昭和40年 (きのとみ 乙巳)
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年(年号) | |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
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●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック |
●1976年 (昭和51年) | ■ロッキード事件 |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック |
●1982年 (昭和57年) | ■東北・上越新幹線開通 |
●1983年 (昭和58年) | ■大韓航空機撃墜事件 |
●1985年 (昭和60年) | ■日航ジャンボ機墜落事件 |
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1965年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 09:03 UTC 版)
1965年(1965 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。昭和40年。
- ^ 昭和二万日13、p.108
- ^ 昭和二万日13、p.110
- ^ a b 昭和二万日13、p.116
- ^ 昭和二万日13、p.120-121
- ^ “あらかわを知る”. 荒川区. 2017年5月25日閲覧。
- ^ “すみだ区報(墨田区のお知らせ「すみだ」) 2015年3月21日号”. 墨田区. 2017年5月25日閲覧。
- ^ 1979年に朝刊に移行、1991年9月30日に連載終了。
- ^ 昭和二万日13、p.123
- ^ 昭和二万日13、p.126
- ^ 昭和二万日13、p.132
- ^ 昭和二万日13、p.134-135
- ^ a b c d 昭和二万日13、p.134
- ^ a b 昭和二万日13、p.138
- ^ a b 昭和二万日13、p.144
- ^ 昭和二万日13、p.144-145
- ^ 昭和二万日13、p.145
- ^ a b 昭和二万日13、p.148
- ^ 昭和二万日13、p.150
- ^ 昭和二万日13、p.156
- ^ 昭和二万日13、p.158
- ^ a b c d 昭和二万日13、p.160
- ^ a b 昭和二万日13、p.164
- ^ a b 昭和二万日13、p.166
- ^ “DRC: Constitutional Crisis between Kasavubu and Tshombe” (英語). Electoral Institute for Sustainable Democracy in Africa (EISA). 2014年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月18日閲覧。
- ^ 昭和二万日13、p.170
- ^ a b 昭和二万日13、p.172
- ^ “相沢正輝(あいざわまさき)のプロフィール・画像・出演スケジュール【スタスケ】(0000069550)”. ザテレビジョン. 2020年11月5日閲覧。
- ^ “青山 穣 : 声優情報”. アニメハック. 映画.com. 2021年1月10日閲覧。
- ^ 『日本音声製作者名鑑2007』小学館、2007年3月25日、115頁。ISBN 978-4-09-526302-1。
- ^ “三宅雪子元衆院議員が自殺か 海岸付近で遺体発見”. 日本経済新聞 (2020年1月7日). 2020年11月3日閲覧。
- ^ “さくらももこさん、乳がんで死去 「ちびまる子ちゃん」”. 朝日新聞デジタル (2018年8月27日). 2020年11月11日閲覧。
- ^ “有賀さつきさん父 病院からの連絡で知る「まったく予想外でした」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年2月5日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ 「元山響親方で元前頭・豊ノ海の浜田真二氏死去56歳 福岡・豊前市出身」『日刊スポーツ』、2021年11月21日。2021年11月21日閲覧。
- ^ “草尾毅 のプロフィール - allcinema”. 2020年11月10日閲覧。
- ^ マクドナルド 2020, p. 58.
- ^ フレドリック・ブラウン 『天の光はすべて星』早川書房、2008年、95頁。ISBN 978-4-15-011679-8。
- ^ 『ロスト・メモリーズ』アバンタイトルより。
- ^ ナムコ公式ガイドブック R4より
1965年(昭和40年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1965年(昭和40年)」の解説
高松・松山間にバスの運行が開始される。 高松・徳島間にバスの運行が開始される。 福岡下水処理場が一部始動する。 菊池寛顕彰会が「香川菊池寛賞」を設ける。 高知県早明浦ダムが起工する。 県ガン予防協会が発足する。
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1965年(3歳時)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:43 UTC 版)
「ボールドラッド (1962年生まれの競走馬)」の記事における「1965年(3歳時)」の解説
2月初旬、ボールドラッドはハイアリアパーク競馬場での滞在時に右前脚を損傷、第4中手骨(外側副管骨)が飛び出してしまった。このためしばらく休養を要し、年内初戦は遅くなった。 4月5日、アケダクト競馬場で行われた6ハロンの一般戦で復帰し、古馬を相手にしながら年内初勝利を挙げた。その後、ウッドメモリアルステークス(アケダクト・9ハロン)で3着に入り、ダービートライアルステークス(チャーチルダウンズ・8ハロン)で勝利した。 同年のケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・10ハロン)ではボールドラッドが1番人気に据えられていた。ボールドラッドはレース中は直線に入るまで先頭を争っていたが、その後力尽きて10着に敗れた。この後ボールドラッドは貧血を患っていると診断され、これを考慮してプリークネスステークスおよびベルモントステークスには出走しなかった。 1965年6月20日、ボールドラッドはアケダクト競馬場での調教中に再び負傷、手術を受け、同年は休養に充てられた。
