ワルシャワじょうやく‐きこう〔‐デウヤク‐〕【ワルシャワ条約機構】
【ワルシャワ条約機構】(わるしゃわじょうやくきこう)
Warsaw Treaty Organization. (WTO)
旧ソビエト連邦および東ヨーロッパ諸国が結成した安全保障機構。
1955年、ポーランドのワルシャワで締結された「東欧相互防衛援助条約」によって発足した。
正式名称は「東欧相互防衛援助条約機構」。
冷戦期、NATOに対抗するために旧東側諸国によって組まれた軍事同盟である。
加盟国はソ連、アルバニア、ブルガリア、ルーマニア、東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア。
ソ連軍を中核に大量の兵力と戦車部隊を保有し、数の上ではNATO軍を圧倒していた。
しかし、東欧民主化の波によって徐々にその存在意義を失っていく。
1991年3月には軍事機構が廃止され、7月に正式に解散。
同年12月には盟主であったソビエト連邦が体制崩壊に至っている。
ワルシャワ条約機構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 23:39 UTC 版)
ロシア語: Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи
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1990年当時の加盟国 (緑)
脱退した加盟国(アルバニア) (黄緑) |
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設立 | 1955年5月14日 |
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設立者 | ソビエト連邦の他、ドイツ民主共和国以外の原加盟国 |
解散 | 1991年7月1日 |
種類 | 軍事同盟 |
本部 | ![]() |
会員数
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統合軍総司令官 | ピョートル・ルシェフ (最後) |
統合軍参謀長 | ウラジーミル・ロボフ (最後) |

東側諸国 |
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ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう、露: Организации Варшавского договора / Варшавский договор, 波: Układ o Przyjaźni, Współpracy i Pomocy Wzajemnej / Układ Warszawski, 英: Warsaw Treaty Organization / Warsaw Pact Organization)は、冷戦期の1955年、ワルシャワ条約に基づき、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。ポーランド人民共和国の首都ワルシャワで設立されたため、「ワルシャワ」の名を冠しているが、本部はモスクワにあった[1]。正式名称は、「友好協力相互援助条約機構」(ロシア語: Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи)。
概説
西ドイツの再軍備および北大西洋条約を批准して北大西洋条約機構(NATO)に加入した事態に対抗して作られた。
ロシア語での略称はОВДまたはВДと表す。英語での略称はWTOまたはWPO、WarPac。なお、ワルシャワ条約機構の解散後に創設された同じ略称の世界貿易機関(WTO)と混同されやすいためにTreatyではなくPactを用いたWPOの略称が多く使われる。
この同盟の第一の目的はNATOへの対抗であった。この当時、アメリカ合衆国とソ連の間では核開発競争が盛んであった。核ミサイルを、アメリカはトルコに、ソ連はキューバに設置し、その照準を互いの国土に向けていた。こうした緊張によってキューバ危機(Cuban missile crisis)なども勃発した。当時のソ連はアメリカを脅威と見なしており、アメリカが西欧諸国に軍事的な支援を行うことに強く反発した。よって同じ力を保つためにワルシャワ条約機構を作り上げた。集団的自衛権の行使を理由[2]にハンガリー動乱やプラハの春に軍事介入するなどソ連の制限主権論を実行する役割を担った。民主化運動を牽制する目的もあったとされるソ連史上最大の軍事演習だったザーパド81にも参加した[3][4]。
なお、NATOでは加盟国間での弾薬に互換性を持たせ、軍事活動を円滑化させる目的で弾薬の共通規格化(いわゆるNATO弾の制定)が行われたが、ワルシャワ条約機構では共通規格の制定は行われなかったものの、ソ連製の銃器や弾薬とそのライセンス生産品(改良点のある派生型も含めて)がデファクトスタンダードとなっていた。しかし法規的な制定がないため、チェコスロバキア製のVz 61のような、NATO加盟国製の銃器で使用されている弾薬を用いたものも公式に採用されていた。
1989年の冷戦終結に伴い東欧革命が始まり、1991年2月25日に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月26日にはソ連が崩壊した。
名称
ワルシャワ条約機構
Организация Варшавского договора
Pakti i Varshavës
Վարշավայի պայմանագրի կազմակերպություն
Varşava Müqaviləsi Təşkilatı
Варшаўскі дагавор
Варшавски договор
Varšavská Smlouva
ვარშავის პაქტი
Warschauer Pakt
