南部連邦時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 10:01 UTC 版)
「クリストファー・メミンジャー」の記事における「南部連邦時代」の解説
メミンジャーは南部諸州の連邦離脱問題について、穏健的な立場であると見られていた。しかしながら1860年の大統領選挙でエイブラハム・リンカーンが勝利すると、メミンジャーはサウスカロライナ州とともに連邦離脱を決意した。1860年12月にサウスカロライナ州が連邦を離脱すると、翌1861年1月には続いて離脱した他の南部諸州とともに南部連合を立ち上げ、メミンジャーは臨時憲法を起草するための会議にサウスカロライナ州代表として選任された。メミンジャーら12人で構成された憲法起草委員会はわずか4日間で臨時憲法を起草すると、同年2月9日に連邦離脱諸州はアラバマ州モンゴメリーでアメリカ連合国を結成した。初代大統領にはジェファーソン・デイヴィスが選出された。 1861年2月21日、デイヴィス大統領は初代内閣において、メミンジャーを財務長官として任命した。メミンジャーは財務長官として、連合国が直面する多くの財政的課題に挑戦した。 メミンジャーは国債や関税を通じて政府の資金確保を試みたが、間もなく所得課税や不換紙幣といった強硬な手段での資金確保を余儀なくされた。戦前、南部諸州の工業生産力は北部の年間16億ドルに対し、わずか1億9300万ドルに過ぎなかった。連合国の国内市場の未発達は政府の歳入にも大きな障害となり、一部の都市を除いた大部分の地域では通貨が決定的に不足することになった。そのため税金を現金で徴収することができず、現物調達がしばしば行われた。そのため徴税官は人口の大部分を占める農民から食糧の一部を有無をいわさず取り上げることになり、「金持ちのための戦争を貧乏人が戦わさせられている」という怨嗟の声を強める結果となった。 メミンジャーはロンドンなど海外の金融市場に望みを託したが、軍事情勢が南部に不利になるにしたがって南部の国債に投資する資本家は減少していった。メミンジャーは南北戦争以前には信用に裏づけされた硬貨流通を支持していたが、資金確保のため、信用の裏づけがない紙幣を際限なく発行せざるを得なくなった。その結果、インフレーションがとどまることなく進行し、1864年春には連合国紙幣の価値は開戦時の2パーセントにまで減少することになった。
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