三つの地域とは? わかりやすく解説

三つの地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 06:43 UTC 版)

マヤ文明」の記事における「三つの地域」の解説

マヤ文明栄えたマヤ地域北から順にマヤ低地北部マヤ低地南部マヤ高地の三地域分かれている。マヤ低地北部現在のユカタン半島北部に当たり、乾燥したサバナ気候であり、またほとんど河川存在しないため、生活用水は主にセノーテ呼ばれる泉に頼っている。マヤ低地北部800年ごろから繁栄期入りウシュマルチチェン・イッツァマヤパンなどの都市繁栄したなかでももっとも乾燥している北西部においては塩が塩田によって大量に生産され、この地域の主要交易品となっていた。 現在のチアパス州北部からグアテマラ北部ペテン盆地ベリーズ周辺にあたるマヤ低地南部はもっとも古くから栄えた地域で、紀元前900年ごろからいくつも大都市盛衰繰り返した気候としては熱帯雨林気候属しいくつかの大河川が存在したものの、都市河川のあまり存在しない場所にも建設されていた。交易品としてはカカオ豆などの熱帯雨林産物主としていた。この地域古典期までマヤ文明中心地域として栄え8世紀には絶頂迎えたものの、9世紀に入ると急速に衰退し繁栄マヤ低地北部マヤ高地へと移った現在のチアパス州南部からグアテマラ高地ホンジュラス西部エルサルバドル西部にあたるマヤ高地標高高く冷涼で、起伏は多いが火山灰土壌による肥沃な土地恵まれ多く都市建設された。マヤ文明においてもっとも重要な資材である黒曜石マヤ内ではこの地方にしか産出せず、この地方主力交易品となっていた。低地異なり建築物火山からの噴出物軽石など)と粘土練り合わせた材料作っていた。カミナルフユのように先古典期から発達した都市があったが、古典期低地マヤの諸都市見られるような石の建造物石碑発達しなかったため、この地域の歴史には今も不明な点が多い。

※この「三つの地域」の解説は、「マヤ文明」の解説の一部です。
「三つの地域」を含む「マヤ文明」の記事については、「マヤ文明」の概要を参照ください。

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