後期型 (LATE TYPE)
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「モビルスーツ」の記事における「後期型 (LATE TYPE)」の解説
パイロット保護のため、コックピット周りが変更されている。前腕部はアタッチメント式になっており、さまざまな専用作業パーツへの換装が可能。マッシュが搭乗する機体と、青いランバ・ラル機によって格闘実験がおこなわれる。
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後期型(ロングレイル)
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前期型の成功により受注が増えたCz75は、生産性を上げるためにいくつかの変更を行った。便宜上2ndモデルとも呼ばれる。カナダ輸入モデルはエナメル塗装仕上げになっており、輸入代理店の名からバウスカ・モデルとも呼ばれる。 製造過程を削り出しからインベストメント鋳造(精密鋳造)へ変更し、これによる強度の低下のため、スライドとフレームの形状を若干変更している。また、グリップパネルは人間工学的に優れたデザインに変更。他にも前期型にはなかったハンマーのハーフコックポジションが追加された。これに伴い重量もやや増加し、デザインも多少変化している。また、これ以降に登場したモデルは後期型のデザインを基にしたものとなっている。 東欧民主化後、チェコスロバキアからチェコ共和国へと製造国の政治形態は変化したが、Czで生産は続けられ、世界市場に向けてさまざまなバリエーションが作られている。
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後期型(1998年~2000年)
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「JB470」の記事における「後期型(1998年~2000年)」の解説
JB470セピア(1998年~モデル)室内レイアウトは初期型を踏襲したもので室内トーンを木目系に変更したものである。装備面では冷蔵庫が3wayから12Vオンリーの1wayにかわり、外部水シャワーはシンクのシャワーヘッドに、トイレルームはマルチルームとなりカセットトイレはオプションとなっている。 JB470室内トーンは木目系で室内レイアウトが大幅に変更されている。装備面でもラジエーター熱交換による温水設備が追加されて、マルチルームに室内温水シャワーが使用できる。シャワーヘッドとシンク一体型2口ガスコンロと冷蔵庫は削除される。そのかわり助手席側後部に外部収納が追加される。シートはサードシート部がFASPからマット式の組み換え式にかわり、横向き一人用ベッドとしても活用できる。
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後期型(コキ8555-コキ8834)
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「国鉄コキ5500形貨車」の記事における「後期型(コキ8555-コキ8834)」の解説
比較試験の結果を踏まえ、1970年(昭和45年)に汽車製造、日本車輌製造(輸送機工業とのグループ製作)にて製作された区分である。ブレーキ装置は ARSD 方式、台車は TR211A 形の枕ばね・オイルダンパ取付方向を変更した TR216A 形を採用した。 ※後にほとんどの車両がブレーキ装置を改造し、最高速度 95 km/h で走行可能な45500番台に改造された。改造の詳細については後述する。
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後期型(シリーズ3・1980年-1984年)
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「フィアット・131」の記事における「後期型(シリーズ3・1980年-1984年)」の解説
1980年には再び1981年モデルとしてのマイナーチェンジを受けた。131レーシングは中止され、セダンのスーパーミラフィオーリにも1,995cc DOHCエンジンが装備可能となった。外観上はフィアットの新しい丸いエンブレム(操業当初の形を意識したもの)が、4つの平行四辺形の旧デザインのものに代わってフロントグリル中央に付けられ、CL以上のモデルには太いラバーのプロテクターが車体下部に張り巡らされたことが新しい。また、下位モデルのエンジンはSOHCに改められ、リトモと同じ1,367cc 70馬力、1,585cc 85馬力に変更された。 1981年にはレーシングに代わる2ドアのスポーツモデルとして「131ヴォルメトリーコ・アバルト」が登場した。アバルトが設計したスーパーチャージャーが与えられたエンジンは140馬力となり、1970年代の「131 アバルト・ラリー」に匹敵する出力を得た。同じエンジンはランチア・ベータのセダン(トレヴィ)・クーペにも用いられた。 シリーズ3の時代には日本のフィアット総代理店が再びチェッカーモータース・ジャクスに変わり、両社はリトモ・アバルト130TCなどのアバルト系の小型スポーツモデルを主力に販売したため、131の正規輸入は途絶えた。「131ヴォルメトリーコ・アバルト」は並行輸入で少数が上陸した。 1983年、前輪駆動のリトモをベースにした3ボックスセダン・レガータが登場するとセダンがまず生産中止となり、1985年にレガータのワゴン版「ウイークエンド」が誕生するとワゴン版も消滅した。
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後期型(1999年-2002年)
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「トヨタ・マークIIクオリス」の記事における「後期型(1999年-2002年)」の解説
