親鸞とは? わかりやすく解説

しんらん【親鸞】

読み方:しんらん

[一][1173〜1263]鎌倉初期の僧。浄土真宗開祖日野有範(ひのありのり)の子比叡山天台宗などを学び29歳のとき法然師事し他力教帰した。師の法難連座して越後流され、ここで恵信尼結婚し善鸞覚信尼もうけた。のち、許され常陸(ひたち)・信濃(しなの)・下野(しもつけ)などを教化(きょうけ)し、浄土真宗開き阿弥陀による万人救済説いた。著「教行信証」「愚禿鈔」など。諡号(しごう)は見真大師。→御正忌(ごしょうき)【二】大遠忌(だいおんき)

[二]丹羽文雄長編小説昭和40年(1965)から昭和44年1969)にかけて、「産経新聞」に連載単行本昭和44年1969)、全5冊で刊行本作功労により、著者昭和45年1970)の第4回仏教伝道文化賞受賞した

[三]五木寛之歴史小説[一]若き日を描く。平成22年2010)、上下2冊で刊行第64回毎日出版文化賞特別賞受賞。のちに、中年期描いた第2部晩年まで活躍描いた第3部発表


親鸞

読み方:シンランshinran

作者 吉川英治

初出 昭和10~11年

ジャンル 小説


親鸞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 10:13 UTC 版)

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 [注釈 6])は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家親鸞聖人と尊称され、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の宗祖とされる[注釈 7]


