平成10年 (つちのえとら 戊寅)
年(年号) | |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック |
●1982年 (昭和57年) | ■東北・上越新幹線開通 |
●1983年 (昭和58年) | ■大韓航空機撃墜事件 |
●1985年 (昭和60年) | ■日航ジャンボ機墜落事件 |
●1986年 (昭和61年) | ■国鉄分割・民営化 |
●1989年 (平成元年) | ■ODA世界第1位となる |
●1989年 (平成元年) | ■消費税導入 |
●1991年 (平成3年) | ■バブル崩壊 |
●1992年 (平成4年) | ■国際平和協力法成立 |
●1995年 (平成7年) | ■阪神大震災 |
●1995年 (平成7年) | ■地下鉄サリン事件 |
●2000年 (平成12年) | ■地下鉄大江戸線開通 |
●2003年 (平成15年) | ■江戸開府400年 |
・ 加藤 シヅエ | 1897年〜2001年(明治30年〜平成13年) | 101才 |
・ 黒澤 明 | 1910年〜1998年(明治43年〜平成10年) | 88才 |
1998年
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1998年(1998 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。平成10年。
- 1 1998年とは
- 2 1998年の概要
1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
高松市公共施設利用総合情報システムが稼動する。 行政情報化計画が策定される。 高松市鬼ヶ島おにの館が開館する。 サンネット高松連携推進協議会が設立される。 レインボーロードが竣工する。 全国高等学校総合体育大会が開催される。 ゆめタウン高松が開業。
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1998年(Jリーグ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:19 UTC 版)
「北海道コンサドーレ札幌」の記事における「1998年(Jリーグ)」の解説
戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦と冨樫剛一が引退した。 新戦力としてC大阪から深川友貴と梶野智、G大阪から木山隆之、柏から加藤竜二と有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正とバウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。 1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史に4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強で柏から棚田伸、横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。 1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。 詳細は「J1参入決定戦」を参照
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1998年(全3タイトル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:49 UTC 版)
「セガ・マークIIIのゲームタイトル一覧」の記事における「1998年(全3タイトル)」の解説
8月 Sítio do Picapau Amarelo(テックトイ、1Mカセット) 12月 Mickey's Ultimate Challenge(テックトイ、256Kカセット) 12月 ミッキーマウス 伝説の王国(テックトイ、512Kカセット) 「Mickey's Ultimate Challenge 」と「ミッキーマウス 伝説の王国」をもって、ブラジルでのセガ・マスターシステムソフトのリリースは終了した。
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/26 13:51 UTC 版)
「ハラダ製茶」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 04:58 UTC 版)
「はだしのコンサート」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
1998年(平成10年)9月23日、第5回はだしのコンサート開催。
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:31 UTC 版)
「スズキ・エスクード」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
10月15日 - エスクードV6-2500専用エアロパーツなどを装備したドレスアップ車「エスクードV6スペシャル」を設定。スポーティな室内には、専用本革巻きステアリングホイール&ATシフトノブ、専用ホワイトメーター、カーボン調パネル、シート表皮&ドアトリムなどを装備。(限定300台)
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1998年(第7版)
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「SI併用単位」の記事における「1998年(第7版)」の解説
1998年の第7版においては、次のようになった。これは1996年のCIPMの決定によるものである。 併用単位: 分、時、日、度、分、秒、リットル、トン、ネーパ、ベル (ネーパとベルが追加された。) 併用単位(実験的に得られるもの): 電子ボルト、原子質量単位、天文単位 (天文単位が復活した。)
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1998年(初回)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 15:40 UTC 版)
「関西アカペラジャンボリー」の記事における「1998年(初回)」の解説
