恵勝寺合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 19:38 UTC 版)
1527年(大永7年)に権大納言日野内光が恵勝寺合戦で戦死した際に、当時“五阿弥切り”とよばれていた本作で奮戦したとされる。その後、日野内光の菩提を弔うため、友軍だった畠山卜山が本作を高野山に納めたということが徳川家の記録にあるというが、徳川将軍家の「御腰物台帳」には記されていない。また、畠山卜山とは畠山尚順のことであるが、尚順は内光が戦死する5年前にあたる1522年(大永2年)7月17日に病死しているため、卜山による三日月宗近奉納説は成立しないとされている。
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