産業経済新聞社
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産経新聞東京本社(東京サンケイビル) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | サンケイ |
本社所在地 |
![]() 〒100-8077 東京都千代田区大手町一丁目7番2号 (東京サンケイビル) 北緯35度41分13.1秒 東経139度45分55.9秒 / 北緯35.686972度 東経139.765528度座標: 北緯35度41分13.1秒 東経139度45分55.9秒 / 北緯35.686972度 東経139.765528度 |
設立 | 1955年(昭和30年)2月15日[注 1] |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 4010001017427 |
事業内容 | 日刊新聞・書籍・雑誌の編集・発行 |
代表者 | 近藤哲司(代表取締役社長) |
資本金 | 31億72百万円 |
発行済株式総数 | 6,344,397株 |
売上高 |
連結:741億14百万円 単独:497億59百万円 (2024年3月期) |
営業利益 |
連結:1億31百万円 単独:5億4百万円 (2024年3月期) |
純利益 |
連結:▲34億3百万円 単独:▲28億88百万円 (2024年3月期) |
純資産 |
連結:198億66百万円 (2022年3月31日現在) |
総資産 |
連結:738億95百万円 (2022年3月31日現在) |
従業員数 | 1,360人(2024年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
フジ・メディア・ホールディングス 39.99% サンケイビル 5.37% みずほ銀行 3.25% 王子製紙 2.45% 三菱UFJ銀行 2.30% 東急 1.89% 日本製鉄 1.86% 三井住友銀行 1.83% 大王製紙 1.71% 日本製紙 1.61% (2019年4月1日現在) |
関係する人物 |
前田久吉(創業者) 水野成夫(元代表取締役社長) 鹿内信隆(元代表取締役社長・会長) 鹿内春雄(元代表取締役会長) 住田良能(元代表取締役社長) |
外部リンク |
www |
特記事項:フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社 |
株式会社産業経済新聞社(さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、英: Sankei Shimbun Co., Ltd.)は、フジサンケイグループ(FCG)の新聞社、出版社である。産経新聞、サンケイスポーツ、月刊オピニオン誌「正論」の各発行及びニュースサイト「産経ニュース」の運営元で、フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社である。通称は産経新聞社(さんけいしんぶんしゃ)。
大阪朝日新聞社(現在の朝日新聞大阪本社)、大阪毎日新聞社(同毎日新聞大阪本社)とともに大阪発祥の新聞社であるが、現在登記上の本店は東京都千代田区大手町の東京サンケイビルに置いている。
沿革




- 1913年(大正2年) - 大阪府西成郡(現在の大阪市西成区)で前田久吉が新聞販売店を創業する。
- 1922年(大正11年)7月9日 - 旬刊『南大阪新聞』を創刊する。
- 1923年(大正12年) - 『南大阪新聞』を『夕刊大阪新聞』と改めて日刊とする。
- 1933年(昭和8年) - 夕刊大阪新聞社から、現在の産経新聞の前身にあたる『日本工業新聞』を創刊する。
- 1939年(昭和14年) - 『日本工業新聞』の発行元を夕刊大阪新聞社から分社化し、株式会社日本工業新聞社を設立する。
- 1940年(昭和15年) - 日本工業新聞、大阪毎夕新聞と鉄鋼新聞(現・日刊産業新聞)を合同。同時に両紙の発行会社を吸収合併。
- 1942年(昭和17年)
- 1947年(昭和22年) - 旧鉄鋼新聞社のスタッフが独立し『日刊産業新聞』を創刊。
- 1950年(昭和25年) - 東京で『産業経済新聞』の印刷と発行を開始して東日本へ進出し、全国紙の基盤を成す。
- 1951年(昭和26年) - 世界経済新聞社を吸収して合併する。
- 1952年(昭和27年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 2月 - それぞれ別法人であった東京と大阪の両本社を合併し、登記上の本店を大阪から東京へ移転して東京を存続会社とし、新生の株式会社産業経済新聞社が発足する。東京本社社長の勝田は退任し信越放送社長に復帰する。