KAJa!の始まりは、アカペラ好きの社会人が、インターネット上の掲示板に投稿したことがきっかけとなった。それに賛同する形で数人がスタッフとして名乗りをあげ、ネット上でさらなるスタッフを募集し、またパフォーマーを集めた。第一回は、5月30日に、大阪・ドーム前千代崎駅東側の「Padou」(現在は撤去)で行われた。 2000年ごろにゴスペラーズが人気を得て、ア・カペラが一般に知られるようになるその前であり、ア・カペラは現在ほどの人気はなかった。また、現在は数百人規模のア・カペラサークルも少なくはないが、当時はできて数年のサークルが多く、人数も多くはなかった。そのため、アカペラが好きな者同士が、大学やサークルの枠を越えて集まるほとんど最初の機会となった。 プロ・アマチュア・飛び入り参加を含めて全国35組のバンドが参加し、約2000人を集客した。出演バンドは現在のように審査で決めるのではなく、その場にいた者どうしで発表することもあった。
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:28 UTC 版)
「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
7月23日 - キャンプ・ハンセン内で海兵隊所属のUH-1N輸送ヘリコプターが着陸に失敗し、乗員4名が負傷した。 7月24日 - 三沢基地の第35戦闘航空団(英語版)第14戦闘飛行隊(英語版)所属のF-16C戦闘機が同基地で離陸に失敗し、滑走路をオーバーランして炎上。乗員1名が全身に火傷を負った。 8月19日 - 神奈川県相模原市の上空を飛行していた羽田発広島行きの日本航空DC-10において、突然空中衝突防止装置が作動した。直後、厚木基地を離陸し岩国基地へ向かう途中のF/A-18戦闘攻撃機が高度差約110メートル、距離差約1110メートルでDC-10の横をすれ違うニアミスが発生した。 10月29日 - 横田基地所属のC-9輸送機が、飛行訓練中に1.5メートル四方の金属製のエンジンカバーを落下させた。また、後日当該機はエンジン火災を起こしていたことが判明した。
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:59 UTC 版)
「フィッシュマンズ」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
3月13日〜3月20日、『低音バッシュ』ツアー開催。 8月19日、ライブ・アルバム『8月の現状』をリリース。 8月22日〜10月10日、『8月の現状』ツアー開催。 12月2日、シングル『ゆらめき IN THE AIR』をリリース。 12月17日〜12月28日、『男達の別れ』ツアー開催。12月27日、28日に『男達の別れ』ツアーファイナルが赤坂BLITZで行われ、これを以って柏原が脱退。また、結果としてこれが佐藤生前の最後のライブとなった。
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1998年(平成10年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:38 UTC 版)
「林原めぐみのHeartful Station」の記事における「1998年(平成10年)」の解説
9月末にて『UP'S』としてのネット終了。TBSラジオへのネットは終了する。
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1998年~(「細胞分裂」~2人体制)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 08:40 UTC 版)
「infix」の記事における「1998年~(「細胞分裂」~2人体制)」の解説
1998年 3月14日から3月28日まで『Break the Silence』ツアー。最終日の赤坂BLITZが、4人体制での最後の活動となった。3月31日、研音との契約が終了。この時点ではまだ移籍先は未定であった。 4月1日、infixが充電期間に入る。その2週間後の4月14日、充電期間の間個別に活動することが決まる。大神、野間口の脱退までに4人が集まった最後の日である。7月に発行されたファンクラブ会報「INFINITY」にて、ファンへ大神、野間口の細胞分裂(脱退)が報告された。 10月1日、レコード会社が「徳間ジャパンコミュニケーションズ」、事務所が「ズームリパブリック」に決定、ここに2名体制での“新生infix”がスタートした。
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「1998年」の例文・使い方・用例・文例
- 1998年6月23日にいなくなるまで彼女はオークランドに住んでいた
- 彼女は1998年までスペインに住んだ
- ベンチャー企業を対象とした第2店頭株市場は1995年に創設され、1998年に廃止された。
- その病気は最近では1998年に大流行した。
- 軍艦は1998年に使用を中止された
- エジプト、アルジェリア、パキスタン、バングラデシュで上部機構をアルカイダと他の武装組織に提供した1998年にウサマ・ビンラディンによって組織されたテロリストグループ
- (表面上セキュリティ理由のために)1998年に首都とされたカザフスタンの人里離れた都市
- 米国の政治家で、ロサンゼルス初の黒人市長に選出された(1917年−1998年)
- アメリカ人の心理学者(イングランド生まれ)で、多変量研究に基づいた人間行動の広い理論を展開した(1905年−1998年)
- 米国の生化学者で、白血病と痛風の治療薬を開発したことで知られる(1905年−1998年)
- 英国の生理学者で、アンドリュー・ハックスレーとともに、神経インパルスの伝達でのカリウムとナトリウム原子の役割を発見した(1914年−1998年)
- 日本の映画製作者で、日本の民間伝承と、西洋のスタイルの演出法を一体化させたことで知られる(1910年−1998年)
- 米国の俳優(1914年−1998年)
- 米国のテニス・プレーヤーで、1920年代と1930年代に女子テニスの中心であった(1905年−1998年)
- 米国の振り付け師で、クラシックバレエに人間らしい感情をもたらし、ブロードウェイ・ミュージカルを現実的に活気付けた(1918年−1998年)
- 宇宙飛行士で、1961年に初めて米国の準軌道飛行用ロケットで飛行をした(1923年−1998年)
- 米国の歌手で映画俳優(1915年−1998年)
- 米国の小児科医で、保育に関する多くの本が世界の周りの子供のしつけに影響を及ぼした(1903年−1998年)
- ロシアのバレエダンサー(1910年−1998年)
- 米国の数学者(フランス生まれ)(1906年−1998年)
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FX(外国為替証拠金取引)の通貨ペアの価格は、経済指標や政策金利の変更、政情不安などにより急騰したり急落したりします。過去の対円通貨での大きな下げは何度かありましたが、1998年10月7日と1998年...
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