攻勢とは? わかりやすく解説

こう‐せい【攻勢】

読み方:こうせい

に対し積極的に攻撃をしかけること。また、その態勢。「敵軍に―をかける」「―に転じる」⇔守勢


攻勢

作者武田麟太郎

収載図書武田麟太郎全集 第2巻
出版社日本図書センター
刊行年月2003.1


攻勢作戦

(攻勢 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/18 05:29 UTC 版)

攻勢作戦(こうせいさくせん、: Offensive operations)は、を積極的に求め、一あるいは複数回にわたる攻撃を主とする作戦である。




「攻勢作戦」の続きの解説一覧

攻勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:41 UTC 版)

第766独立歩兵連隊 (朝鮮人民軍)」の記事における「攻勢」の解説

韓国軍退却に伴い766部隊549部隊、及び人民軍第5師団大きな抵抗遭遇する事もなく東部の国道に沿って着実に南進続けた。さらに他の全ての前線でも人民軍の攻勢は成功し韓国軍徐々に南部へ押し込んでいった。766部隊前進部隊として、東部山岳地帯経由して内陸部進んだ朝鮮半島東部では、その険し地形に加え劣悪な通信設備あまりに細い補給線韓国軍による抵抗を非常に難しくしていた。人民軍はこれを韓国軍弱点1つ見なしていたが、一方で攻略際に自らも同じ問題経験する事を認識していた。同時期第5師団及び周辺の2部隊は前進速度落として後方からの攻撃警戒して周囲の山岳地帯大規模な偵察部隊送り込むなど慎重に前進していた。しかし、こうした重すぎるほどの前進韓国側に軍を再編成する時間与え事に繋がってしまった。6月28日766部隊蔚珍から太白山脈に向けて浸透し日月山英語版)、英陽青松へと進んだ。彼らに与えられた任務釜山大邱通信途絶させる事であった当時大邱には崩壊の危機にある韓国軍支援するべくアメリカ陸軍上陸しようとしていたのである韓国軍第8師団23連隊蔚珍位置する3つの部隊足止めするべく前進開始した韓国軍人民軍の攻勢を足止めするべく様々な手段を投入したものの、各部隊山岳地帯分散してしまい、戦力集結を図ることが非常に難しくなってしまった。それでも第23連隊7月5日まで人民軍足止めする事成功する 7月10日766部隊第5師団から分離され占領地行政為に派遣されてきた官僚先遣隊合流する以後766部隊はさらに小部隊分割され任務に付いた7月13日各部隊盈徳から北へ40km地点平海里に到達した。 しかし次の週には韓国側激し抵抗遭遇し、さらに国連軍による航空支援始まった為、766部隊および人民軍第5師団南進滞った一方で東部側面依然として人民軍支配下にあり、7月24日には旌善および安東方面から浦項向けた攻勢が始まった東部側面展開していたのは人民軍第12師団英語版であった。これに対向する形で行われた国連軍による航空支援艦砲射撃人民軍前進速度低下させると共に補給線破壊した為、人民軍韓国側民間人からの強制的な物資徴集を行うようになる

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攻勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 04:12 UTC 版)

ノルトヴィント作戦」の記事における「攻勢」の解説

1945年1月1日ドイツ軍G軍集団司令官ヨハネス・ブラスコヴィッツ)、オーバーライン軍集団司令官ハインリヒ・ヒムラー)らはアメリカ第7軍の110Kmに薄く広がった防衛線大規模攻撃を行うよう命じられた。ノルトヴィント作戦発動により、アメリカ第7軍戦力不足でひどい苦境立たされた。アメリカ第7軍連合軍総司令官ドワイト・D・アイゼンハワー命令で「バルジの戦い」に関連するアルデンヌアメリカ軍補強するために、北方へ部隊器材軍需品送り込んでいた。 ドイツ軍ノルトヴィント作戦開始した同じ日、ドイツ空軍航空機1,000機を支援回したヨーロッパ北西部拠点置いていた連合軍空軍麻痺させるこの試みボーデンプラッテ作戦en)として知られている最初の攻撃G軍集団配下第1軍所属の3個軍団行われ1月9日同様に第XXXIX装甲軍団濃密関係していた。1月15日までに、少なくとも第10SS装甲師団、第7降下猟兵師団、第21装甲師団、第25装甲師団を含む17師団コルマール包囲された部隊も含む)がG軍集団オーバーライン軍集団から作戦関係していた。もう一つ小さな攻撃ストラスブール南のフランス軍に対して行われたが、これは最終的に阻止された。 ドイツ軍の攻撃直撃受けたアメリカVI軍団1月13日時点で3つの局面戦っていた。損害増え戦車弾薬、及び補給品不足する状況アイゼンハワーアメリカ第7軍破滅恐れ第7軍補強するために、100Kmはなれたアルデンヌ南東から急いで集められたぼろぼろ師団急行させた。彼らの到着は遅れ、1月21日アメリカ軍モーデル川南岸の防衛拠点まで撤退することを余儀なくされた。1月25日アメリカ軍増援アルデンヌから到着し始めると、ドイツ軍の攻撃終わり迎えた。そして、ストラスブール救われたが、コルマール包囲されたドイツ軍除かねばならない脅威であった

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攻勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:33 UTC 版)

ブダペスト攻勢」の記事における「攻勢」の解説

1944年10月より、ソビエト第2第3第4ウクライナ方面軍ハンガリーへと進撃したドイツ総統アドルフ・ヒトラー単独降伏行おうとしたハンガリーに対しパンツァーファウスト作戦発動ハンガリー占領したが、傀儡政権樹立ソ連軍の攻勢止められるわけもなく12月下旬にはソ連軍ブダペスト包囲攻撃開始壮絶な市街戦の末1945年2月13日ブダペスト陥落した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 20:08 UTC 版)