注釈

  1. ^ グレゴリオ暦換算…本願寺派や高田派では、西暦の生没年をグレゴリオ暦に換算し、承安3年4月1日(1173年5月21日) - 弘長2年11月28日(1263年1月16日)とする。
  2. ^ 手前に配置されている各物品は左より、火桶皮の草履鹿杖。親鸞が座している座布団のようにみえるのは、毛皮の敷物。
  3. ^ 配流時の俗名は、藤井善信(ふじいよしざね)。
  4. ^ 吉水入門後の法名については、綽空から善信(ぜんしん)と改めたとする説と、綽空から親鸞と改めたとする説がある。詳細は「#改名について」を参照。
  5. ^ 〔房号〕 善信房…「善信」は、房号とする説がある。その説では、「善信房綽空」より「善信房親鸞」と吉水在所時に法名を改めたとしている。詳細については「#「善信」房号説」を参照。
  6. ^ 生没年月日の西暦表記については注意を要するため、生年月日については「誕生」の節を、没年月日については「入滅」の節を参照のこと。
  7. ^ 浄土真宗の宗祖(開山とも)と定めたのは、本願寺三世覚如である。
  8. ^ 旧暦(宣明暦)。
  9. ^ 親鸞は、自伝的な記述をした著書がほとんど無い(もしくは、現存しない)ため、「出生日」、「幼名」、「婚姻の時期」、「歿地」など不明確(研究中)な事柄が多く、様々な説がある事に留意されたい。
  10. ^ a b 本願寺派高田派では、明治5年11月の改暦(グレゴリオ暦〈新暦〉導入)に合わせて、生歿の日付を新暦に換算し、生誕日を5月21日に、入滅日を1月16日に改めた。大谷派佛光寺派興正派などでは、旧暦の日付をそのまま新暦の日付に改めた。
  11. ^ 御伝鈔』・『親鸞聖人正明傳』。『尊卑分脈』『本願寺系圖』では「皇太后宮権大進」とする。
  12. ^ 9歳から29歳までの20年間比叡山で修行した。ちなみに道元はわずか二年、日蓮も十年前後である。
  13. ^ 他説に、比叡山無動寺谷大乗院より毎夜下り、百夜に渡り六角堂に通った説もある。無動寺谷大乗院には、毎夜居なくなる範宴(親鸞)を回りの僧侶達が不審に思い師匠に告げ口をした。その師匠は、夜中に蕎麦を振る舞い、範宴の所在を確かめようとした。その時、範宴自作の木像が蕎麦を食べて、回りの不審を払拭したという伝説が残されている。その時の木像が、今も無動寺谷大乗院に「蕎麦喰ひ木像」とよばれ、本尊・阿弥陀如来と共に祀られている。
  14. ^ 「宿報」の意訳について…一般的に「宿報」とは、「宿世(すくせ)の果報。前世でなした善悪業(ぜんあくごう)のむくい。」(『広辞苑』第五版)の意である。しかし、過去世としての「前世」に否定的な見解の場合は、「前世」ではなく「過去の行い」と解釈している。(本多弘之 監修『知識ゼロからの親鸞』幻冬舎、2009年。P.29「六角堂夢告の内容」 を参照。)
  15. ^ 現在の真宗大谷派岡崎別院付近。
  16. ^ 綽空…「綽」は、中国の道綽禅師より、「空」は源空〈法然〉上人よりつけられたものと推察される。[14]
  17. ^ 原文 - やまをいてゝ 六かくたうに百日こもらせ給て ごせをいのらせ給けるに(中略)又六かくたうに百日こもらせ給て候けるやうに 又百か日 ふるにもてるにも いかなるたい事にも まいりてありしに(『浄土真宗聖典』〈原典版〉P.888。)
  18. ^ 善信…「善」は、中国の善導大師より、「信」は源信和尚より。
  19. ^ 当初、本多は夢告に依って「善信」に改名した後に、越後流罪赦免後に「愚禿釋親鸞」(「善信房親鸞」)に改名したと講じている(『新講教行信証:総序の巻』「第一講」〈1999年7月18日〉P.18・P.23)。しかし、真木由美子『親鸞とパウロ』における論証を受け、「善信」は房号であり、吉水在所時代に実名を「綽空」から「親鸞」に改名したとする説に改めている(『新講教行信証:総序の巻』「第二講」〈1999年9月17日〉P.33-37、付「出会いと名のり-「親鸞」の名によせて」P.319-331)。
  20. ^ 『親鸞聖人御因縁』 - 鎌倉時代後期頃に成立したと考えられる荒木門徒系の伝承。荒木門徒は武蔵国荒木(埼玉県行田市)に在した門徒集団で、親鸞の孫弟子である源海を祖とする。真宗佛光寺派や真宗興正派が荒木門徒の系譜に属する。[29]
  21. ^ 存覚述『親鸞聖人正明伝』- 五天良空(寛文9年〈1669年〉 - 享保18年〈1733年〉)による著作とみられる。五天良空は、専修寺系の寺院「常超院」(三重県四日市市)の住持享保18年(1733年)開板[31]
  22. ^ 五天良空『親鸞聖人正統伝』 - 五天良空による著作。正徳5年(1715年)1月18日完成。享保2年(1717年)7月開板[31]
  23. ^ 善鸞の実母…平雅行は、善鸞の実母は「善鸞義絶状」に記述されている「ミフノ女房」と推定し、善鸞の実母が死没していた場合は「ミフノ女房」は実母の姉妹か善鸞の同母妹と推定している。(平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.109-114「善鸞の母」。)
  24. ^ 7子すべてが恵信尼の子ではないとする説…印信の母については、『尊卑分脈』では「月輪関白女」、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)では「後法性寺摂政太国兼実女」と記されている。いずれも「九条兼実の娘」の意である。小黒女房の母については、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)は「兵部大輔三善為教女」と記され、三善為教の娘である。