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1965年(昭和40年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
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1965年(昭和40年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 10:14 UTC 版)
「アンラッキーヤングメン」の記事における「1965年(昭和40年)」の解説
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1965年(昭和40年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:28 UTC 版)
「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1965年(昭和40年)」の解説
1月 - 横田基地所属のF-105戦闘機が曳行標的を昭島市内に誤投下。 1月10日 - ウェーク島を飛び立ち沖縄へ向っていたC-133輸送機が太平洋に墜落し乗員6名が行方不明。 2月2日 - 埼玉県入間郡西武町(現入間市)野田芝の入間川の横にある茶畑にT-33練習機が燃えながら墜落。墜落現場近くに燃えて穴の開いたパラシュートがあり、そのすぐ近くで乗員2名が死んでいるのが発見された。 2月16日 - 東京都青梅市新町小藤塚にある麦畑にF-105戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで無事に降下した。 2月18日 - 板付空港(現福岡空港)の南約21キロメートルの山中にF-100戦闘機が墜落。乗員1名はパラシュートで無事に降下した。 5月 - 横田基地所属のF-105戦闘機から部品が脱落し、福生市内の住宅地に落下。 5月5日 - 神奈川県相模原市上鶴間の米軍家族住宅に横田基地を離陸したF-105戦闘機が墜落。この事故で3人が死亡し、8人が負傷した。 6月15日 - 神奈川県中郡二宮町沖の相模湾にF-4B戦闘機が墜落し乗員が行方不明となった。 6月25日 - 厚木基地を出発したA-4C攻撃機が離陸直後に失速し、神奈川県大和市上草柳にある相模鉄道のコンクリート製トンネルに接触したのち麦畑に墜落し大破。現場は1962年(昭和37年)8月11日に起きた墜落事故地点とほとんど同じ所で、1962年の事故を受けて1964年(昭和39年)11月に厚さ40センチメートルのコンクリート壁でトンネルを作ったばかりだった。もしこのトンネルがなかったら相模鉄道への被害は免れなかったと言われている。なおパイロット1名はこの事故で重傷を負った。 9月27日 - 福岡県遠賀郡岡垣町糠塚の森林に米軍機が模擬爆弾を誤投下した。模擬爆弾の落下した場所からわずか10メートル離れた所には松の伐採をしていた作業者7名がいたが、幸いに負傷者は出なかった。 12月5日 - 沖縄東方の太平洋で空母タイコンデロガのエレベーターからB43核爆弾1発を搭載したA-4E攻撃機が海に転落、パイロットとともに核爆弾も失われ未回収となった。1名死亡。
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1965年(昭和40年)
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「1961年-1975年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1965年(昭和40年)」の解説
3月1日に紀勢本線で小規模な改正が行われて同線初の特急である「くろしお」が誕生した後、10月1日に大規模なダイヤ改正が実施された。 前年開通したばかりである新幹線や昼行特急の新設・増発が図られ、同時にマルスによる座席指定券のオンライン販売を行うために、「みどりの窓口」もこの時誕生した。また11月1日には東海道新幹線の徐行運転が解除されて、予定どおりの東京 - 大阪3時間10分運転を開始している。詳しくは1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正を参照。
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「1965年」の例文・使い方・用例・文例
- 1965年から1966年にかけて米国が行った宇宙旅行計画
- 1965年に毛沢東によって開始されて、主に紅衛兵によって行われた中国での根本的改革
- 白人による政治的支配を終わらせる1965年に創設された好戦的黒人政治同盟
- 1962年−1965年のバチカン公会議で、普遍的なラテン語の典礼および定評あるエキュメニズムを放棄し、他の改革を行なった
- 米国の大統領の経済顧問(1870年−1965年)
- エジプトの王で、1952年の軍のクーデターにより追放された(1920年−1965年)
- 英国の放射線科医で、その栄誉をたたえて、グレイ(放射線の吸収線量に対するエネルギーのSI単位)が名付けられた(1905年−1965年)
- 英国のピアニスト(1890年−1965年)
- 英国の地質学者で、大陸移動説の支持者(1890年−1965年)
- 米国の詩人(1914年−1965年)
- 米国の写真家で、大恐慌時の農業労働者の肖像で知られる(1895年−1965年)
- 米国のどたばた喜劇の役者(英国生まれ)で、多くの映画でローレルとハーディーのデュオの落ちつきがなくてしばしば悲しいメンバーを演じた(1890年−1965年)
- フランス人の建築家(スイス生まれ)(1887年−1965年)
- 好戦的な公民権運動の指導者(1925年−1965年)
- 英国の小説と短編の作家(フランス生まれ)(1874年−1965年)
- スイスの化学者で、DDTを合成して、殺虫剤としてのその使い方を発見した(1899-1965年)
- 米国の放送ジャーナリストで、第二次世界大戦中のロンドンからのレポートで知られる(1908年−1965年)
- 米国の歴史家(1888年−1965年)
- フランスの哲学者、医師、オルガン奏者で、人生の大半を医療使節団としてガボンで過ごした(1875年−1965年)
- 米国の映画製作者で、通俗小説の映画化で知られる(1902年−1965年)
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