攻勢前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 06:56 UTC 版)
1944年のバグラチオン作戦の終了後、赤軍の戦線はバルト海沿岸のリガからワルシャワを経てヴィスワ川、カルパティア山脈に至るポーランドのほぼ中央に及んでいた。しかし、1944年末の時点で、開戦前のドイツ領のほとんどは、まだ第三帝国の支配下にあり、1945年1月12日、赤軍はヴィスワ・オーデルと西カルパティアへの更なる攻勢を開始した。(ヴィスワ=オーデル攻勢) シュレージエン(シレジア)の前線は、1月の攻勢の後に確立されており、その間、コーネフの軍はフリードリヒ・シュルツ(en)歩兵大将麾下のドイツ第17軍を、カトヴィッツ周辺のオーバーシュレージエンの工業地帯から掃討していた。2月に行われたニーダーシュレージエン(下シレジア)への攻勢作戦では、コーネフ軍の北翼がさらに前進し、ナイセ川まで迫っていた。しかし、南と東部のズデーテン山地周辺には、第17軍がまだ戦線を維持しており、赤軍のベルリン進攻に対する脅威となっていた。
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