- 2月 - 東京と大阪の題号を『産經新聞』に統一する。
- 7月 - アメリカで開かれた第8回ミス・ユニバース世界大会で日本代表の児島明子が優勝する。アジア人初、歴代の欧米・南米美人を超えるプロポーション(97-60-96)[3]。
- 9月27日 - 号外を輸送していた航空機「おおとり号」が、故障により和歌山県田辺市沖合に墜落。乗員2人が死亡[4]。
- 月日未確認 - 与良が副社長を退任、中部日本新聞社に代表取締役として復帰。
- 1960年(昭和35年)
- 6月 - 第1回ミス・インターナショナル日本大会を開催。高木美智子を日本代表としてアメリカに派遣する。以後、ミス・コンテスト事業から撤退。
- 1961年(昭和36年) - 皇太子成婚記念「大噴水」を皇居前に設置して国に寄贈する。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)5月10日 - 「国鉄スワローズ」の経営権を取得してプロ野球球団「サンケイスワローズ」とする(1966年(昭和41年)、球団名を「サンケイアトムズ」に変更)。
- 1967年(昭和42年) - フジテレビジョン、ニッポン放送、文化放送と共に「フジサンケイグループ」を結成する。
- 1968年(昭和43年) - 水野成夫が会長から退き、鹿内信隆が社長に就任。
- 1969年(昭和44年)
- プロ野球団・「サンケイアトムズ」にヤクルト本社が資本参加し、「アトムズ」と改める。
- 『夕刊フジ』を創刊する。
- 題号を『サンケイ』に変更する。
- 1970年(昭和45年)
- 1月、プロ野球団「アトムズ」の経営権をヤクルト本社に譲渡、「ヤクルトアトムズ」と改めたうえで経営面から事実上撤退(ただし、引き続き球団の後援関係は維持[注 3])。
- サンケイスポーツの発行元を株式会社サンケイスポーツ新聞社、『夕刊フジ』の発行元を株式会社フジ新聞社、とそれぞれ分社する。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)5月4日 - 創業者の前田久吉が死去する。
- 1987年(昭和62年)
- サンケイスポーツ東京版の紙面をカラー刷りにする。
- サンケイスポーツ新聞社とフジ新聞社を吸収してサンケイ新聞本体に合併する。
- 1988年(昭和63年)
- 1990年(平成2年)10月28日 - 鹿内信隆が死去する。
- 1992年(平成4年) - 産経新聞社長の羽佐間重彰、フジテレビ社長の日枝久らの主導により鹿内宏明が代表取締役会長を解任される。
- 1997年(平成9年) - 専務取締役・清原武彦が社長に就任。
- 2000年(平成12年)9月 - 東京本社の東京サンケイビルが再開発、新しい東京サンケイビルが完成する。
- 2002年(平成14年)
- 産経新聞の東京本社版が夕刊を廃止し、朝刊単独紙へ移行する。
- 大阪新聞が廃刊し、産経新聞の大阪本社版と紙面を統合する。
- 2004年(平成16年)
- 3月1日 - 日本工業新聞が『フジサンケイ ビジネスアイ』に題号を変更する。
- 6月29日 - 専務総括主筆の住田良能が社長に就き、清原は会長に就任。
- 月日未確認 - 大阪新聞社を吸収して合併する。
- 2005年(平成17年) - 大阪本社の新社屋である難波サンケイビルが完成する。
- 2006年(平成18年)11月1日 - タブロイド紙『SANKEI EXPRESS』を創刊する。
- 2008年(平成20年) - 九州地方で、産経新聞の現地印刷と災害時の委託印刷を毎日新聞の工場が請け負うことを、毎日新聞社と基本合意する。
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)6月22日 - 専務取締役で大阪本社代表の熊坂隆光が社長に就き、住田は相談役に、清原は代表権のない会長にそれぞれ就く。
- 2012年(平成24年)
- 1月19日 - フジ・メディア・ホールディングスがサンケイビルに対するTOBを発表。11.08%を保有する産経新聞社はTOBに応募、サンケイビルはフジ・メディア・ホールディングスの完全子会社となる。
- 6月1日 - 「九州・山口本部」を「西部本部」に変更する。
- 2014年(平成26年)10月 - 論評サイト「iRONNA」を開設する。
- 2015年(平成27年)6月23日 - フジテレビ出身でフジ・メディア・ホールディングス社長を務めていた太田英昭が代表取締役会長に就任、清原武彦は取締役相談役に就任。
- 2016年(平成28年)3月31日 - 『SANKEI EXPRESS』を休刊する。
