳瀬ダムが計画された。さらに翌1950年(昭和25年)には、治水のみならず灌漑や水力発電といった吉野川水系の河川総合開発計画が立案され、経済安定本部、建設省、農林省(現在の農林水産省)、通商産業省(現在の経済産業省)、電源開発、四国電力および四国四県が参加する吉野川総合開発計画が開始された。 近代における吉野川水系の水利用については、1855年(安政2年)に伊予国宇摩郡の庄屋が慢性的な水不足を解消するため今治藩三島代官所に銅山川疏水を陳情したのが発端となり、1914年(大正3年)の旱魃を機に法皇山脈を貫くトンネルで銅山川の水を宇摩地方(現在の四国中央市)へ導水し、灌漑に利用する計画が具体化。1919年(大正8年)に農商務省が銅山川疏水の調査を発表した。その後水力発電目的も加わったが下流部の慣行水利権を持つ徳島県が愛媛県への分水に猛反対し事業は停滞、1936年(昭和11年)と1945年(昭和20年)、1947年(昭和22年)の三度にわたる愛媛・徳島両県の分水協定を経て銅山川疏水と水源である柳瀬ダムの建設が1948年より開始された。ダム事業は当初愛媛県が事業者であったが1947年の第三次分水協定においてダムの目的に治水が加わったことから、事業は愛媛県の委託という形で建設省が施工を行い、完成後も建設省が管理することになった。柳瀬ダムは1953年(昭和28年)に完成し、四国における直轄ダム第一号となる。そして銅山川疏水も実現し、98年におよぶ悲願が達成された。 吉野川総合開発計画は高度経済成長期を迎え水道需要が急増した1960年(昭和35年)、四国地方開発促進法が制定されてから加速、早明浦ダムと池田ダム(吉野川)を主軸とした治水・利水の総合開発が再検討されて1966年(昭和41年)2月吉野川総合開発計画がようやく成立。さらに同年11月には水資源開発促進法に基づく指定河川となり吉野川水系水資源開発基本計画が成立、早明浦ダムと香川用水事業は水資源開発公団(独立行政法人水資源機構の前身)が所管することになった。以後公団により吉野川水系の総合開発が進められ早明浦、池田の両ダムを始め新宮ダムと富郷ダム(銅山川)、香川用水、吉野川北岸用水、高知分水などが完成する。何れも水資源機構が管理しており、吉野川水系における直轄ダムは柳瀬ダムが唯一である。 吉野川水系以外では愛媛県の肱川水系と重信川水系、高知県の仁淀川水系と渡川(四万十川)水系で直轄ダムが建設された。肱川では1959年(昭和34年)に本流中流部に鹿野川ダムが治水と水力発電を目的に完成したが肱川流域の人口増加に伴い治水安全度の向上に加え、いよかんなどの特産地である佐田岬半島や宇和島市を始めとした宇和海沿岸地域の慢性的な水不足解消を目的に肱川上流部に野村ダムを1982年(昭和57年)に建設、ダム湖より用水路を通じて灌漑と上水道用水を供給した。また県都・松山市を流域に持つ重信川の支流・石手川に1972年(昭和47年)石手川ダムが完成、松山市の重要な水がめとなっている。一方多雨地帯である高知県では大雨や台風による水害の被害が著しいことから、治水重視のダム事業が展開された。仁淀川では本流に水系最大かつ直轄ダムでは最も総貯水容量が多い大渡ダムを1986年(昭和61年)に完成させ、仁淀川の治水と水力発電に加え、県都・高知市の水がめとして運用されている。また四万十川は本流にダムを建設できる適地がないため、四万十市で合流する支流・中筋川流域の総合開発を行い1998年(平成10年)に中筋川ダムが完成、2020年(令和2年)には横瀬川ダム(横瀬川)が完成し中筋川・四万十川の治水のみならず四万十市や土佐清水市、宿毛市の水源として重要な役割を担っている。 施工中のダム事業は3基あり、この内ダム改造・再生事業が2基ある。