陸軍参謀総長とは? わかりやすく解説

陸軍参謀総長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 05:09 UTC 版)

陸軍参謀総長(りくぐんさんぼうそうちょう)は、陸軍軍人の最高位。

日本の陸軍参謀総長

各国の陸軍参謀総長

関連項目


陸軍参謀総長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「陸軍参謀総長」の解説

1930年大統領ハーバート・フーヴァーにより、アメリカ陸軍最年少50歳で参謀総長任命された。このポスト大将職であるため、一時的に大将昇進した1933年から副官には、後の大統領ドワイト・D・アイゼンハワー付きマッカーサーとアイゼンハワー今後大統領選にまで続く長くて有名な関係が始まったアイゼンハワーウェストポイント平均的な成績卒業していたが、英語力極めて優れており、分かりやすく構成しっかりした印象的な報告書作成することに長けていた。アイゼンハワーパーシング回顧録記述の手伝いをし、第一次世界大戦におけるアメリカ陸軍主要な公式報告書多く執筆したマッカーサーはこうしたアイゼンハワー才能報告書通じて知ると、参謀本部年次報告書などの重要な報告書作成任務のために抜擢したであったマッカーサーアイゼンハワー提出してきた報告書に、自らが直筆した称賛の手紙を入れて返したアイゼンハワーその手紙に感動して母親見せたが、母親はさらに感激してマッカーサーの手紙を額に入れて飾っていた。 前年の「暗黒の木曜日」に端を発した世界恐慌により、陸軍にも軍縮圧力押し寄せていたが、マッカーサー議会など軍縮求め勢力を「平和主義者とその同衾者」と呼び、それらは共産主義毒されていると断じ激し敵意むき出しにしていた。当時アメリカ陸軍世界で17番目の規模しかなく、ポルトガル陸軍ギリシャ陸軍と変わらなくなっていた。また兵器旧式であり、火砲第一次世界大戦時使用したものが中心で、戦車12両しかなかった。しかし議会さらなる軍事費削減をせまり、マッカーサー参謀総長在任時の主な仕事は、この小さ軍隊の規模を守ることになった1932年に、退役軍人団体恩給前払い求めてワシントンD.C.居座る事件ボーナスアーミー)が発生した全国から集まった退役軍人とその家族一時22,000名にも上った。特に思想性もない草の根運動であったが、マッカーサーは、ボーナスアーミー共産主義者扇動され連邦政府対す革命行動を煽っている、と根拠のない非難おこなった退役軍人らはテント村作ってワシントンD.C居座ったが、帰り交通費支給などの懐柔策で、少しずつであるが解散して行った。しかし、フーヴァーマッカーサー我慢強く待ったのにもかかわらず10,000名が残ったため、業を煮やしたフーヴァー大統領警察と軍に、デモ隊排除命令したマッカーサージョージ・パットン少佐指揮する歩兵騎兵機械化部隊合計1,000名の部隊投入し非武装無抵抗退役軍人らを追い散らしたが、副官アイゼンハワーらの忠告聞かずフーヴァーからの命令反し、アナコスティア川を渡河して退役軍人らのテント村焼き払い退役軍人らに数名死者多数負傷者生じさせた。マッカーサーは夜の記者会見で、「革命エーテル鼓舞され暴徒鎮圧した」と鎮圧行動は正当であると主張したが、やりすぎという非難の声は日増に高まることとなったマッカーサー自分への非難沈静化を図るため、ボーナスアーミーでの対応で非難する記事書いたジャーナリストのドルビー・ピアソンとロバート・S・アレン対し名誉棄損訴訟起こすが、かえってジャーナリストらを敵に回すことになり、ピアソンらは当時関係が破局していたマッカーサー恋人イザベル存在調べ上げると、マッカーサー大統領陸軍長官など目上に対して侮辱的な言動をしていたことや、私生活について情報イザベルより入手している。その後マッカーサーピアソンらは名誉棄損訴訟取り下げる代わりにスキャンダルとして記事にしないことやイザベル慰謝料を払うことで和解している。 フーヴァーボーナスアーミーでの対応の不手際や、恐慌対す有効な政策をとれなかったため、フランクリン・ルーズベルト大統領選歴史的大敗喫して政界去ったが、ルーズベルトフーヴァー同様に不況対策称して軍事予算削減方針であったマッカーサールーズベルトに「大統領は国の安全を脅かしている、アメリカ次の戦争負けて兵隊たちが死ぬ前に言う呪いの言葉大統領の名前だ」と辞任覚悟詰め寄るが、結局陸軍予算削減された。マッカーサールーズベルト進めニューディール政策には終始反対姿勢であったが、ルーズベルトニューディール政策一つとして行った CCC民間資源保存局)による失業者救済対し陸軍組織力指導力活用して協力し初期の成功大きく貢献している。 この頃マッカーサー公私ともに行き詰まり感じて自信喪失苦しんでおり、時々自殺ほのめかすときがあった。その度副官のトーマス・ジェファーソン・デービス(英語版大尉などがマッカーサー拳銃を置くように説得したが、ある日マッカーサーデービス公務一緒に汽車乗り、その汽車が、マッカーサーの父アーサー南北戦争時活躍した戦場付近通ったとき、マッカーサーデービスに「私は陸軍人生において、出来得る限りのことをやり終え今や参謀総長としての任期終わろうとしている。テネシー川鉄橋通過するとき、私は列車から飛び降りるつもりだ。ここで私の人生は終わるのだ」と語りかけてきた。このようなやりとりうんざりしていたデービスは「うまく着水できること祈ります」と答えると、マッカーサーばつが悪い思いをしたのか、荒々しくその客車出て行ったが、後ほどデービス感情的になっていたと謝罪している。 マッカーサー史上初の参謀総長再任希望しルーズベルトもまた意見合わないながらもその能力高く評価しており、暫定的に1年間参謀総長任期延長している。

※この「陸軍参謀総長」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「陸軍参謀総長」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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