四国地方整備局の中止事業
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「国土交通省直轄ダム」の記事における「四国地方整備局の中止事業」の解説
四国地方整備局管内における中止したダム事業は、旧建設省時代を含めると11ダム事業に上る。大別すると吉野川総合開発計画の策定において計画され、中止もしくは立ち消えとなった事業と、1990年代以降の公共事業見直し政策において中止となった事業に分けられる。 前者については、1949年の吉野川改訂改修計画において早明浦ダムが初めて計画された際に現在のさめうら湖を二分割する形でダム計画が立案され、現在吉野川と瀬戸川が合流する直下に桃ヶ谷ダム(吉野川)を計画したが、早明浦ダム計画に統合された。その後吉野川総合開発計画において、吉野川水系のダム計画は吉野川本流に早明浦ダムと、名勝である小歩危出口付近に計画された小歩危ダムを軸として銅山川には現在の賢見温泉付近に岩戸ダムを建設し、それらの水を池田ダムより香川県へ導水するというものであった。小歩危・岩戸の2ダムは何れも現在の早明浦ダムに匹敵する規模の貯水容量を有し、殊に小歩危ダムは原案の通り完成すれば小歩危、大歩危のみならず県境を越えて現在の高知県長岡郡本山町中心部まで水没する長大な人造湖を形成する。その後事業者の建設省、経済安定本部、電源開発により様々な案が提出、検討されたがこの中には小歩危・岩戸両ダムの統合案として大佐古ダム計画という超巨大ダム計画も存在した。これは吉野川と祖谷川合流点付近に高さ146メートルのダムを建設するものだが、貯水容量は実に6億7600万立方メートルと現在日本最大の人造湖を擁する岐阜県の徳山ダム(揖斐川)を凌駕する規模となる。しかし最終的には早明浦・池田の両ダムを軸にした総合開発計画に修正され、小歩危ダム計画は電源開発が水力発電専用に規模を大幅に縮小したものの大歩危・小歩危水没に対する反対が強く、1971年(昭和46年)9月16日の第56回電源開発調整審議会において小歩危ダムを取水元とする吉野川第一・第二発電所計画が中止されたことで、ダム事業も中止された。また岩戸ダム計画は自然消滅したが、ダム上流部に新宮ダムが1975年完成している。 後者については那賀川本流上流部に計画された細川内(ほそごうち)ダムと吉野川本流下流部に計画された吉野川第十堰の可動堰化が特に知られている。細川内ダムは1972年に徳島県那賀郡木頭村(現在の那賀郡那賀町)に計画された特定多目的ダムであるが、計画発表当初より木頭村が官民一体で反対運動を繰り広げ、特に1994年(平成6年)より村長に就任した藤田恵は条例の制定などを通して激しいダム反対運動を指揮した。この結果、1998年に第2次橋本内閣の建設大臣だった亀井静香が事業凍結の方針を示し、2000年(平成12年)にはダム事業が中止された。細川内ダムの中止はそれまで「聖域」とされたダム事業の在り方に対して一大転機をもたらし、以後ダム事業の中止が急増する。しかしダム中止後の那賀川流域では洪水・渇水被害が頻発。特に渇水については細川内ダム中止後の2000年からほぼ毎年発生し、2005年(平成17年)には工業用水・農業用水が完全に断水し取水制限も112日間におよぶなど流域に深刻な被害と経済損失をもたらした。このことが長安口ダムを国土交通省に移管させた一因となっている。 吉野川第十堰については、江戸時代に建設された現在の固定堰が老朽化し、かつ1976年(昭和51年)に施行された河川管理施設等構造令の整備基準に合致せず洪水流下の阻害要因となっていることから直下流に可動堰を建設して治水機能を強化する目的で、1988年(昭和63年)より事業に着手した。しかし吉野川の環境破壊や税金の無駄遣いなどを理由に姫野雅義など市民団体が反対運動を繰り広げ、日本共産党が組織的に関与・支援するなど運動が盛り上がった。こうした反対運動は2000年に徳島市が堰建設の可否を問う住民投票実施にまで発展した結果、建設反対が10万人以上の票を集め大勢を占めたことで徳島市が反対姿勢に転換。2002年(平成14年)には建設反対を公約とした大田正が徳島県知事に就任したことで国土交通省も事業の凍結を発表し、2010年(平成22年)前原誠司国土交通大臣(当時)により中止が決定した。住民自治と公共事業の在り方に一石を投じた事業であるが、住民投票で賛成派が棄権し、かつ徳島市以外の流域市町村では30万人以上の賛成署名が集まっているのに徳島市の住民投票だけで決定した、また朝日新聞などマスコミの報道姿勢が反対派に肩入れしているなどの問題点が賛成派から指摘されている。 細川内ダム、吉野川第十堰以外では香川県を流れる土器川支流の前の川の計画されていた前の川ダムが中止されている。1990年(平成2年)の土器川水系工事実施基本計画において計画が立案された特定多目的ダムであるが、財政的な問題があり2000年に事業が休止された。ところが慢性的な水不足に悩む香川県内の流域自治体から事業再開の要望が強く出され、再度検討されたが利水目的を実施する目処が立たず、2003年(平成15年)に事業が中止された。 所在水系河川ダム型式高さ総貯水容量分類水特法備考出典徳島 吉野川 銅山川 岩戸ダム 重力 136.0 289,000 徳島 吉野川 吉野川 大佐古ダム 重力 146.0 676,000 徳島 吉野川 銅山川 大野ダム 重力 65.0 41,500 徳島 吉野川 吉野川 川崎ダム 重力 29.6 4,200 徳島 吉野川 吉野川 小歩危ダム 重力 126.0 307,500 徳島 那賀川 那賀川 細川内ダム 重力 102.0 60,400 特定 徳島 吉野川 吉野川 吉野川第十堰改造 堰 6.2 6,500 可動堰化 香川 土器川 前の川 前の川ダム 重力 58.0 5,300 特定 高知 吉野川 吉野川 敷岩ダム 重力 33.0 36,500 高知 吉野川 吉野川 永淵ダム 重力 26.0 6,600 高知 吉野川 吉野川 桃ヶ谷ダム - - - 早明浦ダムの前身
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