Varssavi Lepingu Organisatsioon
Varsói Szerződés
Варшава келісімі ұйымы
바르샤바 조약 기구
Варшавa келишими уюму
Varšuvos sutarties organizacija
Varšavas Pakts
Варшавын гэрээ
Układ Warszawski
Pactul de la Varșovia
Organizácia Varšavskej zmluvy
Шартномаи Варшава
Warşawa şertnamasy
Варшавський пакт
Varshava shartnomasi tashkiloti
加盟国

赤 : ワルシャワ条約機構加盟国
一覧
ソビエト社会主義共和国連邦
ブルガリア人民共和国
ルーマニア社会主義共和国
ドイツ民主共和国(東ドイツ)(1990年9月24日脱退)
ハンガリー人民共和国
ポーランド人民共和国
チェコスロバキア社会主義共和国
アルバニア人民共和国(1968年9月13日脱退)
モンゴル人民共和国(オブザーバー)
朝鮮民主主義人民共和国(オブザーバー)
備考
- 地理的に近いユーゴスラビアは、第二次大戦中ほかの東欧諸国と異なりソ連による支援は限定的なものにとどまり、自力でドイツに抵抗して解放を成し遂げた。1953年にはギリシャやトルコとの間で軍事協定バルカン三国同盟を結んで事実上NATOの間接的な同盟国となっており、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(チトー主義)。
- アルバニアは中ソ対立の際に中国寄りの姿勢をとり、1962年事実上脱退。1968年、ワルシャワ条約機構軍のチェコスロバキア侵攻に抗議して正式に脱退した。
- 東ドイツは1956年3月1日に加盟、1990年10月3日のドイツ再統一(より厳密には東ドイツの連邦加盟、事実上は西ドイツによる東ドイツ編入)に伴い、旧東ドイツ区域もNATOの適用領域になる。
- 旧ソ連以外の旧加盟国は、2009年までにすべてNATOに加盟した。ソ連構成共和国のうちバルト三国も2004年にNATOに加盟している。また、2007年までに旧ソ連とアルバニアを除く旧加盟国が欧州連合(EU)に加盟した。ソ連構成共和国のうちバルト三国も2004年にEUに加盟している。
脚注
- ^ “Warsaw Pact”. CRW Flags 2018年8月18日閲覧。
- ^ 松葉真美「集団的自衛権の法的性質とその発達 ―国際法上の議論― (PDF) 」 、『レファレンス』第696巻、国立国会図書館、2009年1月 p. 93-95.
- ^ “5 most impressive and important drills of the Soviet Army”. ロシア・ビヨンド (2018年3月19日). 2019年4月27日閲覧。
- ^ “Russia begins its largest ever military exercise with 300,000 soldiers”. ガーディアン (2018年9月11日). 2019年4月27日閲覧。
関連項目
- 神聖同盟 - 同様にヨーロッパの自由主義運動に介入したロシア主導の同盟
- ワルシャワ条約 - 1955年にワルシャワ条約機構を成立させた条約。ソビエト連邦崩壊直前の1991年7月1日に失効した。
- 集団安全保障条約
- 経済相互援助会議
- 北大西洋条約機構
- 上海協力機構
- 欧州安全保障協力機構
外部リンク
ワルシャワ条約機構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 03:21 UTC 版)
ワルシャワ条約機構の機甲戦教義は、ソ連陸軍での発展に多大に影響されている。彼らは第二次世界大戦中に発展した既存の戦闘教義を、核兵器の用いられる戦場にも用いることを追求した。こうした動機は、1960年代初期、機甲部隊とそれを支援する兵科にとり、いくつかの重要な発展に至った。その一つは第二次世界大戦で投入された機械化騎兵グループが、冷戦では作戦機動グループへと移行したことである。この部隊はNATOの防御を深く貫通し、その突破を利用するために構想された。これは、1930年代にまでさかのぼる縦深戦術理論の最高点であった。 1964年、戦車設計上の重要な進展がソビエト連邦で達成された。T-64は、初めて自動装填装置を採用して量産されており、戦車の搭乗員数を3名に減らした。この型式の車輌の後、T-72後期型とT-80戦車はさらに変革をもたらした。それは誘導ミサイルを戦車砲弾に混載し、通常の戦車砲から対戦車誘導弾を撃ち出すことを実現したもので、機甲戦に影響を与えた。ソビエト連邦はまた、二種類の主力戦車を運用する国家の一つであった。高性能のT-80と、より低性能なT-72である。現代的なソ連戦車は125mm滑腔砲を典型的に備えている。ソ連戦車の向上には射撃管制装置、ERAによる強固な装甲防御、および防御用迎撃装置、例としてはShtora-1やArenaのような装備が含まれる。冷戦終了までに生まれた最も先進的なソ連戦車はT-80Uである。この車輌はM1A1と同様、ガスタービンエンジン、進歩した射撃管制装置、強固な装甲、そして火力という特徴を共有する。 歩兵戦闘車は1960年代にソビエト連邦のBMP-1として初めて開発され、核兵器の使用が予想される戦場で、戦車を随伴させての歩兵支援を最初に可能なものとした。T-64とBMP-1は、自走砲部隊や、より重要なことにMi-24戦闘ヘリコプターとも連携した。1970年に量産に入ったこの回転翼機は対戦車ミサイルを発射でき、フライング・タンクとして理論が考案された。 ソビエト連邦内部で知られているソ連軍戦車部隊とは、機甲部隊、装甲訓練連隊、および各種組織と部隊を含むものである。
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