アンティータムの戦いとは? わかりやすく解説

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アンティータムの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/12 00:55 UTC 版)

アンティータムの戦い(アンティータムのたたかい、英:Battle of Antietam、またはシャープスバーグの戦い(Battle of Sharpsburg、特に南部での呼び方))は、南北戦争の中盤1862年9月17日メリーランド方面作戦の一環としてメリーランド州シャープスバーグ近く、およびアンティータム・クリークで行われた戦闘であり、北部の大地で行われたことでは南北戦争で初めての主要会戦であった。両軍合わせて約23,000名の損失があり、合衆国の歴史の中でも単一日の戦闘として最も流血の多い戦闘となった[1]


  1. ^ McPherson, p. 3.
  2. ^ NPS.
  3. ^ メリーランドは合衆国に残ったものの奴隷州であり、南軍が侵攻して北軍を追い出す事ができればメリーランドを南部連合に引き込む事ができる可能性すらあるとリー自身ディヴィス大統領に説明していた。Palmer, pp. 16
  4. ^ Sears, pp. 65-66; McPherson, pp. 88-95.
  5. ^ Palmer pp. 21.
  6. ^ Sears, p. 112; McPherson, p. 108.
  7. ^ 敵軍が12万もの大軍だと思っていたせいと、この書類が実はリーの罠ではないかと疑っていたせいだと言われている。Palmer, pp. 28
  8. ^ McPherson, pp. 110-12.
  9. ^ Eicher, p. 337. 公式記録を含み大半の歴史書はこれらの組織を軍団と呼ぶが、その呼び方はメリーランド方面作戦の終わった後の1862年11月6日までは、正式なものではなかった。ロングストリートの部隊は右翼と呼ばれ、ジャクソン部隊は左翼と呼ばれた。
  10. ^ Eicher, p. 338.
  11. ^ Bailey, p. 60.
  12. ^ Bailey, p. 63.
  13. ^ Sears, p. 181.
  14. ^ a b Wolff, p. 60.
  15. ^ Sears, p. 190.
  16. ^ a b Wolff, p. 61.
  17. ^ Bailey, pp. 71, 73.
  18. ^ Bailey, p. 71.
  19. ^ Bailey, p. 75.
  20. ^ Bailey, p. 79.
  21. ^ Bailey, p. 81.
  22. ^ Bailey, p. 70.
  23. ^ Bailey, pp. 79-80.
  24. ^ Armstrong, pp. 3-27; Sears, pp. 221-30; Eicher, pp. 353-55; Wolff, pp. 61-62.
  25. ^ Armstrong, pp. 39-55.
  26. ^ Kennedy, p. 120.
  27. ^ Bailey, p. 93.
  28. ^ Bailey, p. 94.
  29. ^ Wolff, p. 63.
  30. ^ Bailey, p. 99.
  31. ^ Bailey, p. 100.
  32. ^ Bailey, pp. 101, 103.
  33. ^ Sears, p. 242.
  34. ^ Bailey, p. 102.
  35. ^ Sears, p. 254.
  36. ^ Bailey, p. 108.
  37. ^ Bailey, pp. 108-9.
  38. ^ Bailey, p. 141.
  39. ^ Jamieson, p. 94. マクレランは、フッカーとマンスフィールドの攻撃が撃退された後の9時10分に命令を発しており、第6軍団が戦場に達し予備隊の配置に付くまで待たせた。
  40. ^ Wolff, p. 64.
  41. ^ a b Douglas, p. 172.
  42. ^ Eicher, 359-60; Sears, p. 260; Wolff, p. 64.
  43. ^ Tucker, p. 87.
  44. ^ Sears, p. 263.
  45. ^ Bailey, p. 120.
  46. ^ Sears, pp. 264-65.
  47. ^ Sears, pp. 266-67; Bailey, pp. 125-26.
  48. ^ Sears, p. 276.
  49. ^ Bailey, p. 131.
  50. ^ Bailey, pp. 133-36.
  51. ^ Bailey, pp. 136-37.
  52. ^ Sears, pp. 291-92.
  53. ^ Sears, pp. 294-96. 南軍の損失は推計; McPherson, p. 129. マクファーソンは南軍の損失を、戦死が1,546名から2,700名の間、損失計は7,752名から9,024名の間としている。また両軍の負傷者のうち2,000名以上がその傷が故で死んだと報告した。
  54. ^ アンティータムは時に全アメリカ史の中でも最も流血の多かった日とされるが、1900年のガルベストン・ハリケーンの死者はかなり多かった。アメリカ史で最も損失が大きかった戦闘はゲティスバーグの戦いであったが、その46,000名以上の損失は3日間にわたるものであった。アンティータムは南北戦争の中での損失数でいうと5番目にあたり、その上位にはチカマウガの戦いチャンセラーズヴィルの戦いおよびスポットシルバニアの戦いが来る。
  55. ^ Sears, p. 296.
  56. ^ Bailey, p. 67.
  57. ^ McPherson, p. 155.



アンティータムの戦い

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アンブローズ・バーンサイド」の記事における「アンティータムの戦い」の解説

メリーランド方面作戦開始となったサウス山の戦いでは、ポトマック軍の「右翼」(第1軍団第9軍団)の指揮与えられたが、アンティータムの戦いでは、マクレランがこれを分けてそれぞれ北軍両端配置したので、バーンサイドはまた第9軍団のみの指揮官戻ったバーンサイド暗に高い権威諦めることを拒み先ずジェシー・リー・リノ少将を(サウスマウンテンで戦死)、次にジェイコブ・D・コックス准将軍団指揮官として待遇し命令軍団長通して軍団伝えた。この煩わしい手配のために、北軍前線南側側面にあってバーンサイド」と今も呼ばれる攻撃やそれを渡るときに動き鈍くなってしまった。 バーンサイドはその地域適切な偵察行わず、その部隊は敵の射程入らない所で容易に川を渉れる利点活かす代わりに高台陣取る南軍狙撃手支配されている狭い渡って何度も突撃することを強いられた正午までに、マクレラン辛抱できなくなったマクレラン何度もバーンサイド前進する気持ちにさせるよう伝令送った。ある副官には「彼に犠牲1万になっても今行かねばならない」と伝えるよう命令した監察長官デロス・B・サケット大佐派遣してバーンサイド対決させることで圧力を掛けていったが、バーンサイド憤然としてマクレランは、私がこのを落とすために最善尽くしていないと考えているようだあなたは今朝同じ命令持って私の所にきた3人目あるいは4人目だ」と答えた。この攻撃の遅れによって、南軍A・P・ヒル少将師団ハーパーズ・フェリーから駆け付け北軍突破に対して反撃することを許したマクレランバーンサイド援軍要請拒み戦い戦術的行き詰まりのままに終わった

※この「アンティータムの戦い」の解説は、「アンブローズ・バーンサイド」の解説の一部です。
「アンティータムの戦い」を含む「アンブローズ・バーンサイド」の記事については、「アンブローズ・バーンサイド」の概要を参照ください。

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