ミシシッピ川流域戦線
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南北戦争のミシシッピ川流域戦線(英:Trans-Mississippi Theater of the American Civil War)は、アメリカ合衆国のミシシッピ川から西の地域で北軍と南軍が激突した戦線[1]であり、海軍の交戦も含まれる。南北戦争の主戦場となった東部戦線や西部戦線とは地理的に離れていたので、小規模の戦闘が行われただけで、戦争全体の趨勢にはほとんど影響していない。南軍はあちこちで攻勢を試みたが、この方面に大きな戦力を割くことができず、最終的にはテキサス州1州のみが残った。
- ^ 東部や西部に比較してこの戦線は連続性が薄いので戦域と称する方が適当かもしれない。他の4戦線に合わせて、ここでは呼称を統一した。
- ^ U.S. National Park Service, Civil War Battle Studies by Campaign
- ^ パイクスピークはコロラド州の高峰。ここでは北軍のこと。
- ^ Prushankin, p. 233.
- ^ “Civil War Sites in Oklahoma”. National Park Service. 2008年8月10日閲覧。
- ^ a b American Civil War Resource Database
- ^ Confer, Clarissa. The Cherokee Nation in the Civil War (University of Oklahoma Press, 2007) pg.4
- 1 ミシシッピ川流域戦線とは
- 2 ミシシッピ川流域戦線の概要
- 3 テキサス州およびルイジアナ州
- 4 関連項目
ミシシッピ川流域戦線
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「アルフレッド・プレソントン」の記事における「ミシシッピ川流域戦線」の解説
プレソントンは1864年にミシシッピ川流域戦線に転属となり、ミズーリ州中央地区軍とセントルイス地区軍を指揮した。ウェストポート、バイラムズフォードおよびメルダジーンで南軍のスターリング・プライス将軍を破り、西部における最後の南軍による脅威(プライスの襲撃)を終わらせた。1865年3月13日、ミズーリ州における作戦行動で正規軍の准将に名誉昇進し、戦争全体の功績で少将に名誉昇進した。
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