  25. ^ 建永2年…建永2年10月25日に、「承元」と改元する。
  26. ^ 土佐国番田…「番田」は、「幡多」・「幡田」とも。『歎異抄』の写本により異なる。
  27. ^ 法然は土佐国番田へ…法然は、円証(九条兼実)の庇護により、土佐国から讃岐国に配流地が変更になる。
  28. ^ 親鸞…「親」は、インドの天親菩薩より、「鸞」は曇鸞大師より。[要出典]
  29. ^ 岡崎中納言範光を通じて…勅使は、岡崎中納言範光卿(藤原範光)と伝えられているが、当時すでに入道していて、範光の命を受けた者が勅使として越後に向ったと考えられる。(#参考文献
  30. ^ 勅免…勅命(天皇の命令)による赦免
  31. ^ 建暦元年(1211年)11月…新暦で換算すると12月~1月。
  32. ^ 大山の草庵…別説には、稲田の草庵から大山の草庵に移住したとする説もある。[要出典]
  33. ^ 笠間郡稲田郷…現在の茨城県笠間市
  34. ^ 「稲田の草庵」を由緒とする寺院はいくつかあり、西念寺の他に、浄興寺(現在は、新潟県上越市に移転)などがある。
  35. ^ 当時の政治の中心地は鎌倉であるが、経済・文化の中心地は京都である。(京都#鎌倉幕府の設置を参照。)
  36. ^ 機械的伝達手段…テレビ・ラジオなど通信装置など
  37. ^ 経済・文化などの伝播の速度…言語の伝播(柳田國男提唱の「蝸牛考」を参照。)と同様に、経済・文化なども中心地を同心円として広がる傾向がある。
  38. ^ 『正像末和讃』(「皇太子聖徳奉讃〈十一首〉」)に収録されている物とは、別の和讃集。
  39. ^ 南北朝時代には〜総称する…伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』P.51より
  40. ^ 弘長2年11月28日は、西暦(ユリウス暦・グレゴリオ暦換算ともに)では「1263年」になるが、弘長2年はまだ年を越していないので「1262年」と考える。よって、文献の「親鸞の示寂」の年の西暦を、和暦に基づいて「1262年」と表記する場合と、新暦に基づいて「1263年」と表記する場合があるので注意が必要である。
  41. ^ 押小路南 万里小路東 - おしこうじみなみ までのこうじひがし
  42. ^ 入滅の地である、押小路南 万里小路東の「善法院」(「善法坊」)には諸説ある。本願寺派は、「善法坊」の場所を西の万里小路とし、善法院を再興する(現、本願寺派角坊別院)。大谷派は、「善法院」の場所を「親鸞ヶ原」と呼ばれるようになった地に建立された法泉寺の跡地(現、京都市立京都御池中学校〈虎石町〉)付近として、「見真大師遷化之旧跡」の石碑を建立する。その他にも、光円寺(京都市下京区)で入滅され、何等かの理由により善法院に御遺体を移されたとする説もある。[要出典]
  43. ^ 本願寺派は、鳥辺山南辺(現在の大谷本廟〈西大谷〉の「御荼毘所」)にて荼毘に付されたとする。大谷派は、延仁寺(京都市東山区今熊野)にて荼毘に付されたとしている。(現在の延仁寺は、東本願寺第二十一世嚴如が再興したもの。)
  44. ^ 見真大師 - けんしんだいし
  45. ^ 浄土真宗の教章 - 浄土真宗本願寺派における規範のひとつで、親鸞聖人の流れをくむものとして心に銘ずべき内容を定めたもの。
  46. ^ a b c d 経尹、範綱、有範について、『尊卑分脈』と『本願寺系図』とでは関係が異なる。本図は『本願寺系図』に依拠する。
  47. ^ 藤原範綱(日野範綱)…親鸞が得度(入室?)する時の養父。
  48. ^ 恵信尼…三善為教の子。諸説あり。
  49. ^ 小野宮禅念 - 覺信尼の後夫。
  50. ^ 藤原広綱 - 覺信尼の前夫。死別。
  51. ^ 『観無量寿経疏』の各巻題は、『観経玄義分 巻第一』・『観経序分義 巻第二』・『観経正宗分定善義 巻第三』・『観経正宗分散善義 巻第四』である。
  52. ^ 『法事讃』…上巻の首題は、『転経行道願往生浄土法事讃』、尾題は『西方浄土法事讃』で、下巻は首題・尾題ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』である。
  53. ^ 『般舟讃』…首題は『依観経等明般舟三昧行道往生讃』、尾題は『般舟三昧行道往生讃』である。
  54. ^ 『観念法門』…首題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』、尾題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』である。
  55. ^ 和国の教主…「和国」とは日本のこと、「教主」とは釈尊のこと。[要出典]
  56. ^ 『大無量寿経』など浄土経典は、親鸞在世当時では釈尊自説と考えられていた。現代では浄土経典は、小乗仏教確立後に出現したものと考えられている。(『浄土三部経』(下)、「文献」・「解説」を参照。)
  57. ^ 「文明本」などでは、「像末五濁ノ世トナリテ 釋迦ノ遺敎カクレシム 彌陀ノ悲願ヒロマリテ 念佛往生サカリナリ」。
  58. ^ 本願寺の開祖は親鸞とされるが、覚如が本願寺を成立させた後に親鸞を開山と定めた。
  59. ^ 浄土真宗本願寺派では、教如は歴代に入れず、准如を第十二代とする。
  60. ^ 五木寛之『親鸞』では、親鸞の幼名を「日野忠範」としている。