- 2017年(平成29年)1月30日 - 産経新聞の記事や論説を英語で世界に紹介する「JAPAN Forward」を運営する「一般社団法人ジャパンフォワード推進機構」を立ち上げる。
- 6月23日 - 熊坂隆光が代表取締役会長、太田英昭が取締役相談役、清原武彦が取締役ではない相談役に就任。
- 2018年(平成30年)2月15日 - 神田神保町の専売所跡地に女性専用のホステルを開業する[5][6]。
- 2019年(平成31年)2月 - 社員の1割に相当する約180名の大規模リストラを開始[7]。
- 6月22日 - 熊坂隆光、太田英昭が取締役を退任。それぞれ相談役、顧問に就任。
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)6月24日 - 飯塚浩彦が代表取締役会長、近藤哲司が代表取締役社長に就任。
- 2023年(令和5年)6月23日 - 飯塚浩彦が代表権のない取締役会長に就任。
- 2024年(令和6年)
本社所在地

業績推移
連結
決算期 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 当期利益 |
---|---|---|---|---|
2016年(平成28年)3月期 | 127,771 | 1,426 | 1,239 | 67 |
2017年(平成29年)3月期 | 123,028 | 704 | 675 | 514 |
2018年(平成30年)3月期 | 119,118 | 650 | 721 | △954 |
2019年(平成31年)3月期 | 111,066 | 506 | 359 | △1,964 |
2020年(令和2年)3月期 | 105,535 | 4,763 | 4,711 | 1,621 |
2021年(令和3年)3月期 | 87,893 | 1,466 | 1,690 | 570 |
2022年(令和4年)3月期 | 78,397 | 810 | 913 | 1,948 |
2023年(令和5年)3月期 | 78,690 | 678 | 739 | 984 |
2024年(令和6年)3月期 | 74,140 | 131 | 166 | △3,403 |
単体
決算期 | 単体売上高 | 経常利益 | 当期利益 | 朝刊部数 | 夕刊部数 |
---|---|---|---|---|---|
2003年(平成15年)3月期 | 129,467 | 85 | ▲1,981 | - | - |
2004年(平成16年)3月期 | 131,039 | 1,305 | 316 | - | - |
2005年(平成17年)3月期 | 130,620 | 2,064 | 430 | 約213.5万部 | - |
2006年(平成18年)3月期 | 128,725 | 2,625 | 622 | 約219万部 | 約63万部 |
2007年(平成19年)3月期 | 122,850 | 1,975 | 711 | 約220万部 | 約63万部 |
2008年(平成20年)3月期 | 119,799 | 2,315 | 473 | 約220万部 | 約63万部 |
2009年(平成21年)3月期 | 106,654 | ▲645 | 97 | 約210万部 | 約60万部 |
2010年(平成22年)3月期 | 91,244 | 584 | ▲641 | 168.5万部 | 54.7万部 |
2011年(平成23年)3月期 | 86,030 | 603 | 173 | 161.7万部 | 53.6万部 |
2012年(平成24年)3月期 | 84,557 | 580 | 865 | 160.7万部 | 53.6万部 |
2013年(平成25年)3月期 | 83,394 | 1,170 | 413 | 160.5万部 | 53.6万部 |
2014年(平成26年)3月期 | 133,930 | 1,176 | 418 | - | - |
2015年(平成27年)3月期 | 129,700 | 977 | ▲252 | - | - |
2016年(平成28年)3月期 | - | - | - | 161.5万部 | - |
2017年(平成29年)3月期 | 75,552 | 72 | 405 | 155.5万部 | 44.4万部 |
2018年(平成30年)3月期 | 73,605 | 63 | ▲852 | 151.7万部 | - |
2019年(平成31年)3月期 | 70,007 | ▲483 | ▲2,006 | 139.2万部 | |
2020年(令和2年)3月期 | 66,700 | 3,242 | 1,148 | 134.1万部 | |
