プロイセン軍とは? わかりやすく解説

プロイセン軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:16 UTC 版)

普仏戦争」の記事における「プロイセン軍」の解説

プロイセン軍は常備兵ではなく徴兵構成されていた。兵役兵役年齢男子全員義務とされ、これによりプロイセン、およびその北ドイツ南ドイツ同盟国戦場に約120万人兵士動員可能であったこれだけ大兵力を使えることは、敵軍包囲殲滅する上で有利であった。 プロイセン軍はケーニヒグレーツの戦い名声得た針打式」のドライゼ銃いまだに装備していたが、既に設計から25年経っていた。しかしながら、プロイセン軍の砲兵隊には鋼鉄製で後装式クルップC-64野砲弾丸重量3kg)が供給されており、これはドライゼ銃欠点補って余りあるものがあった。亜鉛玉と爆発物詰めた接触雷管(contact-detonator)式の弾丸発射するクルップ砲は、射程距離4500mで、フランス青銅製の前装砲よりも猛烈な発射速度誇っていた。 プロイセン軍はヘルムート・フォン・モルトケ元帥プロイセン参謀本部指揮したプロイセン陸軍はその当時ヨーロッパで唯一の参謀本部を持つという点で独特であった参謀本部任務は、作戦行動指揮すること、兵站通信組織すること、および戦争全体の戦略を練ることであった1866年夏の普墺戦争踏まえ1867年冬にはモルトケによる対仏作戦計画完成していた。プロイセン参謀本部は、フランス地域特性地図鉄道網)をフランス人より熟知していた。 実務でも、プロイセン陸軍は他のどの国の陸軍よりも参謀長重要な役割担っており、参謀長直接の上官と意見異な場合、その上司令官直接上訴する権限与えられていた。このため例えば、プロイセン王太子も、彼の参謀長であるレオンハルト・フォン・ブルーメンタール(英語版少将助言反す行動をとることはできなかった。なぜなら、参謀長が(この場合王太子の上官である)父・国王に直接上訴する事を恐れたからである。 こうした組織力機動力、そして周到な準備により、38万人兵力18日間で動員し、さらに9兵力を対オーストリア用に温存していた。

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プロイセン軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:05 UTC 版)

ワーテルローの戦い」の記事における「プロイセン軍」の解説

司令官ブリュッヘル元帥ライプツィヒの戦いナポレオン撃破した連合軍のうちのプロイセン軍を率いていた。参謀長グナイゼナウ中将プロイセン軍制改革推進した中心的人物である。 プロイセン軍は困難な再編成途上にあった1815年時点で、以前予備連隊外人部隊そして1813年から1814年にかけて編成され義勇軍(Freikorps)は正規軍多数後備兵ラントヴェーア民兵連隊統合される過程にあったベルギー到着した時点ではラントヴェーアのほとんどは未訓練かつ兵器支給されていなかった。プロイセン軍の騎兵同様の状態だった。砲兵隊再編中であり、万全に行動しうる状態になく、砲や装備会戦中そして後に到着する有り様だった。しかしながら、これらの不利も戦役中にプロイセン軍参謀部見せた見事な指揮統率によって埋め合わされた。これらの将校参謀教育のためにつくられ四つ学校出身者であり、共通した基準訓練を受け任務についていた。このシステム矛盾し曖昧な命令発しがちだったフランス軍のそれとは対照的なものであった。この参謀システムによってプロイセン軍はリニーの戦い前に僅か24時間兵力4分の3集結することを可能にさせた。リニーの戦いの後も、プロイセン軍は敗北はしたもの補給段列再調整し、自軍再編成し48時間以内ワーテルロー戦場駆けつけることが可能であったプロイセンの2個半の軍団48,000人がワーテルローの戦い参戦したビューロー第4軍団長の率いる2個旅団16時30分にロバウ(英語版)のフランス軍第6軍団に攻撃をかけ、ツィーテンの第1軍団とピルヒの第2軍団一部18時に来援した。

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