てんれい 【典礼】
典礼
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典礼(てんれい)とは、定まった儀式・儀礼あるいはこれを司る役である[1]。通常はキリスト教(カトリック教会)のそれを指すことが多いが、釈奠典礼とも呼称される儒教の祖孔子を祀る儀礼である釈奠なども一般に典礼と呼ばれる[2][3][4]。
注釈
出典
- ^ 新村出編『広辞苑 第五版』岩波書店2004、「典礼」
- ^ 新村出編『広辞苑 第五版』岩波書店2004、「釈奠」
- ^ 用例
- ^ 用例
- ^ 『カトリック教会のカテキズム』カトリック中央協議会、ISBN 487750-1010、337頁
- ^ 『カトリック教会の教え』カトリック中央協議会、ISBN 9784877501068、170頁
- ^ 世界キリスト教情報■第941信世界キリスト教情報
典礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)
この公会議の後、外見的な部分で教会が変わったと人々を実感させたのは典礼の改革であった。この精神は『典礼憲章』にくわしい。教会は典礼においてすべての人が積極的にこれにかかわることが求められるとして、多くの改革を実行した。たとえばそれまでほとんどラテン語で行われていたミサおよび典礼の諸儀式が各国語で行われることになった。また司教の判断のもとに(全世界一様でなく)その地域文化に根ざした典礼のあり方が模索されることになった。(典礼の見直しにともなって、レクイエム・ミサにおける続唱(「怒りの日」など)も廃止された。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎており、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由であった。)
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典礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 01:45 UTC 版)
「アタナシウス・シュナイダー」の記事における「典礼」の解説
シュナイダーはトリエント・ミサを強力に推進している。シュナイダーは司祭が「無造作で表面的な、ほとんど娯楽的なスタイル」の典礼を用いていることを非難し、典礼は「美しさと敬意」をもって行われなければならないと述べた。シュナイダーによれば、「典礼は時代を超越しており、時代の嗜好によって典礼を変えることは出来ない」という。 また、ビザンティン典礼のミサを何度も捧げており、「尊敬と畏敬の念、超自然的な精神と崇拝に満ちている」と称賛している。 シュナイダーは新型コロナウイルス感染症パンデミックの間の教会の閉鎖を批判し、他の多くの施設が営業を続けていたことを指摘し、衛生的な手順が守られ、混雑を制限するために追加のミサが提供されれば、教会を安全に開き続けることができると提案した。
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典礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 09:14 UTC 版)
殆どのハシド派は、アイザック・ルリアの革新に基づいて、アシュケナージとセファルディの典礼の混合物であるヌサッハ・セファードの変種を使用している。バアル・シェム・トヴァは安息日の前夜に金曜日の奉仕に2つの節を追加した。 ハシディムは東ヨーロッパの背景を反映して、礼拝の目的でヘブライ語とアラム語のアシュケナージの発音を使用している。言葉のない、感情的なメロディー、ニグニムはよく見られます。 ハシディムは、カバナ、献身、意思を重視しており、非常に長く繰り返している傾向がある。一部の王朝は、祈りを実施しなければならない伝統的な特定の時間をほぼ廃止している。精神的な浄化のための男性による儀式浴は毎日行われ、他の正教会のユダヤ人よりもはるかに高い率である。
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典礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 15:06 UTC 版)
現在、レクイエム・ミサのセクエンツィアでは用いられるが、ローマ・ミサ典礼書(英語版)(1970年)では使われない。 「怒りの日」には、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトやジュゼッペ・ヴェルディなどの有名な曲があり、その重要な役割はよく知られているが、第二バチカン公会議以降は通常のミサでは使われなくなった。ただし、レクイエムやアドベント聖歌では現在も使われる。また、ラテン語を典礼に使う伝統カトリックはこれを用いている。
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典礼(祈りのスタイル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 10:16 UTC 版)
「テゼ共同体」の記事における「典礼(祈りのスタイル)」の解説
現代を代表する哲学者の一人であるポール・リクールは、テゼの祈りの方法はその信仰をそのまま表しており、人々は人間の存在の深みにある善良さを、(哲学や神学という言語ではなく)「典礼」という言語によって、祈りの中で体験できると語った。テゼで行われている典礼(祈りのスタイル)とその背景については、「テゼの典礼:「共同の祈り」の歴史、構造、意義」(打樋 2011年)に詳しく述べられている。
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典礼
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「カトリック聖カタリナ教会」の記事における「典礼」の解説
現在は通常ロシア語でミサが行われている。また土日には英語、ドイツ語、スペイン語などでのミサも行われている。大変音響がいい教会で、聖書朗読・説教は周囲の壁からの音響とともに聞こえる。
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典礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 06:56 UTC 版)
この日の典礼では、前年の枝の主日(聖週間の初日となる主日、すなわち復活祭の1週間前)に使用された棗椰子(なつめやし)または棕櫚(しゅろ)の枝などを、最近では3日前の日曜日に不要になった木製の十字架などを集めて、燃やした灰の「祝別式」と「塗布式」が行われる。 祝別式とは、この灰を前に神に祈り、聖別することを指す。 塗布式とは灰の水曜日のミサ(礼拝)で、司式者が信者各自の額に灰の十字を記し(塗り付け)、例えば聖公会では司式者が祈祷書にある「あなたはもともと土から生まれたので、まもなく土に返る。 だから罪を悔い改めて、イエスの教えに立ち返りなさい。」と言いながら祈ることを指す。 この儀式後、各信者は額に灰の十字を付けたまま教会から出て、外を歩き、通常(しばらくは)額に記された十字を自ら拭い去ることはない。
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「典礼」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は典礼係に選ばれてとても光栄だった。
- ラテン式典礼の教会, ローマカトリック教会.
- 典礼によって.
- コーラスの律動的なスピーチが歌に挿入される時、音程は、間接的に、しかし紛れもなく、正統的な典礼によって教えられたものである
- 典礼の詠唱
- 袖のある白いリンネルの典礼に用いる式服
- 司教が公式の機会にかぶる典礼用かぶりもの
- 典礼の研究
- 典礼に使う詩篇の集まり
- これらのラテンの語から始まる典礼の祈り
- 中世に典礼の目的で使われたラテン語
- 上座部仏教の聖書で典礼の言語である古代のプラークリット言語(サンスクリット語に由来する)
- 信仰を示すために、ユダヤ教の成人男性によって少なくとも一日に二回唱えられる典礼の祈り(ユダヤ教の神髄であると考えられてる)
- ローマカトリック教会で用いられた典礼歌
- キリスト教の典礼での、神を賛美する歌、または言葉
- 古代の典礼讃美歌
- 異なる語または異なるリズムで繰り返される単音(特に典礼の原文を提出する際に)
- ビザンティン教会から派生し、ビザンツ式典礼に忠実であること
- 1962年−1965年のバチカン公会議で、普遍的なラテン語の典礼および定評あるエキュメニズムを放棄し、他の改革を行なった
- 聖職者または大臣を典礼の儀式で補助をする誰か
典礼と同じ種類の言葉
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