三つの大きな波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:42 UTC 版)
ベーメは生涯、自身の自覚としてはルター派の信仰に忠実でありつづけた。ベーメの思想の第一の背景としてはベーメが教会を通して受けた宗教教育が挙げられる。しばしば自然哲学として解釈されるその思想も、ベーメの意図としては晩年の著作の題名が示すように『キリストへの道』として語りだされている。しかしその思想はベーメが正規の教育を受けなかったがゆえに、伝統的なキリスト教の形而上学の神概念を超出している。 ベーメ研究者であるグルンスキーは、著述再開後1618年から1624年までのベーメの思想の展開を4期に分け、それぞれを波の襲来にたとえている。うち第4の波、ベーメの最晩年は『アウローラ』発表時と似たような騒動の渦中にあり、そのためベーメは書簡や自身への論難を反駁する小論の著述に追われ、自己の思想の全貌を語りうる量の著述を残していない。したがってベーメの思想の展開は、それ以前の3つの波、さらに最初の諸述『アウローラ』を中心として語られざるを得ない。 グルンスキーによれば、第1波は著述再開から1622年までの時期で、この時期のもっとも整った書は『三つの諸原理について』(Von den drei Prinzipien)である。続く第2波は1621年早くから1622年夏までであり、『シグナトゥーラ・レールム』執筆の時期に当たる。なお、第3波は1622年秋から1623年秋までに当たり、ここにはベーメ最大の著作『大いなる神秘』を含む諸著作が含まれる。 ベーメは自己の思想の連続性に強い確信を抱いていた。先に触れた書簡でも、『アウローラ』の著述の晦渋さと未成熟を反省する一方で、そこに述べられた内容は『アウローラ』以前の神秘体験の数秒のうちにまったき仕方で与えられており、それを開陳するために必要な言語を欠いていたのだと述懐している。しかし研究者の間では、この一貫性を認めつつも、『アウローラ』・『シグナトゥーラ・レールム』・『大いなる神秘』をそれぞれ頂点となす思想の泳動をベーメのうちにみることが一般的である。
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