こうや‐さん〔カウヤ‐〕【高野山】
高野山
高野山
高野山
高野山
高野山
高野山
高野山
高野山
- 厠を云ふ。「こーやまえり」(※「こうやまいり」)参照。
- 便所のこと。紙(髪)を落すところという意から出た。
- 便所。高野山の坊主と便所で必ず出す男根の頭とを連想して。〔盗〕
- 厠をいう。「こーやまいり」(※「こうやまいり」)参照。
分類 盗/犯罪
高野山
高野山
高野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 01:06 UTC 版)
高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある地域の名称である[1]。周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが広がる。
- ^ “真言宗の聖地・高野山のおすすめ観光スポット10選!世界遺産にも選ばれている宗教都市の魅力を紹介”. 2020年11月9日閲覧。
- ^ “一山境内地とは”. 高野山真言宗総本山金剛峯寺. 2021年3月4日閲覧。
- ^ 松長、20頁。
- ^ a b 和歌山県、3頁・口絵ii。
- ^ 松長、5頁。
- ^ 日本国気象庁 - 高野山観測所(北緯34度13.3分、東経135度35.4分、標高795m)1981年-2010年平年値。極値は1979年1月-2016年11月。
- ^ “「一山(いっさん)境内地ということ」”. 金剛峯寺. 2020年6月4日閲覧。
- ^ 主要施設の選定は淡交社編集局編『愛蔵版 御朱印巡礼』淡交社、2012の高野山の項に拠る。
- ^ “高野山霊宝館紫雲殿”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “高野山霊宝館玄関・北廊・中廊”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “高野山霊宝館南廊及西廊”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “高野山霊宝館放光閣”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “高野山霊宝館宝蔵”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ 松長有慶『高野山』、p.20
- ^ “橋本警察署高野幹部交番”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “南海電気鉄道鋼索線高野山駅駅舎”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2021年3月4日閲覧。
- ^ “高野山の林業を代表する「高野六木」とは”. MORiP!. 2020年9月5日閲覧。
- ^ “高野山に瓦屋根コンビニ 初の24時間営業で年中無休 和歌山”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2013年7月10日). オリジナルの2013年7月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “生肉・刺し身販売しないコンビニ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2013年7月12日)
高野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 09:32 UTC 版)
紀伊半島南部は、重畳(ちょうじょう)たる山岳地帯であり、近世に至るまで、大和国、紀伊国、伊勢国との国境は明白でなかった。一方で吉野山金峯山寺が勢力を拡大して行く中で、西に位置し紀伊国にある高野山金剛峯寺とも寺領を巡り争いが起こっている。 1141年(永治元年)に、金峯山寺は金剛峯寺に対して「金峯山寺領遠津川郷中津川村」の利権を侵害したとして抗議している。この中津川村は、現在の野迫川村中津川で、遠津川郷は十津川村と思われるが、この当時は現在の十津川村の地域まで発展しておらず、今の大塔村(現在の五條市大塔町)、野迫川村あたりが、ここでいう「遠津川郷」であったようである。遠津川郷は金峯山寺の寺領であったのは確かだったが、遠津川郷と高野山領との境界は明確でなく、その地域に杣人(そまびと)が入り込み、新しく中津川村が出来たので、その所属を巡り争いが起こったようである。その他にも吉野執行春賢らが、高野山領をかすめて境界の標木を高野山奥院の近くに建て、ここでの鹿狩りをしたり、遠津川郷人が高野山領の大滝村(高野山奥院より南へ4kmほど)・花園村(現在のかつらぎ町大字花園)にまで入り込み牓示を立て、十津川郷の公事を勤めるよう強制するなどして、堪忍出来なくなった高野山側が1218年(建保6年)に朝廷に訴え出ているが、明確な決着は得られなかった(高野山文書、高野春秋)。 その後、1267年(文永4年)の「十津川十八郷庄司等起請文案」(高野山文書)では、野川・中津川の山民が今後、高野山領を犯さないこと、狩猟をしないこと、もし制止して聞き入れないために殺されても遺恨に思わないことを誓わせている。(ここで言う野川、中津川は今日の野迫川村のうちであると思われるが、十津川十八郷に含まれるかは不明)。その後も、この辺りの大和国、紀伊国の境界は未決定のまま入会地として近世まで続くことになる。
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高野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 15:12 UTC 版)
高野山塔頭・蓮花院は松平家時代より徳川家の菩提所・宿坊であった。文禄3年(1594年)の家康参詣を機に大徳院と改称、聖方の本寺となる。 3代家光により初代家康と2代秀忠の霊廟は大徳院にも建築された(徳川家霊台、南院の裏手にあるが、現在は金剛峰寺の所有)。国の重要文化財および世界遺産に指定されている。 安国院殿霊廟(家康) 台徳院殿霊廟(秀忠) 明治期に大徳院は他の塔頭寺院と合併して金剛峯寺門前に移り、旧名の蓮花院に復したが、現在も徳川家歴代や大奥関係の位牌が祀られている。ちなみに奥の院には松平秀康および同母の霊屋(蓮花院の所有)があり、そちらも国の重要文化財および世界遺産に指定されている。
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「高野山」の例文・使い方・用例・文例
- 赤不動という,高野山明王院蔵の不動明王画像
- 学道という,高野山の論講の式典
- 学道という,高野山の論講の式典に参加する人
- 高野山
- 諸国を行脚する高野山の僧侶
- 和歌山県にある高野山
- 高野山や東寺で,輿をかつぐ力者
- 高野山の金剛峯寺に参詣すること
- 高野山の金剛峯寺に参詣する人
- この儀式は仏教の僧侶である空(くう)海(かい)が,高野山に仏教の道場を設立してから1200周年を記念するものだ。
- 約400人の僧侶が高野山真言宗の総本山である金(こん)剛(ごう)峯(ぶ)寺(じ)からその門まで練り歩いた。
高野山と同じ種類の言葉
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