出典

  1. ^ 『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。
  2. ^ 本願寺聖人親鸞傳繪上
  3. ^ 『本願寺系圖』
  4. ^ 松尾 2012, pp. 53–56.
  5. ^ 親鸞聖人正明傳巻一上
  6. ^ 高田開山親鸞聖人正統傳巻之一
  7. ^ 『親鸞 生涯と教え』P.26「第一節 誕生」、真宗大谷派出版部、2010年。
  8. ^ 参考文献…高松信英・野田晋 著 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』 真宗大谷派宗務所出版部、1987年刊行、ISBN 978-4-8341-0164-5[要ページ番号]
  9. ^ 参考文献…瓜生津隆真・細川行信 編 『真宗小事典』 法藏館、2000年新装版、ISBN 4-8318-7067-6[要ページ番号]
  10. ^ 参考文献…佐々木月樵編『親鸞伝叢書』P.19『親鸞聖人正明傳』巻一上・『高田開山親鸞聖人正統傳』巻之一P126より。
  11. ^ なぜ親鸞聖人は法華経の修行を捨てられたのか 仏教に学ぶ幸福論
  12. ^ 意訳…瓜生津隆真・細川行信 編『真宗小事典』法藏館、2000年、新装版。P.189「六角夢告」より引用。
  13. ^ 出典…「恵信尼消息」。[要ページ番号]
  14. ^ 石田 1989, p. 18.
  15. ^ 高松信英、野田晋 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』補注、P107「七、吉水入室の年次」・P108「九、建仁元年」。
  16. ^ 平松 1998, pp. 45–97.
  17. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.299「親鸞聖人正明傳巻一下」。
  18. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.301「親鸞聖人正明傳巻二上」。
  19. ^ 大橋俊雄 校注 『法然 一遍』 岩波書店〈日本思想大系 10〉、P.284。
  20. ^ a b c 石田 1989, p. 17.
  21. ^ 『顯淨土眞實教行證文類』SAT DB(大正新脩大藏經テキストデータベース)を参照。
  22. ^ 真木由香子『親鸞とパウロ』教文館、1988年。
  23. ^ 「善信」房号説を支持する学者は、本多弘之の他に寺川俊昭(「親鸞の名をめぐって」『真宗』2010年11月号、真宗大谷派出版部)・豅(ながたに)弘信(「「善信」実名説を問う(上)」、『親鸞教學』第95号、大谷大学真宗学会、2010年、40-54頁。・「「善信」実名説を問う(下)」、『親鸞教學』第96号、大谷大学真宗学会、2011年、50-68頁。)など。
  24. ^ 知識ゼロからの親鸞入門』41頁より。
  25. ^ 松尾剛次『親鸞再考』[要ページ番号]
  26. ^ 佐々木正『親鸞再考』[要ページ番号]
  27. ^ 西山深草(吉良潤)『親鸞は源頼朝の甥』[要ページ番号]
  28. ^ 中外日報(2014年4月9日)
  29. ^ 興正寺史話
  30. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.2-3。
  31. ^ a b 真宗高田派本山 専修寺「高田本山 専修寺の歩み」
  32. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.6-8。
  33. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第二章 延暦寺からの出奔」P.47、「第四章 越後での生活」P.97
  34. ^ 松尾 2012, pp. 18–23.
  35. ^ 玉日姫の実在説に新史料 ―「親鸞と結婚」話に真実性 2013年2月21日付 中外日報(論・談)
  36. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.114-119「恵信尼について」
  37. ^ 参考文献…『本願寺系圖』(大阪本願寺本)
  38. ^ 興正寺史話【十五】「興正寺の伝承 その一」
  39. ^ 興正寺史話【十六】「興正寺の伝承 そのニ」
  40. ^ 興正寺史話【十七】「興正寺の伝承 その三」
  41. ^ 興正寺史話【十八】「興正寺の伝承 その四」
  42. ^ 『中外日報』2008年1月17日付を参照。
  43. ^ “親鸞、教科書記述に変化 「教えを発展」修正の動き/法然が劣ると誤解生む?”. 朝日新聞朝刊. (2017年3月17日). http://www.asahi.com/articles/DA3S12845352.html 
  44. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 村田勤 『親鸞真伝 : 史的批評』第十二章 系圖上の大疑問、P.116-121。
  45. ^ 千葉乗隆『浄土真宗』ナツメ社、P.216「親鸞の存在についての論争」。
  46. ^ 鷲尾教導『恵信尼文書の研究』P.3
  47. ^ (九条兼実の娘?) - 『日野一流系図』に、宴意(改印信)の母について「後法性寺摂政兼実公女」(九条兼実の娘)と記されている。兼実の日記『玉葉』に、兼実に2人の娘が記され、1人は後鳥羽天皇中宮宜秋門院任子で、もう1人は4歳で亡くなっている(本願寺史料研究所報 第26号、平松令三「西本願寺蔵 古本本願寺系図について」P.8、参照。)。
  48. ^ 印信 - 『日野一流系図』に、親鸞の長男は宴意(改印信)と記されている。
  49. ^ 善鸞の母については異説があり、恵信尼は継母で、実母は「善鸞義絶状」に記されている「みぶの女房」とする説がある。詳細は「善鸞#恵信尼との関係」参照。
  50. ^ a b 『岩波仏教辞典』(第二版)P.541「浄土真宗」
  51. ^ 『真宗小事典』P92「浄土真宗」
  52. ^ 『浄土真宗聖典』オンライン検索にて検索
  53. ^ 梅原猛『歎異抄』(講談社、2015)
  54. ^ 釈徹宗『NHK100分de名著 歎異抄~仏にわが身をゆだねよ』(NHK出版、2019)
