ポトマック軍とは? わかりやすく解説

ポトマック軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/23 17:07 UTC 版)

ポトマック軍(Army of the Potomac)は、南北戦争東部戦線における北軍の主力となった「」。なお、ポトマック軍の名称は、戦争初期に南軍でも使われたが、後にロバート・E・リー将軍の指揮で有名となる北バージニア軍に改称されている。


  1. ^ 当時の北軍は「Department(軍管区と仮訳)」と言う用語を用いているが、これは複数の師団・旅団・連隊等からなる一定方面を担当する部隊を意味し、現代の用語では「軍団」に近い。但し、北軍が「軍団」制を採用するのは翌年である。
  2. ^ Beatie, p. 480.
  3. ^ 第9軍団の軍団長は元ポトマック軍司令官のバーンサイドであり、バーンサイドは後任であるミードの指揮下に入ることを拒んだ。このため第9軍団はグラント直轄という変則的な形となった。


「ポトマック軍」の続きの解説一覧

ポトマック軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 03:52 UTC 版)

ジョセフ・フッカー」の記事における「ポトマック軍」の解説

1863年1月26日、ポトマック軍の新し指揮官は「ファイティング・ジョー」フッカーだった。フッカー評判前任者おそろしく欠けていた攻撃性ということだったので、軍隊一部はこの異動避けられないものと見ていた。フッカーはこの昇進を最高の控えめさでは受けなかった。彼は戦時の国は独裁者支配するのが最良と言ったといわれている。リンカーン次の様に応えた。 私は、貴方が最近軍隊政府独裁者を必要とすると言った聞いたし、それは信じられるところである。もちろん私が貴方を指揮官にしたのはそのためではなく、そうさせないためである。成功した将軍達だけが独裁者作り上げることができる。今貴方にお願いすることは軍事的な成功であり、独裁制リスク賭けている。 1863年春の間、フッカー傑出した管理者として評判確立しバーンサイドの下でさらに低下していた兵士士気取り戻させた。彼が変えたことは、軍隊日々の食事修正宿営所の衛生状態改善補給制度改良会計責任中隊料理人追加監視幾つかの病院改善、さらに賜暇制度改良(1中隊につき一人10日輪番制)といったことがあった。他にも増加する脱走止めるという必要性対処するもの(リンカーンからの命令もあり、到着する郵便検閲脱走者射殺する権限改良され監視線)、訓練の量と質の増加強力な士官訓練高レベル命令交換、および初め連邦騎兵隊単一軍団組織化したことがあった。フッカーはその再生され軍隊について次のように語った。 私はこの惑星最良軍隊持っている。私はこの世最良軍隊持っている。...もし敵が逃げなければ神が助けてくれる。リー将軍に神のお慈悲を。私はそんなもの持っていないから。 しかし「ファイティング・ジョー」は将軍達とその参謀部下にとって悪い例も示したファルマスにあったその本部は「酒場売春宿」の組み合わせであると言われた。彼はダニエル・バターフィールド悪名高い政治家将軍ダニエル・シックルズを含む忠実な政治的取り巻きネットワーク作り上げた。 その春から夏にかけてのフッカー作戦優美期待持てるのだった。まず騎兵軍団を敵の後方深く送り込み補給線混乱させ、主力部隊攻撃から気を逸らせることだった。ロバート・E・リーのかなり小さな軍隊フレデリックスバーグ釘付けにし、一方でポトマック軍の大半迂回行動取ってリー軍を後方から叩くというものだったリー軍を打ち破れリッチモンド占領可能だったフッカー北軍にとって不幸だったのは、その作戦の実行作戦自体優雅さと合わなかったことだった。ジョージ・ストーンマン准将指揮する騎兵隊襲撃慎重に行われ、その目標したもの辿り着かなかった。迂回行動十分にうまくいって戦略的な急襲ができたが、5月1日に敵と接触したという第一報入ったときにフッカーその度胸を失ってしまった。リー軍の後方攻勢を採るよりもチャンセラーズヴィルというちっぽけな交差点町周辺自軍後退させてしまい、リー軍が攻撃してくるのを待ったリー大胆にその小さな自軍2つにわけて、フッカー軍の両方部隊対処させた。その後、さらに自軍分けてストーンウォール・ジャクソン軍団迂回行動をさせ、フッカー無防備な右翼を衝かせ、第11軍団崩壊させた。ポトマック軍は防戦一方になり、結果的に退却強いられたチャンセラーズヴィルの戦いは「リー完璧な戦い」と呼ばれてきたが、これは大胆な戦術大部隊の敵に打ち勝つ能力によっていた。フッカー失敗一部は、大砲弾との間一髪遭遇帰せられる可能性がある。フッカー本部玄関立っているときに、砲弾がもたれ掛かっていた木製直撃しフッカー倒れて意識失いその日残り何の行動取れなかった。それだけ何もできない状態にも拘わらず一時的に指揮官ダライアス・コウチ少将指揮を渡すという懇請拒んだコウチヘンリー・W・スローカム少将含みその部下将軍達数人公然とフッカー指揮官として決断疑問呈したコウチ大い嫌気差して、再びフッカーの下に就くことを拒んだその後の数週間政治的な嵐が吹き、もしリンカーン自分でそうしなければ将軍達が自らフッカーをその地位から追い落とそう画策した。 6月ロバート・E・リー再度北部への侵攻開始しリンカーンフッカーリー追撃して打ち破るよう督励したフッカー当初作戦その代わりリッチモンド占領することだったが、リンカーンはそのアイディア即座に否決し、ポトマック軍は北に動いてシェナンドー渓谷滑り出てペンシルベニア州を覗うリー北バージニア軍所在突き止めようとした。フッカー任務はまずワシントンD.C.ボルティモアを守ることであり、第2にリー抑えて打ち破ることだった。不幸なことにリンカーンフッカー抱いていた信頼もほとんど無くしていた。フッカーハーパーズ・フェリー防衛軍の状態について本部論争及んだ時、衝動的に辞任言い出し、それが直ぐにリンカーン総司令官ヘンリー・ハレック認められた。6月28日南北戦争頂点となるゲティスバーグの戦い3日前にフッカー解任されジョージ・ミード少将が後を継いだフッカーゲティスバーグ方面作戦開始当たってその役割対す連邦議会からの感謝状受けたが、その栄誉ミード渡った

※この「ポトマック軍」の解説は、「ジョセフ・フッカー」の解説の一部です。
「ポトマック軍」を含む「ジョセフ・フッカー」の記事については、「ジョセフ・フッカー」の概要を参照ください。

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