ファイブフォークスの戦いとは? わかりやすく解説

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ファイブフォークスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 15:23 UTC 版)

ファイブフォークスの戦い(英:Battle of Five Forks)は、南北戦争の最終盤1865年4月1日アポマトックス方面作戦の一部としてバージニア州ピーターズバーグの近くディンウィッデイー郡で行われた戦いである。この戦闘は南軍の最終的敗北を決定付けたという意味で、時として「南軍のワーテルロー」と言われることもあり、北軍フィリップ・シェリダン少将が、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍ジョージ・ピケット少将と戦った。この戦闘でピケットが敗北したことで、リーがピーターズバーグ周辺の塹壕線を放棄する決断を下す引き金となり、撤退を始めた後の4月9日アポマトックス・コートハウスで降伏することに繋がっていった。




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ファイブフォークスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:41 UTC 版)

第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「ファイブフォークスの戦い」の解説

「ファイブフォークスの戦い」も参照 決戦となったファイブフォークスの戦いは1865年4月1日ピーターズバーグ南西、ディンウディ郡のファイブフォークスにある道路交差点周辺起こったファイブフォークス南軍残され補給線に導く重要な交差点だった。フィリップ・シェリダン少将全軍指揮歩兵第5軍団指揮するガバヌーア・ウォーレン少将の下に歩兵騎兵砲兵組み合わせた北軍タスクフォースが、ジョージ・E・ピケット少将フィッツヒュー・リー少将騎兵軍団指揮の下に組み合わされ北バージニア軍タスクフォース破った北軍南軍に1,000名以上の損失を出させ、少なくとも2,400名を捕虜に取って重要なサイスサイド鉄道支配するファイブフォークス確保した北軍損失戦死103名、負傷670名、不明57名で、合計830名だった。 3月31日夜に北軍歩兵第5軍団戦場接近してきたので、ピケットは約6マイル (9.7 km) 後退しファイブフォークスホワイトオーク道路スコット道路、ディンウィディ・コートハウス道路フォード道路北側)の交差点両側半分ずつ跨った、全長1.75マイル (2.82 km) のそこそこに強化され前線まで退いたリー将軍はその地点戦略的重要さ考えピケット何としてもファイブフォークスを守るよう命令したファイブフォークスでは、4月1日午後1時頃に北軍の攻撃始まりシェリダン騎兵隊南軍前線前面右側面を攻撃した。それはトマス・デビン准将とジョージ・アームストロング・カーター准将(名誉少将)の師団からほとんど下馬した兵士小火器よるものだった。南軍胸壁外側直ぐにある隠れた位置からの攻撃だった。この攻撃南軍釘づけにしている間に、第5軍団歩兵大半が、南軍左側面に攻撃集中したシェリダン日中太陽光がどの程度残っているか、また騎兵弾薬尽きかけているのではないかを心配しながら、歩兵部隊午後4時15分頃に攻撃させた。ピケットフィッツヒュー・リーは、その日のこんな遅い時間シェリダン攻撃をかけさせそうにはなく、またリー将軍が、北軍歩兵部隊攻撃するために動いてくれば援軍送ってくれると考えたので、ホワイトオーク道路の主前線の北約1.5マイル (2.4 km) でシャッド焼いた遅い昼食を摂っていた。間を隔てた深く湿地のあると、音響陰影効果のために、この2人指揮官近く戦闘始まった音を聞き損じていた。ピケットリーは彼らの不在について次の位にある士官誰にも指示出しておらず、それらの部下暫定的に任務にあたっていた。ピケット戦場到着したときには、その前線崩壊しており、とても再編成できる状態ではなかった。 北軍歩兵2個師団情報誤っており、また偵察不足していたので、うまく南軍左側面を攻撃できなかったが、その動き偶然に前線の端と後方から出現することで南軍前線取り囲むになったロメイン・B・エアーズ准将第1師団の攻撃だけで南軍前線左端にあった短い直角に曲げられ前線圧倒したシェリダン自身指導力兵士鼓舞し、その標的集中させることができた。チャールズ・グリフィン准将師団南軍左翼通り過ぎていた状態から復帰し修正されていた南軍の防御線を包囲することに貢献したサミュエル・W・クロウフォード准将(名誉少将)の師団主戦場の北を横切ったフォード教会道路閉鎖してからファイブフォークス殺到し南軍歩兵部隊最後の抵抗線を崩壊させることに貢献した北軍騎兵部隊はあまり成功していなかった。南軍騎兵隊押し返していたが、その大半逃亡した南軍歩兵部隊多く戦死負傷あるいは捕獲されたのとは対照的だった北軍ウォーレン少将実際速度欠けていたこと、熱心さや指導力無かったことと、シェリダンとの間に過去蟠り個人的な紛争があったこともあって、この戦闘終わらせることになる最後英雄的な突撃を自ら率いたにも拘わらず戦闘勝利終わった時にシェリダンウォーレン不当に第5軍団長から解任した。この戦闘終わった時に北軍ファイブフォークスサウスサイド鉄道に通る道路確保した

※この「ファイブフォークスの戦い」の解説は、「第三次ピーターズバーグの戦い」の解説の一部です。
「ファイブフォークスの戦い」を含む「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事については、「第三次ピーターズバーグの戦い」の概要を参照ください。

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