東ヨーロッパ
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東ヨーロッパ(ひがしヨーロッパ、英: Eastern Europe、露: Восточная Европа、チェコ語: východní Evropa、ポーランド語: Europa Wschodnia、ウクライナ語: Східна Європа、ベラルーシ語: Усходняя Еўропа)は、ヨーロッパの東部地域を指す。東欧(とうおう)とも呼ばれる。欧州でも特に民族の構成が複雑で、文化や宗教も多種多様に存在する。
冷戦時代においては、いわゆる「東側」「西側」という分類のそれを指す場合もあった(東側諸国や西側諸国の記事も参照)。以下では主に、通時的な「東欧」という概念の大まかな変遷を説明する。
地理的・文化的な分類
狭義

最狭義にはロシア(のウラル山脈以西)、ウクライナ、ベラルーシの三国を指す。これらの地域にはキエフ・ルーシをはじめとするルーシ(リュス)の国々が誕生した。やがてこの地域一帯はロシア帝国の一部となり、ロシア革命によりソビエト連邦のヨーロッパ部分を構成するようになった。ソビエト連邦の崩壊後は独立国家共同体が誕生した。
広義
広義には、かつてのヨーロッパのソ連型社会主義圏を指す。東欧革命以後では、ヨーロッパの東側の全ての国々を総じて「東欧」と呼ぶ場合が多い。現在でも国際連合の統計局ではこれら旧ソ連型社会主義圏の国々は「東欧」に含まれている。近年は、それらの国々の一部は中欧または中東欧とされることが増えている。旧ソ連型社会主義圏のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどは歴史・文化・経済面で関係が深く、地域協力機構「ヴィシェグラード・グループ」を形成するに至った。
旧ソ連の加盟国
旧ソビエト連邦の加盟国の以下の国々を含む場合もある。
これらの国々はCISの加盟国か元加盟国となっている旧ソ連邦の国々であり、その領土の一部が地理的にヨーロッパにあるか、ヨーロッパと歴史的に深いつながりのある国々である。それぞれ別の時代にロシア帝国あるいはソビエト連邦の一部へと組み込まれていった。現在でも経済的にロシアとのつながりが深いが、政治的には親ロシア的なアルメニアから、NATO加盟を目指す西側志向で反ロシア的なジョージアまで立場はさまざまである。
モルドバは民族的にはルーマニアに近く、南東ヨーロッパに分類される場合がある[2]。
旧加盟国の中で、リトアニア・ラトヴィア・エストニアの3カ国はバルト三国と呼ばれ、北ヨーロッパにも含まれる国々[注 1]。
これらの国々は第一次世界大戦時のロシア帝国崩壊に伴って独立を果たし、政治的自治の自由を味わった。しかしまもなく、ドイツとソビエト連邦による密約・モロトフ=リッベントロップ協定に基づいてソビエト連邦の構成国となった。3カ国ともソビエト連邦崩壊の混乱のさなかに独立を回復し、その後NATOや欧州連合への加盟を果たしている。しかし、国内には全人口の数割に及ぶ多数のロシア系住民をかかえており、反ロシア的な民族主義者とロシア系住民の間で政治的・文化的な緊張が続いている。
中東欧
現在は中欧または中東欧とも呼ばれる国々。
中世から近代にかけて、これらの国々は連合の王朝や連合国(ハンガリー・ボヘミア・ポーランド・リトアニア間)を作り、神聖ローマ帝国やオーストリア帝国などのゲルマン系の国々の一部であった。神聖ローマ帝国やオーストリア帝国末期からその崩壊後にかけては、帝国からの自由とスラヴ人同士の連帯を希求した汎スラヴ主義運動の中心地であった(それに反しポーランド・リトアニア共和国は多民族共存を唱えた)。両世界大戦においてはドイツとロシア帝国、ソビエト連邦の衝突の地となり、戦後はソ連型社会主義の東側諸国としてソビエト連邦の衛星国となった。冷戦終結後は西側諸国と政治的連携をし、NATOや欧州連合への加盟をした。なお、ハンガリー以外はスラヴ系民族が多数を占める国家でもある。この点は同じ「中欧」でもゲルマン系民族を多数とするドイツ・オーストリア・スイスとは異なる。
現在、外務省で中央ヨーロッパを管轄しているのは「欧州局中・東欧課」である(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ギリシャ、キプロス、セルビア、モンテネグロ、コソボ、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバがこの課の管轄)。
東南欧
バルカン半島諸国や東南ヨーロッパと呼ばれる国々。
アナトリア半島が国土の大半を占めるが、以下の国を含む場合もある。
