世界の最重要な展覧会へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 07:00 UTC 版)
「ドクメンタ」の記事における「世界の最重要な展覧会へ」の解説
第2回以降はカッセル市やヘッセン州の出資による「ドクメンタ有限会社」が設立され、以来現在までこの会社の企画・運営によって当初はほぼ4年に一度、現在はほぼ5年に一度開催されている。 第2回は回顧展から一転し、同時代の(西欧の)美術動向をまとめた展覧会となった。 第3回以降は展覧会は同時代の美術の動向を端的に示すような主題(テーマ)が決められ、それに沿った作品が発表される。 第4回以降は物故者を除くことになり、同時代の作家だけの参加となり同時代美術(現代美術)のみが展示されるようになった。これにより、美術の現実性・現代性をより反映した展覧会となった。このころ、世界最大の美術展ヴェネツィア・ビエンナーレ(国ごとのパビリオンが賞を競う形式の展覧会)が「美術界のオリンピック」としてアメリカ、フランスほか大国同士のメダル争いの場となり、巨額の資本が動く現場と化して、美術の動向を考える場として有効に機能しなくなったため、国別展示ではなくテーマ展であるドクメンタの「世界最大の現代美術展」としての重要性が非常に高まった。 第5回以来、ディレクター(芸術総監督)が任命され、テーマや作家選定はディレクター個人に一任されることになり展覧会の訴えたい内容がより明確になった。特に第5回はハラルド・ゼーマン(1933年~2005年、スイス生まれ)が任命され話題となった回であった。彼は1969年にベルンで「態度が形になるとき」(When Attitudes Become Form)というコンセプチュアル・アートの伝説的な展覧会をまとめ上げた当時気鋭のキュレーターで、彼の監督した第5回はヨーゼフ・ボイスらを大々的に起用し多くのハプニングやパフォーマンスアートを実行させ「美術とは何か」を問うたドクメンタ史上最も美術界に対するインパクトが大きい展覧会であった。しかし観客の評判が悪く展覧会は赤字に終わり、カッセル市が彼を告訴するほどであった。以降、ディレクターの人選と手腕、打ち出すテーマが毎回賛否両論を呼ぶようになった。
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