南北戦争前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 14:09 UTC 版)
「アーカンソー州の歴史」の記事における「南北戦争前後」の解説
1861年、他の南部諸州がアメリカ連合国(南部連合)を結成を宣言し、連邦との間に南北戦争が始まると、アーカンソー州政府は北部諸州が中心の連邦を脱退して、連合国に参加したが、ほどなく連邦軍の侵攻を受け、統治機構は崩壊した。 1865年にアメリカ連合国が降伏するとアーカンソー州地域は連邦の軍政下に置かれたが、レコンストラクションと呼ばれる一連の南部諸州再建政策により1868年には連邦への復帰が認められた。しかし州内の混乱は続き、1874年には州都リトルロックでブルックス・バクスター抗争(w:Brooks-Baxter War)が発生した。これは100人以上の犠牲者を出し、連邦のユリシーズ・S・グラント大統領が介入して、民選の州知事を追放した民兵集団を連邦軍が解体して決着した。これ以後、アーカンソー州は約100年間にわたり民主党が州知事を独占し、保守的な気風がさらに強まった。 また、内陸にあって工業製品の輸送に適さず、大消費地に発展した国内北部の大都市からは遠い同州において、工業化は長い間進まず、第二次世界大戦前後の1940年代から50年代にかけては州人口が減少した。なお、この戦争ではリトルロック出身のダグラス・マッカーサーが将軍としてフィリピン戦線で従軍し、1945年の戦争終結後は日本を占領統治する連合国軍最高司令官総司令部の最高司令官(GHQ/SCAP総帥)となった(1951年まで)。
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