2021年(令和3年)3月期 | 58,475 | 1,683 | 809 | 121.6万部 | 31.1万部 |
2022年(令和4年)3月期 | 50,945 | 845 | 608 | 約103万部 | 約30万部 |
2023年(令和5年)3月期 | 50,470 | 504 | 1,136 | 96.5万部 | |
2024年(令和6年)3月期 | 49,759 | 504 | ▲2,888 | 86.3万部 |
- 単位は百万円。業績数値および発行部数は産業経済新聞社提出の有価証券報告書より転載。
発行媒体
新聞
- 産経新聞(産經新聞) - 東京・大阪・九州。
- サンケイスポーツ - 東京・大阪。
- 競馬エイト - 全国。サンケイスポーツ増刊号として発刊しており、雑誌分類であるため競馬場では通常の競馬新聞と別の場所で販売されるなど、扱いが異なる。
休廃刊紙
- サンケイ経済版 - 東京。1973年7月25日に創刊[13][14]した朝刊専売紙。サンケイ新聞本紙と同じ記事も掲載されていた[15]。1977年5月1日に商業専門紙「サンケイ商業新聞」として再出発[16]。1978年6月6日、出版元を「サンケイ商業新聞社」として分社化[17]するも1979年2月28日に休刊(廃刊)[18]、後継紙として、同年4月からサンケイリビング新聞社が[19]週刊フリーペーパー「サンケイリビング商業新聞」を発行した[20]。
- フジサンケイ ビジネスアイ
- SANKEI EXPRESS - 2006年11月1日に創刊し、2016年3月31日に休刊した。
- 夕刊フジ
過去にUSAトゥデイの日本総販売代理店として国際衛星版を発行した。
雑誌

過去に「週刊サンケイ」を発行した。
2010年6月1日から、TVnavi、Kamzine、デジタルTVナビは産経新聞出版、「正論・別冊正論」と「週刊Gallop」は産経新聞社がそれぞれ発行する。
社旗
- 1960年代前半ごろまでは、赤地[注 5]右上から左下に白色の太斜線、白色部に赤の三本線、中心に丸囲み・縦文字・白抜きで「産経」。
- 1960年代中盤ごろから1988年は、赤地。中央に白色の太横線、白色部に水色で「サンケイ」、サンケイスポーツは「サンケイ(改行)スポーツ」。
- 1988年から現在は、赤地に白色の目ん玉マーク、下に「産経新聞社」または「サンケイスポーツ」。
- 1965年から1968年に産経新聞が経営したサンケイ・スワローズ、サンケイ・アトムズは、球団旗に社旗を流用し、スワローズ時代は社旗右下にスワローズ略称「S」、アトムズ時代は社旗白色部に「atoms」。
産経新聞グループ
関連企業
- 株式会社フジ・メディア・ホールディングス - 産経新聞株式の約40パーセントを保有する持株会社。
著名な出身者
不祥事
- 2020年5月20日、新型コロナウイルス感染症流行拡大に伴う緊急事態宣言が出されている期間中、東京高等検察庁検事長(当時)の黒川弘務が、同月1日から2日、および13日にかけて東京都内の知人の新聞記者の自宅を訪問し、産業経済新聞社の記者2人と朝日新聞社の元記者とともに賭け麻雀をしていた疑いがあると『週刊文春』が報じた[21][22][23][24]。産経新聞社では、賭け麻雀に参加した東京本社社会部次長と記者に4週間の出勤停止処分を科した[25]。また、2人に対する監督責任があったとして、編集担当の鳥居洋介取締役、編集局長、社会部長の3人を減給としたほか、飯塚浩彦社長も報酬の一部を自主返上するとした[26]。
- 2020年6月19日、「産経・FNN合同世論調査」に関し、調査業務の委託先だった調査会社が、電話調査の一部を別の会社に再委託し、この会社の調査担当者が2019年5月から2020年5月までの計14回分において、電話をかけずに架空の調査結果を計上していたことが判明した[27][28][29]。産経新聞社は、問題となった調査結果を使用した産経新聞の記事全てを取り消し、再発防止の体制が確立するまで世論調査を休止する旨を発表した[27][29]。
- 2019年3月に大阪府の販売店で制限額を超える返礼品を顧客に渡したしたとして大阪府から措置命令を受けていたが、2021年7月に措置命令後も継続して制限額を超える返礼品を顧客に渡していたことが判明し、社長の飯塚浩彦をはじめ複数の役員が減俸や降格などの処分を受けた[30]。2023年3月に大阪府から2度目となる措置命令を受けた[31]。
- 2024年7月9日、無免許でバイクを運転し事故を起こしたとして、道路交通法違反(無免許運転、安全運転義務違反)の現行犯で、この原付バイクを運転していた産経新聞配達員を逮捕した。[32]
テレビ・ラジオコマーシャル
