攻勢の企図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:10 UTC 版)
「冬季攻勢 (1939-1940年)」の記事における「攻勢の企図」の解説
中国軍は1939年(昭和14年)6月から第二期整訓を実施しており、11月に完了を1ヵ月繰り上げ、12月上旬からこれらの部隊を主体とした「冬季攻勢」を中国の全正面で一斉に決行した。整訓部隊は第2、第3、第5、第9戦区に加入して主攻撃を実行し、その他の戦区では現有兵力が11月末から欺瞞攻撃で牽制をおこなった。攻勢の重点は華中方面に指向され、揚子江下流の遮断や漢口など重要都市の奪還が目標とされた。攻勢の発動にあたり蔣介石は、日本軍が大規模な攻勢作戦を行わなくなった一方で、中国軍の整訓が完了したことを好機として「守を転じて攻となす」との訓令を全軍に与えて激励している。
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