対戦した戦力と作戦とは? わかりやすく解説

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対戦した戦力と作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 10:23 UTC 版)

チャンセラーズヴィルの戦い」の記事における「対戦した戦力と作戦」の解説

チャンセラーズヴィル方面作戦南北戦争中でも最大級一方的な結果になる可能性があった。作戦の開始時点北軍戦場出せ実効勢力133,868名を数えた対す南軍はほぼその半分以下である60,892名だった。さらに、北軍物資をしっかり補充し数ヶ月動いていなかったので休養十分だった一方リー軍は物資不足し部隊バージニア州中に散開していた。ジェイムズ・ロングストリート中将指揮する北バージニア軍第1軍団15,000名は、バージニア半島モンロー砦ニューポートニューズ駐屯する北軍からのリッチモンドさらにはノーフォークサフォーク対す脅威対処するために、ノーフォーク近く駐屯していた。北軍動かない時期続いたこともあって、3月遅くまでにロングストリート主要任務北バージニア軍新し食糧調達部として行動すること、すなわちノースカロライナ州バージニア州農夫農園主からリー軍のための食糧請求することに変わっていた。その結果ロングストリート配下ジョン・ベル・フッド少将ジョージ・ピケット准将の2個師団リー軍から130マイル (210 km) 離れており、危急場合にも1週間上掛かって到着する可能性があった。リー1年間近く指揮執り続けた後で、これらの部隊直接支配から引き離したことは、その重大な計算ミスであったリーはそれら部隊呼び戻せると期待していたが、実際にはその勢力で劣る北バージニア軍救援のためには間に合わなかった。 さらに重要なことは、それまで北軍ポトマック軍指揮官が行ったよりも優れた作戦のもとに戦い始められたことだった。G・Hシャープ大佐指揮した北軍軍事情報局の完璧な調査によって、リー北バージニア軍勢力、その組織、さらにどこに配置されているかまで北軍の指揮官はこれまでより遥かに正確に掴めていた。捕虜脱走兵コントラバンド戦利品奴隷)および逃亡者といった通常の情報源問い質して集めた情報とは別に情報局歩兵隊騎兵隊偵察部隊陸軍信号司令部信号場および熱気球部隊による観測含めた情報源からの情報初め総合させた。シャープ大佐軍隊から斥候募集し民間からスパイ入れてリー軍に潜入させ、直接情報局報告させた。この新しやり方で、以前ジョージ・マクレランポトマック軍指揮していたときにアラン・ピンカートンとその探偵達から得ていた荒っぽい過剰な推計よりも、直面する敵軍遥かに正確な情報フッカー手に入れることができた。フッカーはこのより現実的な情報武装し側面攻撃作戦立てたが、これはアンティータムの戦い最近フレデリックスバーグの戦い起こったような損失覚悟する正面攻撃避けることを期待するのだった北軍ラッパハノック川越しリー軍と向かい合っていた冬季宿営地フレデリックスバーグ周辺から出発したフッカー大胆なリー軍の挟み撃ち考え、4個軍団密かに北西行軍させ、それから南にラッパハノック川とラピダン川を渡って東に転じリー軍の後方襲わせることとした。残り軍団フレデリックスバーグ抜けてリー軍の正面攻撃することとした。一方ジョージ・ストーンマン少将指揮する7,500名ほどの騎兵隊南軍後方深く襲撃行いアメリカ連合国首都リッチモンドからフレデリックスバーグに繋がる鉄道沿った重要な補給基地破壊させ、リー軍の通信線補給線遮断することとした。この大胆攻撃的な作戦は後に「ストーンマン襲撃」と呼ばれた4月27日28日ポトマック軍の4個軍団が数箇所ラッパハノック川とラピダン川を渡り、その大半2つの川の合流点チャンセラーズヴィル小集落近く通過したチャンセラーズヴィルはオレンジ・ターンパイクとオレンジ木道交差点にあるフランシス・チャンセラー家が所有する大邸宅以外ほとんど無いような集落だった。一方ジョン・セジウィック少将指揮する別働隊30,000名以上はフレデリックスバーグラッパハノック川を渉り、ストーンマン騎兵隊リー後方地帯に向かうその動き始めたフッカーラッパハノック川の南にある深い森の「荒野」では実質的に騎兵隊有効でない考えたので、騎兵隊大半このようなやり方使ったために、その主力側面攻撃軍で活動できる騎兵隊は1個旅団を残すのみだった。南軍J・E・B・スチュアート少将指揮する騎兵隊は、常にリー情報を流す一方でフッカーには同じよう情報流れないようにすることで、迫り来る作戦行動重要な役割を果たすことになっていた。 5月1日までにフッカーは約70,000名をチャンセラーズヴィルその周辺集中させた。リーフレデリックスバーグにあるその作戦本部から、一般に認められる戦争の原則を破ることに決めて優勢な敵軍面前自軍2つ分け積極的な行動フッカー軍が自軍に対して十分に集中できる前にその一部攻撃して破ることを期待したリー重厚防御施したメアリーズ高地にウィリアム・バークスデイル准将の1個旅団を、またプロスペクトヒルにはジュバル・アーリー少将の1個師団12,000名を残してセジウィック軍団前進抵抗させ、ストーンウォール・ジャクソンには西に向かってリチャード・H・アンダーソン少将部隊合流して40,000名の軍隊となり、チャンセラーズヴィルフッカー軍に対処させることとした。南軍にとって幸いなことに、ラッパハノック川にそって厚いがこれら部隊西行隠しセジウィックには敵の意図つかめるまで攻撃待たせる選択をさせた。

※この「対戦した戦力と作戦」の解説は、「チャンセラーズヴィルの戦い」の解説の一部です。
「対戦した戦力と作戦」を含む「チャンセラーズヴィルの戦い」の記事については、「チャンセラーズヴィルの戦い」の概要を参照ください。

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