じ‐かく【自覚】
自覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 05:18 UTC 版)
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自覚(じかく)とは、自分自身の置かれている状態や自分の価値を知ること。本来は仏教用語である。自覚は単に意識の有る無しを意味するほかに、文字通り自ら覚ることを指す。「覚る」とは気付くことであり、気がつかないことを反対語として不覚(ふかく)という。分裂状態も意識が統一を成し、純粋経験を経験するためには、「見られる意識」と「見ている意識」という主観と対象の対立を克服する必要がある。
京都帝国大学の西田幾多郎は『自覚に於ける直観と反省』(1917年、岩波書店)において、意識は直観としては純粋経験であり「主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである。現実そのままな、不断進行の意識」だと主張する。反省は「この進行の外にたって、翻って之を見た意識」であり、両者が結合することが「自覚」だとの解釈を意示した。純粋経験の立場から西田は自覚の立場へ進む。その後、「自己-内-写映」という形式を提唱する。直観も反省も自分自身の意識であり、自己内に自己を投射するとする考えに至った西田は意識を問題にしているため対象も意識でしかないため対象意識も自己の意識経験に含まれたと考えた。一般人の意志とは意識経験の根源的な統一の働きと考え自覚とは、自己の種々の意識が自身の意志の表出として、自己に意識として投射された意識だと主張した。あらゆる意識は統一的な意識である側面を内包しているため直観である。この統一する働きが意志であり、すべての意識は自己-内-写映として自覚の働きであるということになり、自覚こそが直観と反省的な思惟の根底にある実在だと主張した。
自覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 07:49 UTC 版)
永仁2年(1294年)、親鸞の33回忌に『報恩講私記』(報恩講式・式文)を撰述する(報恩講の始まり)。この頃を境に、親鸞の後継者であると自覚するようになる。 永仁3年(1295年)、『本願寺聖人伝絵』(初稿本・「十三段」)を撰述する。絵を浄賀法眼に描かせる。(当時の物は、絵巻物。) 永仁7年、正安元年(1299年)頃、覚恵、発病する。 正安3年(1301年)、親鸞が法然の後継者である事を主眼に置いた『拾遺古徳伝』を著作する。
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自覚
「自覚」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は責任の重さを自覚した
- 君はもう大人になったのだから責任を自覚しなければいけない
- あなたが自分がしていることを自覚するのを望むばかりです
- Xを自分たち自身がはっきりと自覚する
- 妻と結婚する前に彼は自分の同性愛を自覚していた。
- 彼女はヨガをすることによって自覚に達することができると信じている。
- 公表を受けて、人々はその病気を自覚する。
- 環境問題への自覚を促すため、キャンペーンを始めるつもりです。
- 自覚症状がある
- 彼女は自分が特別でかわいいと自覚しています。
- 私は自分を初心者だと自覚した。
- 彼は社会人としての自覚に欠ける。
- 私達はもっと日本の現状を自覚しなければならない。
- 私達は日本の現状を自覚しなければならない。
- あなたはその部分が欠如していることをもっと自覚すべきだ。
- これらを自覚することで同じことを繰り返さないようにできる。
- 私はそれを自覚している。
- 私は自分の欠点を自覚している。
- 彼には社長としての自覚が足りない。
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