攻勢の結果とは? わかりやすく解説

攻勢の結果

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:22 UTC 版)

テト攻勢」の記事における「攻勢の結果」の解説

南ベトナム事態は、メディア通じて世界報道された。特にテレビにより、生々しい映像その日のうちにアメリカ合衆国伝えられ世論大きな影響与えた。また南ベトナム国家警察総監グエン・ゴク・ロアン阮玉鸞)はサイゴン路上で、解放戦線捕虜グエン・ヴァン・レム(阮文歛)とされる人物拳銃即決処刑した。その残酷な場面は、カメラマンエディ・アダムズ撮影され世論衝撃与えたアダムズはこの写真(『サイゴンでの処刑』)、で1969年ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門受賞した軍事的に期待していた都市住民加勢得られなかった解放民族戦線側は損害大きさの割に成果少なく戦術的な面で見れば攻撃失敗であった。しかし、一時的にせよアメリカ大使館占拠され事態は、ベトナム戦争終結間近であると知らされていたアメリカ国民衝撃をもって受け止められた。アメリカ索敵撃滅農村平定という戦略遂行は、困難になった。 特に、フエチョロンその他デルタ地帯都市部への空爆実態なども、改め米国民の知るところとなり、アメリカ本土ベトナム反戦運動は非常に高まった。これにより、アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソンは、ウェストモーランド大将を駐ベトナム米軍総司令官の座から解任して陸軍参謀総長とし、次席司令官クレイトン・エイブラムス大将後任総司令官任命すると共に次期アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を自ら取り止めたこのような理由から、戦略的に解放戦線成功収めたといえるアメリカ反戦運動盛り上げジョンソン政権には大きな圧力加え結果的にアメリカ合衆国連邦政府継戦意思転機となったテト攻撃で、北ベトナム得た政治的成果大きかった当初攻勢反対意思示していたヴォー・グエン・ザップも、結果として戦略的成功である事を認めたと言われる以後アメリカは脱ベトナム政策の「名誉ある撤退」という方便模索するようになった

※この「攻勢の結果」の解説は、「テト攻勢」の解説の一部です。
「攻勢の結果」を含む「テト攻勢」の記事については、「テト攻勢」の概要を参照ください。

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