吉野川総合開発計画とは? わかりやすく解説

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吉野川総合開発計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:14 UTC 版)

吉野川」の記事における「吉野川総合開発計画」の解説

戦後吉野川水系開発は、複数事業者によって同時進行進められた。先行したのは電気事業者で、日本発送電株式会社過度経済力集中排除法適用を受け1950年昭和25年)に分割・民営化したことで四国地方においては四国電力株式会社四国四県の発電施設全て継承した。既に1931年昭和6年)に吉野川水系初のコンクリートダムである明谷ダム明谷川)、1939年昭和14年)に戦前では屈指のダムである大橋ダム吉野川)が完成していたがこれら水力発電事業拡充図った四国電力1949年昭和24年)に完成していた長沢ダム吉野川)や大橋ダム等の旧日発送施設継承した他、さらに大森川穴内川発電ダム計画進めた一方1938年昭和13年)から内務省によって吉野川河水統制事業予備調査進められていたが、戦争により中断銅山川分水愛媛県徳島県対立解けぬまま中断していた。さらには1946年昭和21年)に南海地震発生旧吉野川今切川河口部地盤沈下発生し今切川樋門等の防潮施設破損汐止効果減退したこうしたことから吉野川水系総合開発必要性問われた。 1949年経済安定本部全国の主要水系10水系対象に、多目的貯水池による総合的な治水対策とした「河川改訂改修計画案」を発表した吉野川対象として選定され吉野川改訂改修計画」が建設省治水調査会より経済安定本部答申された。この計画において初めて早明浦(さめうら)ダム登場。また早明浦ダム直上流にヶ谷ダムを、銅山川には柳瀬ダム下流大野ダム建設する計画立てた翌年には、吉野川改訂改修計画発展させた「吉野川総合開発計画」をまとめた。この計画では吉野川本川に二箇所巨大なダム建設するほか、支流銅山川穴内川洪水調節用のダム建設また、大森川には発電専用ダム建設した上で徳島県三好郡池田町現在の三好市)に上流ダム群から放流した平均化する逆調整池建設するという方針を採った。 吉野川総合開発計画によるダムダム河川現行規模経済安定本部原案経済安定本部修正第一案経済安定本部修正第二案電源開発B案電源開発A案早明浦ダム 吉野川 106.0316,000,000 72.0147,000,000 72.0147,000,000 80.0165,000,000 92.0255,000,000 92.0255,000,000 敷岩ダム 吉野川 - - - - 33.036,500,000 33.036,500,000 永淵ダム 吉野川 - - - - - 26.06,600,000 赤野ダム 吉野川 - - - - - 28.04,800,000 小歩危ダム 吉野川 - 126.0307,500,000 - 106.0165,000,000 90.0106,000,000 38.010,000,000 大佐古ダム 吉野川 - - 146.0676,000,000 - - - 池田ダム 吉野川 24.012,650,000 17.014,800,000 10.05,700,000 17.014,800,000 17.014,800,000 17.014,800,000 川崎ダム 吉野川 - 29.64,200,000 - 29.64,200,000 - - 大森川ダム 大森川 73.219,120,000 60.018,000,000 60.018,000,000 60.018,000,000 60.018,000,000 60.018,000,000 ダム穴内川ダム穴内川 66.646,260,000 65.048,000,000 65.048,000,000 65.048,000,000 65.048,000,000 65.048,000,000 岩戸ダム新宮ダム銅山川 42.013,000,000 136.0289,000,000 - 116.0163,000,000 - - 大野ダム新宮ダム銅山川 42.013,000,000 - - - 65.041,500,000 65.041,500,000 この計画の目的は早明浦と小歩危(または大佐古)の二大ダム建設して巨大な人造湖形成することで吉野川本流洪水調節するほか、銅山川穴内川ダムによって支流からの洪水調節。また貯水した湖水徳島県への農業用水として利用するほか、吉野川改訂改修計画立案された大野ダム計画拡大させた岩戸(または大佐古ダムより慢性的な水不足に悩む愛媛県宇摩地域現在の四国中央市新居浜市一帯)に銅山川分水通じて農業用水既設柳瀬ダムと共に供給併せて有効落差利用して水力発電を行うというものである。この時早明浦ダム直上流に計画されていたヶ谷ダム計画廃止された。 翌1951年昭和26年)には国土総合開発法施行され吉野川総合開発推進のために「四国地方総合開発審議会」が設置された。さらに翌1952年昭和27年)には「電源開発促進法」も施行され電源開発株式会社吉野川水系電源開発乗り出した。こうして複数事業者吉野川水系開発乗り出したことから調整必要性生まれた折から1954年昭和29年)の台風12号吉野川過去最高の出水記録したことから河川整備再検討にも迫られた。1958年昭和33年建設省四国地方建設局現国交通省四国地方整備局)が中国地方建設局から分離する形で設置され安本案や各電気事業者開発案を総合的に調整し作成された「吉野川総合開発事業」が本格的に推進された。 この時までに経済安定本部より三案、電源開発より二案が提出されダム地点規模目的について議論なされたこの間柳瀬ダム完成し銅山川分水が仮通水したものの、開発審議会において徳島県必要以上分水反対事業推進滞り、しびれを切らした四国電力単独電源開発進め大森川ダム穴内川ダム相次いで完成させた。建設省電源開発四国電力離脱後、早明浦・小歩危池田の三ダム建設して洪水調節のほか早明浦と小歩危ダム間で揚水発電行い加えて讃岐平野への導水視野入れた開発計画をまとめた。だが小歩危ダムについては当初の計画案で建設する水没面積高知県長岡郡本山町中心部付近まで達することになり、規模を高さ38.0メートル・1千万トンにまで縮小したとしても名勝大歩危・小歩危水没免れないことから地元反発大きく1971年昭和46年)には小歩危ダム計画断念余儀無くされ、最終的に早明浦ダム池田ダムによる総合開発計画縮小された。

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