11日戦争」の記事における「攻勢」の解説

2月18日ドイツ軍オーストリア・ハンガリー軍は53師団率いて、3方向から攻勢を開始した北方軍プスコフからナルヴァへ、中央軍スモレンスクへ、南方軍キエフそれぞれ進軍した北方軍16師団から構成されており、攻勢の初日ダウガフピルス占領した。さらにプスコフにも進軍し2月28日にはナルヴァ占領した中央軍ドイツ第19軍第41軍団から構成されており、スモレンスクへと進軍した2月21日にはミンスク占領しロシア西方軍集団司令官捕虜とした。南方軍ロシア残存する南西方面軍集団突破し2月24日にはジトーミル占領した3月2日キエフ防衛されており、翌日にはウクライナ中央評議会の軍がキエフ到着した中央同盟軍大した抵抗もなく、1週間で240kmも前進したドイツ軍ペトログラードから160kmの地点まで進出したため、ソビエト首都ペトログラードからモスクワ遷都した。この戦いドイツの兵士ロシアの鉄道使って東に進出したため、鉄道戦争とも呼ばれている。ホフマン2月22日日記で以下のように記載している。 これは私の知っている中で最も滑稽な戦争だ。我々は機関銃持った僅かな兵士達野砲装備させて鉄道乗り次の駅へ急行した。そして多数ボリシェヴィキ捕虜捕らえた少なくともこのような前進はとても珍しく興味深いものだ。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/15 08:14 UTC 版)

大撤退」の記事における「攻勢」の解説

当初は大きな抵抗があったものの、1915年5月から7月ゴルリッツ=タルヌフ攻勢によって結果的にロシア軍戦線崩壊したマッケンゼンの軍はサン川渡りプシェムィシル奪還しロシア軍22日にはリヴォフ(現ウクライナリヴィウ)から撤退したこの時スタフカポーランド南部突出部から撤退しヴィスワ川沿いに新たな防衛線構築しようと計画した6月23日から27日の間、ドイツ軍ドニエストル川渡り新たに橋頭堡確保しようとしたが、ロシアの反撃により、7月初めには攻勢を停止したスタフカが更に心配していたのは、ドイツ第10軍ネマン軍が東部戦線北端クールラントから圧力をかけてくる事であったロシアこの地域の防御万全であるにもかかわらずこの地域にさらなる増援送ったロシア軍この地域で敗北しクールラントから押し返されたとき、スタフカドイツ軍補給能力過大評価しドイツ軍更なる侵攻開始される事を恐れたロシア軍警戒していたのは、北部の攻勢と南部新たな攻勢が開始されポーランド突出部完全に包囲されるであったドイツ海軍過大評価をしていたため、プスコフからペトログラード方面への攻勢時にペトログラードへの強襲上陸同時に行われる可能性考慮していた。 ゴルリッツ=タルヌフ攻勢により、ロシア100万の軍はおよそ30程度損害を受け、180万人戦力として不十分な軍はポーランド突出部晒されていた。 ロシア軍大砲機関銃ライフルを含む近代的な兵器あらゆる種類弾薬が、致命的なまでに不足していた。イギリス軍需大臣デビッド・ロイド・ジョージはこの状況を、「ロシア軍劣った装備物資欠乏についてはお答えできない撤退こそが全軍崩壊を防ぐための唯一の道である。」と述べたその時点でイヴァンゴロドグロドノ(現ウクライナフロドナ)、ドヴィンスク(現ラトビアダウガウピルス)、オソヴィエツ(ロシア語版英語版)に点在する時代遅れな要塞には相当数大砲備え付けられており、当時最新の大砲保有していた。これらの要塞活用することで消耗した歩兵部隊再編成しイヴァンゴロド-ルブリン-ヘウム間に新たな戦線形成できるチャンスがあった。 7月13日全戦線にて中央同盟国新たな攻勢が始まった7月17日中央北部のガルビッツの軍は80%の損害を被ったにも関わらず、8kmしか後退する事が出来なかったドイツ軍はさらに北のラトビアリトアニア進軍し13日グロドノ要塞占領したスタフカグロドノ要塞1週間持ちこたえるだろうと考えていた。さらにオーストリア・ハンガリー軍の攻勢が南部始まった時、即座に撤退しなければポーランド突出部包囲されるスタフカ判断し、ナレフ川(英語版)とヴィスワ川線上防御放棄して即座に撤退するよう命じた7月13日までに全南翼は160km押し返されており、ブク川まで退却していた。この時ロシア領内ポーランド議会放棄しワルシャワイヴァンゴロド要塞陣取った。7月22日中央同盟国ヴィスワ川渡り8月にはロシア第4軍イヴァンゴロド要塞放棄したロシア軍撤退によりワルシャワ孤立しドイツ第12軍8月4日5日ワルシャワ占領した。 さらにドイツ第8軍第10軍第12軍東プロイセンからロシア追い出そう南へ進軍しロシア前線はたちまち崩壊したロシア前線北端崩壊した結果開戦前東プロイセンロシアの国境ラインまで追い返された。 ドイツ軍適切な戦力増強行った後、8月25日ブレスト=リトフスク(現ベラルーシブレスト)を占領した9月19日にはヒンデンブルクの軍がリトアニア首都のヴィルニュスヴィリニュス)を占領した

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