南北戦争後の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/12 06:56 UTC 版)
「ピーターズバーグ (バージニア州)」の記事における「南北戦争後の歴史」の解説
南北戦争が終わった頃には、ピーターズバーグは一連の防御施設で取り囲まれていた。これら要塞などの多くはピーターズバーグ国立戦場公園、および隣接するディンウィッディー郡の中で保存されている。 1874年、ジェイムズ・M・ウィルカーソン・シニアがウィルカーソン請負会社という事業を興した。これがジェイムズ・M・ウィルカーソン葬祭事業会社として存続し、アメリカ合衆国でも最古の黒人が所有する会社となっている。 州中央精神病院とアメリカ陸軍需品科センターと学校のあったリー砦はピーターズバーグ近くに建設された。 ピーターズバーグ地域には、1882年にバージニア公立高等師範学校として設立されたバージニア州大学がある。これはアフリカ系アメリカ人の高等教育のために造られた最初の公的4年制大学(州が全面的運営)である。ジョン・マーサー・ラングストンが初代学長に選出された。ラングストンは成功した弁護士であり、オハイオ州で奴隷制度廃止運動家としてその経歴を始めた政治指導者だった。ワシントンD.C.にあるハワード大学の法学部長兼学長代行でもあった。1888年ラングストンは共和党公認でアメリカ合衆国議会議員に選出され、バージニア州では初の黒人連邦議員となった。またその後1世紀近くそのような例が無かった。
※この「南北戦争後の歴史」の解説は、「ピーターズバーグ (バージニア州)」の解説の一部です。
「南北戦争後の歴史」を含む「ピーターズバーグ (バージニア州)」の記事については、「ピーターズバーグ (バージニア州)」の概要を参照ください。
- 南北戦争後の歴史のページへのリンク