チャンセラーズヴィル
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「ドッドソン・ラムスール」の記事における「チャンセラーズヴィル」の解説
チャンセラーズヴィルの戦いでは、1863年5月2日に北軍右翼に対するジャクソンの有名な側面攻撃で旅団を率いた。ジャクソンが致命傷を負った後でJ・E・B・スチュアート少将が一時的な軍団長となり、その旅団の攻撃的な猛攻に対して万歳三唱を命じ、ラムスールの少将昇進を推薦した。しかしこれは翌年まで実現しなかった。ラムスールの旅団は他の旅団の前にあまりにも早く動いてしまって敵の攻撃に曝され、弾薬も尽きてしまうという結果になったので、実際には過度に攻撃的な行動だった。その得た陣地を確保するために隣接する旅団から大急ぎで援軍を差し向ける必要があった。ラムスールの旅団はこの戦闘で50%以上という高い損失率を出し、他の南軍旅団よりも高い数字だった。翌日、ラムスールは再度、このときは足を負傷した。リー将軍は戦闘後にラムスール旅団について次のように書いた。 私は、その旅団が傑出した働きをし損失もひどかったその旅団と連隊の指揮官達が軍隊とチャンセラーズヴィルの戦いにおけるそれぞれの階級の中でも最良のものと考えており、ラムスール将軍はジャクソン中将が負傷した後で私に送られた伝言でも、その行動が特に私の注意を引いた者の一人である。 — ロバート・E・リー、チャンセラーズヴィルの公式報告書
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