南部連合とは? わかりやすく解説

アメリカ連合国

(南部連合 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/03 08:31 UTC 版)

アメリカ連合国(アメリカれんごうこく、英語: Confederate States of America, 略号:CSA)は、1861年から1865年まで存在した北米未承認共和国である[1][2][3]。1861年に分離独立を宣言してから、南北戦争アメリカ合衆国と争ったが、1865年に降伏してアメリカ合衆国に再び併合された。


注釈

  1. ^ a b ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト2世はイギリス女王のヴィクトリア王配アルバートの兄であったことから、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国によるCSAの承認自体がイギリスと連携した合衆国牽制の意思表示と見なされていた。
  2. ^ その法案に反対した議員の一人は「黒人が我々(白人)と同じように戦えると言うのであれば我々は何のために戦っているのか!」と言っている。黒人は白人より人種的に劣っているから奴隷にしても問題ない(と言うよりその方が黒人にとって幸せである)という南部の大前提が崩れてしまうからである。
  3. ^ 北部の方では終戦までに18万から20万もの黒人が北軍に入隊しており、一部の部隊は重要な戦闘にも参戦している。最初はそれぞれの州や将軍が独自に編成していたものだったが、数が増えてきたので1863年の5月22日に有色人種将兵局 (Bureau of Colored Troops) が新たに設置されている。

出典

  1. ^ Editors (1998年7月20日). “Confederate States of America”. Encyclopædia Britannica. 2019年6月25日閲覧。
  2. ^ Arrington. “Industry and Economy during the Civil War”. National Park Service. 2017年4月27日閲覧。
  3. ^ 国家承認したのはザクセン=コーブルク=ゴータ公国のみ。
  4. ^ a b Arrington, Benjamin P.. “Industry and Economy during the Civil War”. National Park Service. 2017年4月27日閲覧。
  5. ^ Editors (1998年7月20日). “Confederate States of America”. Encyclopædia Britannica. 2019年6月25日閲覧。
  6. ^ M. McPherson, James (1997). For Cause and Comrades: Why Men Fought in the Civil War. New York City: Oxford University Press. pp. 106. ISBN 978-0195124996. "Confederate soldiers from slaveholding families expressed no feelings of embarrassment or inconsistency in fighting for their own liberty while holding other people in slavery. Indeed, white supremacy and the right of property in slaves were at the core of the ideology for which Confederate soldiers fought." 
  7. ^ Stephens, Alexander (1998年7月). “Cornerstone Speech”. Fordham University. 2019年6月25日閲覧。
  8. ^ McPherson, James M. (2007). This mighty scourge: perspectives on the Civil War. Oxford University Press US. p. 65. ISBN 9780198042761. https://archive.org/details/isbn_9780195313666 
  9. ^ Thomas, Emory M. The Confederate Nation, 1861–1865 (1979) pp. 256–257.
  10. ^ Learn – Civil War Trust”. www.civilwar.org. 2017年8月27日閲覧。
  11. ^ Hacker, J. David (2011年9月20日). “Recounting the Dead” (英語). Opinionator. 2018年5月19日閲覧。
  12. ^ Davis, Jefferson (1890). Short History of the Confederate States of America. Belford co.. p. 503. https://archive.org/stream/ashorthistoryco00davigoog#page/n544/mode/2up/search/disappeared 2015年2月10日閲覧。 
  13. ^ David W. Blight (30 June 2009). Race and Reunion: The Civil War in American Memory. Harvard University Press. p. 259. ISBN 978-0-674-02209-6. https://books.google.com/books?id=3R-yvmpYaqAC&pg=PA259 
  14. ^ PRIDE OR PREJUDICE? Racial Prejudice, Southern Heritage, and White Support for the Confederate Battle Flag” (英語). academia.edu. p. 7. 2019年9月13日閲覧。
  15. ^ Ogorzalek, Thomas; Piston, Spencer; Strother, Logan (2017). “PRIDE OR PREJUDICE?: Racial Prejudice, Southern Heritage, and White Support for the Confederate Battle Flag” (英語). Du Bois Review: Social Science Research on Race 14 (1): 295–323. doi:10.1017/S1742058X17000017. ISSN 1742-058X. 
  16. ^ Richard Roll, "Interest Rates and Price Expectations during the Civil War", Journal of Economic History 32, Jun. 1972; George K. Davis and Gary M. Pacquet, "Interest Rates in the Civil War South", Journal of Economic History 50, 1990.


