プロイセン軍の反撃準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:16 UTC 版)
この勝利がラインラント、ひいてはベルリンへ向かう第一歩だ、とフランス本国で声高に叫ばれていたその頃、ルブーフ将軍(Le Bœuf)とナポレオン3世は、外国ニュースメディアからプロイセン軍とバイエルン軍がザールブリュッケンの南東方面に集結しており、さらに北方面や北東方面にも軍が集結しているとする警戒すべき報告を受け取っていた。 実際にモルトケはそれら三つの地域に軍を集結させていた。すなわち、ザールルイに面する場所にカール・フォン・シュタインメッツ将軍率いるプロイセン第1軍5万人、フォルバックからスピシュランまでの線に面する場所にフリードリヒ・カール王子率いるプロイセン第2軍13万4000人、そしてフリードリヒ王太子率いるプロイセン第3軍12万人はヴィサンブールにて国境を越える用意を整えていた。
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