軍事思想への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:16 UTC 版)
普仏戦争での出来事はその後の40年間の軍事思想に多大な影響を与えた。この戦争から引き出された戦訓としては、参謀幕僚制の必要性、将来の戦争の規模や期間の見通し、砲兵や騎兵の戦術的使用などがあげられる。 国民皆兵制を採ったプロイセンが圧勝したことにより、他国も国民皆兵に追従することとなる。日本やロシアも普仏戦争の結果を見て国民皆兵制を採用した。 プロイセン軍は、遠距離でまずフランス軍砲兵を沈黙させ、その上で近距離でも歩兵攻撃を直接支援するため、砲兵を積極的に使用した。この用兵はフランス軍砲兵が採用していた防御的な用兵に比べて優れていたことが結果的に証明された。 プロイセン軍の戦術は(第一次世界大戦の勃発した)1914年までにはヨーロッパ各国の陸軍で採用された。たとえばフランスのM1897 75mm野砲は前進する歩兵を直接火力支援するために最適化された大砲である。1904〜1905年の日露戦争において、新しい無煙火薬を採用した小銃を装備した歩兵は砲兵に対して有効に戦えるという証拠があったが、多くのヨーロッパ諸国の陸軍はそれを無視していた。小銃の射程距離が伸びたことにより、砲兵はより遠距離から間接射撃を行わざるをえず、隠れた地点から間接射撃を行うのが普通になっていった。 マルス・ラ・トゥールの戦いにおいて、フォン・ブレドウ(Adalbert von Bredow)将軍が指揮するプロイセン軍第12騎兵旅団は、フランス軍砲列に対して突撃を行った。この攻撃は大損害を出しつつも成功したため、「フォン・ブレドウの決死の騎行」(von Bredow's Death Ride)として知られるようになり、戦場で騎兵突撃がなお優勢であることを示す事例とされた。しかし、第一次大戦の1914年の戦場では、伝統的な騎兵の使用は大損害を受けるだけであることが証明された。これは、小銃・機関銃・大砲の射撃が正確になり、なおかつ射程距離も伸びたためである。 フォン・ブレドウの攻撃は、突撃の直前に非常に有効な味方の砲撃があり、なおかつ、地形のおかげで敵に気付かれずに接近できたために成功しただけであった。
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