最後の日
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/06 04:24 UTC 版)
「ミシシッピ (装甲艦)」の記事における「最後の日」の解説
1862年3月中旬、デヴィッド・ファラガット代将が率いる北軍艦隊がメキシコ湾からミシシッピ川に侵入を開始した。究極の目的はニューオーリンズへの攻撃であった。アメリカ合衆国海軍長官のギデオン・ウェルズは、南軍の2隻の「怪物」(ルイジアナとミシシッピを指す言葉で、当時広く使われた)が完成すると、北軍の封鎖艦隊は蹴散らされると心配していた。このため、両者の完成前にニューオーリンズを攻撃するように、ファラガットはウェルズからの圧力を受けていた。 リッチモンドの連合国政府は、北軍によるメキシコ湾封鎖も、また上流からメンフィスにせまりつつあるミシシッピ川艦隊(Mississippi River Squadron)も、あまり真剣に受けとめていなかった。ファラガットが彼の艦隊をミシシッピ河口の砂洲を越えて前進させた際も、ジェファーソン・デービス大統領とマロリー海軍長官は、ミシシッピ川の南部海軍司令官であるジョージ・ホリンズに対し、ルイジアナが数日以内に完成しメンフィスに派遣され、ミシシッピもこれに続くと楽観的な見込みを述べていた。この時期に、海軍省はアーサー・シンクレア中佐をミシシッピの艦長に任命し、シンクレアは4月3日に到着した。 ティフト兄弟は、ルイジアナの完成を急げという大衆からの圧力を受けていた。市民の自称団体である「公衆安全委員会」は、シンクレアや工事を行っている技術者らが反対するにも関わらず、完成前にミシシッピを進水させるよう要求した。ティフト兄弟は、そのようなことをすれば数週間の遅れが生じると、これを拒否した。 4月24日に北軍艦隊がニューオーリンズを防衛する要塞を南方から突破すると、全ての議論は意味が無いものとなった。シンクレアはミシシッピを安全な場所に移動させ、完成させるために、兄弟の了承を得て急いでミシシッピを進水させ、上流に曳航させようとした。最初に雇用したタグボートは適当でなかった。翌日に別の船を捜そうとしたが、その間に北軍艦隊が視認距離にまで迫ってきた。シンクレアはミシシッピを焼却するように命令した。
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