  55. ^ >小手川巧光「五木寛之著「親鸞」」保健医療経営大学紀要 № 2 65 ~ 69(2010)
  56. ^ 佐々木閑『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』(NHK出版)
  57. ^ 鈴木大拙『日本的霊性』(角川ソフィア文庫、2010)
  58. ^ 平, 雅行「歴史のなかに見る親鸞」『(No Title)』。 
  59. ^ 三帖和讃 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  60. ^ 松本 1998, pp. 99–100.
  61. ^ 松本 1998, pp. 99–103.
  62. ^ a b c d 本願寺(西本願寺)>本願寺について>本願寺の歴史
  63. ^ a b c d 東本願寺>東本願寺について>真宗大谷派(東本願寺)沿革
  64. ^ 真宗佛光寺派 本山佛光寺>佛光寺のご紹介「中興了源(りょうげん)上人」
  65. ^ 興正寺史話【六】「興正寺建立以前」
  66. ^ 興正寺史話【七】「了源上人と存覚上人」~了源上人はいつ京都に来たのか~
  67. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 倉田百三『出家とその弟子』
  68. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 倉田百三『親鸞』
  69. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 吉川英治『親鸞』上,中,下巻
  70. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第1巻(叡山時代)
  71. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第2巻(吉水時代)
  72. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第3巻(越後時代)
  73. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第1巻
  74. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第2巻
  75. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第3巻
  76. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第4巻
  77. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第5巻
  78. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 三国連太郎『白い道 : 法然・親鸞とその時代 しかも無間の業に生きる. 第1部』3冊
  79. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 津本陽『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』上巻
  80. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 津本陽『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』下巻
  81. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』上
  82. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』下
  83. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』激動篇 上
  84. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』激動篇 下
  85. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』完結篇 上
  86. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』完結篇 下
  87. ^ 映画 親鸞 - allcinema
  88. ^ 映画 親鸞 白い道 - allcinema



親鸞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 02:26 UTC 版)

往生要集」の記事における「親鸞」の解説

法然を師とする親鸞も同様に当時貴族の間で流行していた観想念仏教え説きつつ、観想念仏行えない庶民称名念仏教え誘引するための書と受けとめる。この事は、『正信念仏偈』「源信章」・『高僧和讃』「源信大師」における評価から見取ることができる。そのため浄土真宗各派において、『往生要集』は正依の聖教とされる

※この「親鸞」の解説は、「往生要集」の解説の一部です。
「親鸞」を含む「往生要集」の記事については、「往生要集」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「親鸞」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「親鸞」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



親鸞と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「親鸞」の関連用語

親鸞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



親鸞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの親鸞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの往生要集 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS