軍事情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 22:37 UTC 版)
満州方面における日ソ両軍の戦力バランスは、ソ連側が優っていた。1934年6月の時点で日本軍は関東軍と朝鮮軍合わせて5個歩兵師団であったのに対し、ソ連軍は11個歩兵師団を配備(日本側の推定)、1936年末までには16個歩兵師団に増強され、ソ連軍は日本軍の三倍以上の軍事力を有していた。日本軍も軍備増強を進めたが、日中戦争の勃発で中国戦線での兵力需要が増えた影響もあって容易には進まず、1939年時点では日本11個歩兵師団に対しソ連30個歩兵師団であった。なお、満蒙国境では、日ソ両軍とも最前線には兵力を配置せず、それぞれ満州国軍とモンゴル軍に警備を委ねていた。
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