南北戦争時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 10:16 UTC 版)
南北戦争直前の1860年、マギャヴィック一家の純資産は約339,000ドルで、2007年の貨幣価値では600万ドルに相当する。19世紀中期にマギャヴィックが中部テネシーで栽培した作物は小麦、とうもろこし、オート、干草、じゃがいもなどであった。マギャヴィック家はサラブレッド馬や家畜の飼育および繁殖も行なっていた。1864年11月30日、邸宅はフランクリンの戦いにおいて、1マイル(1.6km)弱しか離れておらず、負傷兵や死者の主要収容所となった。戦いのほとんどが17時から21時頃の暗い時間に行なわれたため、マギャヴィック一家は小春日和のフランクリンの日没の空に広がる火事、銃の発砲を目撃していた。 1,750名以上の南軍兵がフランクリンの戦いで命を落とした。フランクリンの戦いの数時間後、邸宅裏のポーチには4名の南軍上官のパトリック・クリバーン、John Adams 、Otho F. Strahl 、Hiram B. Granbury の遺体が並べられた。 6,000名の兵士が負傷し、その他1,000名が行方不明となった。戦いの後、フランクリンの多くの家が急遽野外病院となっていたが、カーントンがはるかに大きな野外病院となった。南軍の何百人もの負傷兵や死者がキャリー・マギャヴィックを含む一家の世話を受けた。調査によると奴隷小屋など他の小屋を含みカーントンだけで300名の南軍兵がマギャヴィック一家に手当てされたとされる。比較的軽傷の者は0度を下回る極寒の夜に屋外で寝泊りした。
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