世界の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/04 09:39 UTC 版)
「ジョバンニ・フランチェスコ・ジェメリ・カレリ」の記事における「世界の旅」の解説
1693年にジェメリ・カレリはエジプト、コンスタンチノープル、聖地(パレスチナ)の訪問から彼の世界旅行を開始した。当時既にこの中東ルートは外地への旅行の一般的なコースとなっており、特筆すべきようなことはあまりない。しかしながら、ここから先はこのイタリア人「旅行者」はそれまであまり通られていなかった道を通る。ペルシアとアルメニアを横断し、南インドを訪れてから中国に入り、中国ではイエズス会がこのような異常なイタリア人の訪問者は教皇のために働くスパイなのではないかと疑った。この思いがけない誤解はジェメリに中国の非常に固く閉ざされていた数々の門戸を開放した。ジェメリは北京で皇帝に謁見し、元宵節の祝典に出席し、万里の長城を見学した。 マカオから、ジェメリ・カレリは海路フィリピンに渡り、マニラのガレオン船が出航するまで2ヶ月間滞在した。ジェメリが日誌に書いているように、アカプルコへの半年間の太平洋横断の旅は酷い食事と疫病の大発生と時折の嵐に見舞われる悪夢であった。メキシコでは、このイタリア人旅行者は地元の貴族たちに旅の逸話を繰り返し語っただけで有名人となった。ジェメリは止むことのない好奇心で首都を越え、いくつもの炭鉱の街やテオティワカンの遺跡を訪問した。5年間の世界放浪の後、キューバの財宝艦隊に合流してジェメリは帰路に就いた。
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