「アメリカ連合国」の続きの解説一覧

南部連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/23 05:13 UTC 版)

ジョージ・デイヴィス (アメリカの政治家)」の記事における「南部連合」の解説

1861年2月デイヴィスノースカロライナ州連邦離脱先立ちワシントン講和会議代表として選出された。会議では南北間の内戦回避するための妥協議論されたが、講和失敗に終わると、南部諸州により正式にアメリカ連合国発足したデイヴィスアメリカ連合国臨時議会の代表も務めその後連合国議会では上院議員務めたデイヴィス1862年から1864年まで2期わたって上院議員務め上院金融委員会上院海軍委員会上院請求委員会両院建築委員会委員務めた上院請求委員会では議長務めた1863年10月デイヴィス辞任したトマス・ワッツ後任としてアメリカ連合国司法長官への就任打診された。しかしながら病気の妻の死などの個人的事情によりその任を直ち受諾することはできず、司法長官ウェイド・キースによって代行された。デイヴィスその後1864年1月司法長官着任し連合国終焉迎え1865年4月まで司法長官務めたデイヴィス司法長官として徴兵令合憲性輸出および輸入に関する契約適法性政府による財産差し押さえ資材貯蔵に関する法的責任などの問題について、合計75意見書起草した南北戦争終結後デイヴィスフロリダ州からバハマ諸島経由してイギリスへ亡命することを試みた。だが数ヶ月間の逃亡の末、1865年10月18日フロリダ州キーウェストにおいて合衆国軍によって拘束された。デイヴィスニューヨーク州ブルックリンハミルトン砦に収容され、翌1866年恩赦を受け釈放された。

※この「南部連合」の解説は、「ジョージ・デイヴィス (アメリカの政治家)」の解説の一部です。
「南部連合」を含む「ジョージ・デイヴィス (アメリカの政治家)」の記事については、「ジョージ・デイヴィス (アメリカの政治家)」の概要を参照ください。


南部連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/27 10:37 UTC 版)

ウィリアム・モンタギュー・ブラウン」の記事における「南部連合」の解説

1861年ブラウン友人ハウエル・コブとともにジョージア州アセンズ移った。そしてアメリカ連合国臨時議会開催されアラバマ州モンゴメリーおいて、コブ仲介ジェファーソン・デイヴィス知り合ったデイヴィス連合国陸軍義勇兵募集関連してデイヴィス個人スタッフとなり、デイヴィス連合国初代大統領選出されると、ブラウン連合国国務省入省した。 1862年2月ロバート・ハンターアメリカ連合国国務長官辞任すると、デイヴィス大統領ブラウン臨時代行として指名したブラウンジュダ・ベンジャミン正式な後任として決まるまでのおよそ1ヶ月間、国務長官代行務めた。またその間連合国下院との緊密な連携必要性高まってきたことから、2月20日ブラウン国務次官補指名された。 1862年4月デイヴィス大統領ブラウン国務次官補から大統領補佐官配置換えし、周辺体制強化図った1864年11月デイヴィス大統領ブラウン暫定的に准将指定しジョージア州サバンナ防衛に当たらせた。ブラウンヒュー・マーサー准将の下で戦ったが、合衆国将軍ウィリアム・シャーマン進撃前にサバンナ陥落し、翌1865年ブラウン合衆国軍により拘束された。

※この「南部連合」の解説は、「ウィリアム・モンタギュー・ブラウン」の解説の一部です。
「南部連合」を含む「ウィリアム・モンタギュー・ブラウン」の記事については、「ウィリアム・モンタギュー・ブラウン」の概要を参照ください。


南部連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 23:12 UTC 版)

ジュダ・ベンジャミン」の記事における「南部連合」の解説

1861年2月25日連合国臨時議会初代大統領選出されデイヴィスは、ベンジャミン司法長官指名したデイヴィスベンジャミンについて「非常に評判良い弁護士であり、(連邦議会の)上院では明晰な判断力規律正し習慣職務遂行力を発揮していた。彼の有能さは、私に大きな感銘与えた」と評価したベンジャミン南部連邦でも高い能力発揮し、「連合国頭脳」と賞賛された。 南北戦争激化した1861年9月ベンジャミン司法長官退き陸軍長官代行就任した。そして同年11月正式に陸軍長官として承認受けたベンジャミン連合国軍事情勢対す民衆批判矢面に立ち、ピエール・ボーレガードやトマス・ジャクソン連合国将軍らとしばしば揉め事起こした1862年2月連合国さしたる戦いもせずロアノーク島喪失すると、ベンジャミン対す民衆批判頂点達したロアノーク島防衛放棄は軍の人員不足原因であったが、ベンジャミンはこれを公にはせず、議会非難決議甘んじて受諾し陸軍長官辞職したその後1863年3月デイヴィス大統領ベンジャミン忠誠対す報酬として、ベンジャミン国務長官任命したベンジャミン国務長官として任務は、イギリス連合国味方につけることであった1864年連合国戦況絶望的になると、ベンジャミン兵役志願する奴隷解放し、軍へ入隊させようという計画公然と提唱した。この計画奴隷制嫌悪するイギリス世論軟化させ、さらに兵力不足を緩和するものであったことから、法案発議者には陸軍大将ロバート・リー加わった。だがこの法案保守派強硬な反対に晒され議会通過したのは首都リッチモンド陥落した1865年4月であったこのため実際に解放され連合国兵役就いた奴隷1人も居なかった。

※この「南部連合」の解説は、「ジュダ・ベンジャミン」の解説の一部です。
「南部連合」を含む「ジュダ・ベンジャミン」の記事については、「ジュダ・ベンジャミン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南部連合」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「南部連合」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南部連合」の関連用語

南部連合のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南部連合のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアメリカ連合国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョージ・デイヴィス (アメリカの政治家) (改訂履歴)、ウィリアム・モンタギュー・ブラウン (改訂履歴)、ジュダ・ベンジャミン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS