北軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動北軍 | |
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Union Army | |
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活動期間 | 1861年–1865年 |
国籍 | ![]() |
軍種 | 陸軍 |
上級部隊 | 陸軍省 |
行進曲 | リパブリック讃歌 |
主な戦歴 | 南北戦争 |
著名な司令官 | エイブラハム・リンカン アンドリュー・ジョンソン ウィンフィールド・スコット ジョージ・マクレラン ヘンリー・ハレック ユリシーズ・グラント |
南北戦争当時、南部の11奴隷州がアメリカ合衆国から脱退し、アメリカ連合国の独立を宣言した。引き続きアメリカ合衆国にとどまった諸州は、アメリカ連合国よりも北に位置したため、その軍隊(陸軍・海軍)を日本語では北軍(ほくぐん)という。アメリカ連合国に対峙した、当時のアメリカ合衆国の代名詞としても使われている[要出典]。
アメリカ史では北軍・南軍という用語の代わりに、この時代のアメリカ合衆国を特にユニオン(Union)、その軍隊をユニオン軍という。ユニオンは20の自由州と5つの境界州から成った。ユニオンは西部のカリフォルニア州、オレゴン州、ネバダ州(1864年以降)を含み、中西部の州も含まれたが、一般には「北部」と呼ばれた[1]。(かつて日本ではアメリカ連合国を南部連盟と呼び習わしていたが、連合国と連盟の原語はどちらも「Confederacy/Confederation」であり、「Union」の日本語は通常「連合」であることから、混乱を避けるため、北軍を言い換える際には「連合軍」という訳語を用いず「ユニオン軍」とする。)
概観
法的に「Union」の用語は連合規約の「Perpetual Union(永遠の連合)」から来たものである。また、当時も今も合衆国の公共の対話では、新しい州は「 admitted to the Union」(連合に認められた)とのように表現され、そして大統領の議会および国民に対する一般教書演説は「State of the Union address」と表現される。南北戦争前でさえ「preserve the Union」(連合を維持する)のフレーズは一般的なものであり、「 union of states」(州の連合)はアメリカ合衆国全体を指すものとして使用されていた。非分離論者側が使用する「Union」の用語は、既存の国家の継続として合法性を持つものとしての意味があった。
南北戦争の間、連邦政府に忠実な人々および境界州、南部州に居住する反脱退論者は「Unionists」(ユニオニスト)と呼ばれた。南部同盟の軍人達はしばしば彼らを「ホームメード・ヤンキース」と呼んだ。しかしながら、南部のユニオニストは必ずしも北部と同調して脱退に反対するのではなく、実際には南部同盟を支持した。
それでも、およそ12万人の南部のユニオニストが南北戦争の間、北軍に加わって従軍した。そして、ユニオニスト連隊はあらゆる南部州で立ち上げられた。南部のユニオニストは反ゲリラ部隊として、北軍によって占領された連合国領域を管理するために手広く使用された。南北戦争以来「北 」(Northern)という用語はユニオンと同義として広く使用されている。「ユニオン」は通常「合衆国」(United States)が紛らわしい状態、「連邦」( Federal)が曖昧な状態、または「ヤンキー」(Yankee)が時代遅れ、軽蔑的な場合で使われる。
ユニオンは対する南部同盟と比較すると、工業化が進み、南部よりもずっと市街化されていた。北部州は南部州のおよそ5倍の白人人口を擁した(北部2,300万、南部500万)。人口と産業における優位性が南北戦争における北軍の勝利の重大な要素であった。
北部諸州
アメリカ合衆国にとどまった州は以下の通り:
* 境界州:ケンタッキーとミズーリでは、親脱退派が南部への賛意を表明し、連合国への参加を宣言したが、北部と南部それぞれに参加を宣言した勢力が存在した。
ワシントンD.C.はアメリカ合衆国連邦政府直轄地であるため従って北軍アメリカ合衆国に留まることとなった。開戦時点では境界州の如く奴隷制度が存続していたが、戦時中の1862年4月16日に奴隷制度廃止となった。
カンザスは脱退の危機が始まった後の1861年1月29日に北部へ加わったが[2][3]、サムター要塞の戦いの前であった。ウェストバージニアはバージニアから分離し、1863年6月20日に北部に加わった。ネバダも戦時中に北部に加わり、1864年10月31日に州に昇格した。現在ネバダ南部の部分はニューメキシコ準州の一部であった。
注
- ^ “Second Inaugural Address of Abraham Lincoln”. 2011年8月13日閲覧。
- ^ Today in History: January 29
- ^ Kansas Seal
参照
- Current, Richard N. (1994). Lincoln's Loyalists: Union Soldiers from the Confederacy. Oxford, England: Oxford University Press. ISBN 0-19-508465-9
- Mackey, Robert R. (2004). The UnCivil War: Irregular Warfare in the Upper South. Norman, OK: University of Oklahoma Press. ISBN 0-8061-3624-3
外部リンク
- Pro-Union Southerners
- Southern Unionists - from a history of the 1st Alabama Cavalry, U.S. Volunteers
「北軍」の例文・使い方・用例・文例
- (南北戦争の)北軍と南軍.
- 北部連盟軍, 北軍.
- 南北戦争中(1863年)にユリシーズ・グラント指揮下でフッカー、トーマス、シャーマンが率いる北軍がブラグストン・ブラッグ率いる南軍を破り決定的勝利を得た
- 南北戦争の北軍勢力を意味するのに使用される(青いユニフォームを着用した)
- アメリカ南北戦争中の米国北部と北軍に忠実な人々である、または、アメリカ南北戦争中の米国北部と北軍に忠実な人々に関係がある
- 南北戦争中の北軍
- 北軍のすぐれた算段が好ましい方向へ進んだ
- 米国の辺境の住民で、1840年代にフレモントの遠征を誘導して、北軍の司令官として南北戦争で働いた(1809年−1868年)
- 米国の金融家で、北軍の債券を売買し、アメリカ南北戦争に融資した
- 米国の海軍大将で、アメリカ南北戦争の時に北軍の船を率いた(1801年−1870年)
- 米国の北軍の将軍で、ロバートE.リーによりチャンセラーズヴィルで破られた(1814年−1879年)
- 米国の将軍で、ゲティスバーグの闘争の北軍の責任者(1815年−1872年)
- 米国の将軍で、西部における全北軍の指揮官であった
- 一方,リンカーンの長男,ロバート(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)は両親の強い反対にもかかわらず,北軍に志願する。
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