恵信尼消息
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「恵信尼消息」は、鷲尾教導の調査によって大正10年(1921年)に西本願寺の宝物庫から発見された10通からなる恵信尼の真筆消息(手紙)である。親鸞の妻である越後の恵信尼が、娘にあたる京都の覚信尼に送ったもので、現在も西本願寺にあり、全て巻物1巻に収められている。第1,2通は譲状、第3通から第6通は親鸞入滅を看取った覚信尼からの知らせに対して出された親鸞生前の追想、第7通以降は凶作下における身辺の生活を語りつつ自己の信心を伝えている。親鸞やその家族の晩年における布教活動や、言行を知る上での非常に貴重な史料である。これらの書状が発見されたことにより、親鸞の実在が確認された経緯がある。 鎌倉時代の女性の手紙が纏まって残っている事自体、極めて珍しい。手紙の内容も格調高く、豊かな言葉で綴られている事実から、恵信尼はかなり教養が深い女性であったと推定できる。 二松學舍大学の小山聡子によると、消息の内容と親鸞の著作などとの対比から、親鸞と妻子の信仰が必ずしも一致していなかったとしている。例えば、第3通によれば、恵信尼は親鸞を観音菩薩の化身であると考えてそれゆえに極楽往生を確信している。また、同通によれば娘の覚信尼が親鸞の臨終のときに何ら奇瑞が起きなかったことを不安に感じていることが判明する。これらは、親鸞が唱えた現生正定聚と考え方が一致していないが、親鸞の教えが整理されるようになるのは浄土真宗教団が確立された室町時代以降の話であり、親鸞およびその家族それぞれの信仰の間には天台宗などの既存の宗派の信仰観の影響を受けて微妙なずれが生じたのは当然であったと考察している。
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