テレビコマーシャル
主に、フジテレビと北海道文化放送を除く東日本地域の系列局、九州地域は福岡県の民放テレビ全局で放送されている。
ラジオコマーシャル
- ラジオ番組の提供スポンサー
- 私の正論(ニッポン放送)
- 垣花正 あなたとハッピー! / 春風亭一之輔 あなたとハッピー!「産経新聞モーニングキャッチ」(ニッポン放送)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 『サンケイグラフ』1955年3月27日号、産業経済新聞社。
- ^ a b 週刊サンケイ臨時増刊1959年7月号 ミス・ユニバース ミス・ワールド美の祭典 70頁
- ^ 週刊サンケイ臨時増刊 1959年9月号 世界一の美女 児島明子 9頁
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、139頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 旧専売所跡地に女性専用「ホステル」がオープン 東京・神保町に、新たな情報交流・発信の場産業経済新聞社プレスリリース(2018年4月6日閲覧)
- ^ 産業経済新聞社「専売所跡地に女性専用「ホステル」オープン 新聞社が「情報交流・発信の場」を建設 東京・神保町、インバウンド需要も照準 - プレスリリース」『PR TIMES』株式会社 PR TIMES、2018年2月23日。2020年2月7日閲覧。
- ^ “産経新聞社、約180人の希望退職者を募集 2019年春入社予定の新入社員は2人”. エキサイトニュース. 2020年6月16日閲覧。
- ^ 「産経新聞社、大阪放送株の一部をDONUTSに売却」『産経新聞』2021年10月8日。2021年11月26日閲覧。
- ^ “福沢諭吉ゆかりの時事新報社が解散決議”. 産経新聞 (2024年9月11日). 2024年9月12日閲覧。
- ^ “産経新聞社、産経新聞・サンスポ・夕刊フジの富山県内での発行を9月末で終了”. RTB SQUARE. 2024年8月10日閲覧。
- ^ “夕刊フジ休刊のお知らせ”. 夕刊フジ. (2024年10月1日) 2024年10月1日閲覧。
- ^ メディアリンク(日本新聞協会)
- ^ 「本格的大衆経済紙『サンケイ経済版』」『オール大衆』1973年9月15日号、31頁。NDLJP:2246896/16
- ^ 国立国会図書館書誌ID:000000054985
- ^ 「サンケイ経済版のねらい――中山了氏に聞く」『新聞経営』No.44、1973年、61-64頁。NDLJP:3441419/34
- ^ 「新聞経営日誌 昭和52年4月〜6月」『新聞経営』No.60、1977年、111頁。NDLJP:3441435/59
- ^ 『電通広告年鑑 昭和53年版』、1978年、130頁。NDLJP:11914953/68
- ^ 国立国会図書館書誌ID:000000054752
- ^ サンケイリビング新聞社の広告、『電通広告年鑑 昭和54年版』、1979年。NDLJP:11914975/24
- ^ 「新聞経営日誌 昭和54年1月〜5月」『新聞経営』No.67、1979年、102頁。NDLJP:3441442/55。
- ^ “黒川検事長、記者と賭けマージャンか 週刊文春報道 (写真=共同) :日本経済新聞”. web.archive.org (2020年5月20日). 2020年5月20日閲覧。
- ^ “黒川検事長、緊急事態宣言中にマージャン 週刊誌報道:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル 2020年5月20日閲覧。
- ^ “黒川検事長が今月、産経記者や朝日社員と「賭けマージャン」か…週刊文春報道 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン”. web.archive.org (2020年5月20日). 2020年5月20日閲覧。
- ^ “黒川検事長 賭けマージャン報道「事実関係承知せず」官房長官”. NHKニュース. (2020年5月20日) 2020年5月20日閲覧。