これらの国や地域の多くは東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響(特にビザンティン文化)を受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。これらの国々はNATOや欧州連合の加盟国であるか加盟を目指す国々であり、また南東欧協力プロセスや中欧自由貿易協定を結び、新たな地域統合の道が模索されている。
国連による分類
国連による世界地理区分で東ヨーロッパに分類される国は以下の10ヶ国である。
以下は事実上独立した地域。
冷戦時代

多くはワルシャワ条約機構に加盟していた。 冷戦期の東側諸国(Eastern Bloc)と「東ヨーロッパ(東欧)」(Eastern Europe / East Europe)表記を混同しないこと。
- ワルシャワ条約機構加盟国
- 中立国
アルバニア社会主義人民共和国 (ワルシャワ条約機構を1968年に脱退)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
関連文献
- 『中欧・東欧文化事典』編集代表 羽場久美子、編集委員 井口壽乃、大津留厚、桑名映子、田口雅弘、中澤達哉、長與進、三谷惠子、山崎信一、丸善出版、2021年。IBSN 978-4-621-30616-1[3]
脚注
注釈
出典
- ^ “Standard Country and Area Codes Classifications (M49)”. 国連統計部. 2008年6月25日閲覧。
- ^
ドイツ・StAGNによる分類 - ^ 中欧・東欧文化事典 - 丸善出版 理工・医学・人文社会科学の専門書出版社
関連項目
東ヨーロッパ(バルカン半島)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)
「近代における世界の一体化」の記事における「東ヨーロッパ(バルカン半島)」の解説
オスマン帝国は、18世紀以来オーストリア大公国やロシア帝国と戦って次第にその領土を侵食されていた。それらに加え、19世紀に入るとフランス革命の影響によって東ヨーロッパ(特にバルカン半島)で民族意識が高まり、ギリシャ独立戦争にみられるように、諸民族は自立の動きを強めた。ヨーロッパ諸国はこの動きを歓迎して積極的に支援したため、オスマン帝国は国内的にも苦境に陥った。1838年、イギリスとオスマン帝国は通商条約を結んだが、これはオスマン帝国に関税自主権のない不平等条約であり、属領エジプトにも適用された。かつて、オスマン帝国が恩恵として与えていたカピチュレーションも今や不平等条約をおしつける際の格好の足がかりとなり、中国、日本など他のアジア地域との通商の際にも応用されることとなった。 1839年、オスマン帝国では、スルタンの交代が起こった。父マフムト2世の死亡により、アブデュルメジト1世がスルタンに即位した。名宰相ムスタファ・レシト・パシャの補佐のもと、ギュルハネ勅令を発布すると、オスマン帝国の近代化に乗り出した。タンジマートの始まりだった。
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東ヨーロッパ
「東ヨーロッパ」の例文・使い方・用例・文例
- 東ヨーロッパ
- 東ヨーロッパのユダヤ人は、ゲットー化された
- 東ヨーロッパの大きいナイチンゲール
- 南東ヨーロッパと中央アジアの
- 中央・東ヨーロッパのヒキガエルで、裏面は黒く赤かオレンジのまだらがある
- 中央・東ヨーロッパ産の細長い大型ナマズ
- 教皇権を承認するが彼ら自身の礼拝を有する東ヨーロッパあるいは中東のいくつかの教会のいずれか
- 18世紀後半に東ヨーロッパから始まった敬けんな運動から生じた正統派ユダヤ教徒の教派
- 13世紀に東ヨーロッパ中で猛威をふるったモンゴル軍
- バルカン山脈を含む南東ヨーロッパの大きな半島
- アドリア海で南東ヨーロッパと接する山がちの共和国
- 中央および東ヨーロッパの1.地理的地域
- 14世紀にモスクワと共に首都として作成された、東ヨーロッパと北アジアの前の帝国
- 南西アジア、北東アフリカ、および南東ヨーロッパの、トルコのスルタンの位
- 東ヨーロッパの、または、ドイツの出身のユダヤ人
- 東ヨーロッパとロシアのアジア地方に住むスラヴ語を話す民族
- ドイツの政治家で、西ドイツの首相として東ヨーロッパとの緊張を軽減するために働いた(1913年−1992年)
- その魅力的な白い羊毛状の葉と派手な深紅の花のために南東ヨーロッパで広く栽培されている古い庭用の植物
- 白いわた毛が下側にある葉を持っている東ヨーロッパと小アジアの原産の大きな木
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