1950年の国土総合開発法に基づく那賀川特定地域総合開発計画の中心事業として1955年(昭和30年)に完成した長安口ダム(那賀川)は徳島県が管理する多目的ダムであったが、2000年代に入り水害・渇水が那賀川水系で頻発したことから(後述)2007年(平成19年)にダムは徳島県より国土交通省に移管され、洪水吐き新設によるダム機能の強化を目的とした長安口ダム改造事業に着手している。また長安口ダム上流にある四国電力の小見野々ダム(那賀川)直下流に新しいダムを建設して治水容量を確保する小見野々ダム再生事業が着手された。 1959年に完成した鹿野川ダムは、バイパス放流トンネル増設と貯水容量配分変更を軸にした鹿野川ダム改造事業が2019年(令和元年)完了した。肱川は支流数475河川と日本では淀川、信濃川、利根川に次ぐ数を有し、かつ流域最大の都市・大洲市が元々天然の遊水池となっている場所を都市化しているため水害が絶えず、鹿野川・野村両ダムの完成後も治水計画を上回る水害が発生しているため、治水機能強化を目的としている。鹿野川ダムは完成後愛媛県に管理が移管されていたが、再開発事業実施に伴い2006年(平成18年)に再び直轄管理に戻された。これに関連し、鹿野川ダム直下で肱川に合流する河辺川に山鳥坂(やまとさか)ダムが施工中である。1986年の計画当時は特定多目的ダムであったが、規模を縮小し治水ダムとして施工しているものの環境破壊として市民団体の反対運動が強く、国土交通省によるダム事業再検証の対象となったが事業は継続と決定された。しかし平成30年7月豪雨では鹿野川ダム・野村ダムの放流により流域住民に被害が出るなど地元の不信を招いている。この他ダム事業と地元との軋轢については宇摩地方の住民の悲願を叶えた柳瀬ダムで、補償交渉前に工事を開始した建設省に対し移転住民が反発、さらに当時の愛媛県土木部長が補償交渉の席上ダム湖が将来的にボートも浮かぶ観光地になることを話したところ、「故郷を失う我らの前で、ボートとは何だ」と住民たちの感情を逆撫でしたエピソードが残っている。 なお、管内の一級河川では物部川水系と土器川水系で直轄ダムが建設されていない。このうち物部川水系は1950年より物部川総合開発事業が開始され、最上流部に位置する水系最大のダム・永瀬ダム(物部川)を建設省が、下流の杉田・吉野ダムを高知県が施工し永瀬ダムは1957年(昭和32年)に完成した。完成後ダムの管理は高知県に移管されている。土器川水系では支流の前の川に前の川ダムが計画されていたが、中止されている(後述)。 所在水系河川ダム型式高さ総貯水容量着工完成分類水特法備考徳島 那賀川 那賀川 小見野々ダム アーチ 62.5 16,750 1965 1968 再生事業中 徳島 那賀川 那賀川 長安口ダム 重力 85.5 54,278 1950 1955 再開発中 愛媛 重信川 石手川 石手川ダム 重力 87.0 12,800 1966 1972 特定 愛媛 肱川 肱川 鹿野川ダム 重力 61.0 48,200 1953 1959 特定 2019年再開発 愛媛 肱川 肱川 野村ダム 重力 60.0 16,000 1971 1982 特定 指定 ダム湖百選 愛媛 吉野川 銅山川 柳瀬ダム 重力 55.5 32,200 1948 1953 愛媛 肱川 河辺川 山鳥坂ダム 重力 103.0 24,900 1986 2026 治水 指定 高知 仁淀川 仁淀川 大渡ダム 重力 96.0 66,000 1966 1986 特定 高知 渡川 中筋川 中筋川ダム 重力 73.1 12,600 1982 1998 特定 高知 渡川 横瀬川 横瀬川ダム 重力 72.1 7,300 1990 2020 特定
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