攻勢側の襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:22 UTC 版)
攻撃側の士気は非常に高く、サイゴンのアメリカ大使館は解放戦線側に一時占拠された。アメリカ特命全権大使や駐ベトナム米軍総司令官のウィリアム・ウェストモーランド大将は辛くも難を逃れた。 南ベトナム大統領官邸も解放戦線に襲撃されたが、こちらは南ベトナム軍側が防衛に成功した。やがてアメリカ軍と南ベトナム軍の爆撃によって攻勢側が確保した拠点の多くが奪還されていった。 北ベトナム軍総司令官のヴォー・グエン・ザップはテト攻勢には反対の立場であったが、他の北ベトナム軍幹部らや南ベトナム解放民族戦線に押し切られる形で、作戦を実行する事となった。南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍は、都市の密集した人口が盾となり南からの攻撃から守られると想定していたが、実際にはチョロン、フエ、ミトー、カントーはじめ都市部の人口密集地域にもアメリカ空軍とサイゴン政府空軍により猛爆が加えられ、民衆もろとも多大な犠牲を払うこととなった。
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