- ^ “記者ら2人を出勤停止 前検事長と賭けマージャン―産経新聞社”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2020年6月16日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ “前検事長と賭け麻雀、産経新聞が記者ら2人懲戒「極めて不適切な行動」”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2020年6月16日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ a b “産経・FNN合同世論調査、委託先社員が不正”. 産経ニュース . 産経デジタル (2020年6月19日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ “世論調査で架空データ入力 過去14回、フジと産経新聞”. 共同通信社 (2020年6月19日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ a b “フジ・産経の世論調査で不正 委託会社が14回架空データ入力”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2020年6月19日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ “産経新聞社、社長ら処分 措置命令後も高額景品提供”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2021年8月3日). 2022年6月5日閲覧。
- ^ “産経新聞に大阪府が措置命令 購読契約で複数景品提供、上限額超える”. 朝日新聞. (2023年3月30日) 2023年3月30日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2024年7月9日). “本紙配達員、無免許で新聞配達中に追突事故”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年7月17日閲覧。
関連項目
- 産経新聞 - 当社の最主力媒体
- 産経新聞東京本社
- 産経新聞大阪本社
- 産経新聞西部本部
- 時事新報 - 東京本社版の事実上の前身紙
- フジサンケイ ビジネスアイ - グループの経済専門紙。2021年廃刊。
- 日本経済新聞社 - 設立に際しての事情が同じ。大東亜戦争中は活動地域の棲み分けを行い、社名も類似するなど、事実上同一の歴史の流れの上にある。
- 毎日新聞GHD・毎日新聞社 - 創業者の前田久吉と関係が深く、一時期取締役を務めていたことがある。
- 日刊産業新聞 - 鉄鋼・金属業界紙。大東亜戦争前後の一時期、産業経済新聞に合同していた。
- ESSE - フジテレビ発行の月刊生活情報誌。産経専売店を中心に、宅配購読者に無料配布されることがある。
- 日本航空
外部リンク
- 産業経済新聞社
- 産経ニュース
- 産経WEST
- サンスポ
- ZAKZAK:夕刊フジ公式サイト
- iza(イザ!)
- iRONNA(イロンナ) - ウェイバックマシン(2021年6月30日アーカイブ分)
- JAPAN Forward -REAL ISSUES, REAL VOICE, REAL JAPAN-
- 産業経済新聞社 - YouTubeチャンネル
産経新聞社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 22:38 UTC 版)
1969年3月 サンケイ新聞社に入社、東京本社編集局。 1971年12月 東京本社社会部。 1974年 台北特派員(蔣介石秘録の編集スタッフ)。 1978年 水戸支局(ペリリュー島78を執筆)。 1982年8月 ワシントン特派員(レフチェンコ事件の社内調査で重要証言)。 1986年7月 東京本社政治部次長(デスク)。 1989年7月 外信部長兼論説委員。 1993年2月 東京本社編集局次長兼経済部長兼論説委員。 1994年5月 東京本社編集局長。 1996年6月17日 取締役東京本社編集局長。編集・論説・「正論」欄を担当。 1998年6月26日 常務取締役主筆東京編集局長。 2000年6月27日 専務取締役主筆大阪代表。 2002年6月27日 専務取締役総括・主筆。 2004年6月29日 代表取締役社長。 2011年6月22日 取締役相談役。 2012年6月22日 相談役。 2013年6月11日、多発性骨髄腫のため死去、68歳。 住田が編集局長を務めていた1995年に「教科書が教えない歴史」の連載が開始された。この後には「新しい歴史教科書」が扶桑社から出版された。また、国家基本問題研究所の理事も務めている。その一方で、佐藤優に太平洋戦争(大東亜戦争)賛美への危惧を表明したり、政治思想的に対極にある佐高信と長く親交を保つなどした。
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