1999年8月にマイナーチェンジが行われ、前後デザインの一部変更と専用内装色やオートレベリング付きHIDヘッドライト装備のスポーティ仕様「ツアラーエディション」が追加される。同時に3LエンジンのVVT-iの採用や2.5LエンジンにもECT-iEが拡大(以前は3Lエンジンのみ)される等機能の充実が施される。 2000年8月、平成12年基準排出ガス25%低減を一部グレードで達成(G-LEV)。 2001年12月に生産終了。 2002年1月には後継車としてマークIIブリットが発売に伴い販売終了。それとともに、駆動方式が再びFR(後輪駆動)に変更された。販売期間中の新車登録台数の累計は8万7940台
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後期型(2000年〜)
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「ランドローバー・レンジローバー」の記事における「後期型(2000年〜)」の解説
2000年モデルよりマイナーチェンジ。新マネジメントシステムなどによるエンジンの改良、レイアウトの変更のほか、オルタネーターの容量UP,クリアライトの採用などがほどこされた LP58DおよびLP60Dと分類される。またスロットルヒーターからの冷却水漏れトラブルは後期型とディスカバリー2の共通マイナートラブルとして知られる
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後期型(E-8シリーズ)
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「ルナ計画」の記事における「後期型(E-8シリーズ)」の解説
プロトンロケットで打ち上げられたルナ計画の最後のシリーズで、重量は5トン以上に達した。E-6シリーズと同様に部品の共通化が図られた。 E-8-5 15号、16号、18号、20号、23号、24号で使用。コスモス300号と305号もこの型式に当たる。月土壌のサンプルリターンを計画していた。有人月面着陸に先駆けて、月面の土壌に有害な未知のバクテリアがいないかどうかを調べる目的もあった。また、月面に残される着陸機下部は、全自動操縦である有人月面着陸機を誘導する、位置信号を発するビーコンとして機能する予定であった。16号、20号、24号が成功を収めている。 E-8 17号と21号で使用。無人月面車「ルノホート」搭載。有人月面着陸候補地点の詳細な探査を目的とする。17号21号ともに月面への着陸に成功し、それぞれ15km、37kmを走破した。ルナ17号に搭載されたルノホート1号は世界で初めての月面車だった。 E-8-LS 19号と22号で使用。重量5.6トンの大型月孫衛星。有人月面着陸候補地点の詳細調査、および、全自動操縦で行われる有人月面着陸のための、重力分布データ収集などを目的とする。22号は、高度が航空機並みの16kmの円軌道であった。 E-8-6(中止) 生命維持装置と、有人月面着陸船を誘導する位置電波発信機を備えた無人月面車。有人月面着陸の1ヶ月前に打ち上げられ、有人月面着陸予定地点に着陸し、有人着陸に安全な場所を探して停止する。続いて打ち上げられる有人月面着陸船はE-8-6の近傍に全自動操縦で着陸し、月飛行士はE-8-6月面車に乗車して運転する予定であった。
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後期型(2014年-2019年)
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「ルノーサムスン・SM3」の記事における「後期型(2014年-2019年)」の解説
2014年4月24日 - エクステリアを大幅改良すると同時に、車名に「Neo」のサブネームを追加。フロント周りは兄弟車種であるフルエンス同様に両側のヘッドランプをグリルで繋いだ連続感のあるデザインとし、加えて、バンパー内にはデイライトを内蔵し、クロームベゼルを採り入れることで洗練さをアピール。また、LEとREのリヤにはLED内蔵の新造形のリヤコンビネーションレンズを採用して視認性と先進性をアピールしている。エンジンはH4Mのままだが、CVTのセッティングを見直したことで燃費が向上。ヒルスタートアシスト(HSA)や前方警報装置も新たに採用して安全性も向上した。 2014年11月3日、中間グレード「SEプラス」をベースに、17インチアルミホイールや内外装パーツにレッドのアクセントを加えた「R4U(=Red for You)エディション」を設定。ボディカラーはクリムゾンレッドとブラックから選択可能。尚、SM5のR4Uエディションも同日、同時に発表された。また、既存グレードも改良され、全グレードにおいて車体姿勢制御装置(ESC)、スロープジャングル防止装置(HSA)、タイヤ空気圧自動検出システム(TPMS)が標準装備となった。 2015年4月1日、小改良で2016モデルに移行。ナビゲーションシステムをSM7やSM5に搭載された「スマートミラーシステム」に進化。また、「R4U」「SEプラス」を廃止し、代わって「LE」を復活設定したことでグレードは「PE」「SE」「LE」「RE」の4種となった。 2016年1月4日、1.5Lディーゼルエンジン「dCi」搭載車を追加。トランスミッションはSM5やQM3同様にゲトラグ製の6速DCTが採用される。グレードは「SE」「LE」の2種。 2019年12月、販売終了(Z.E.は継続販売)。 RE フロント(前期型) LE リヤ(前期型) RE インテリア(前期型) 兄弟車種のルノー・フルエンス 中期型 LE フロント 中期型 LE リヤ
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後期型(韓国名:ニューEFソナタ 2001年-2004年)
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「ヒュンダイ・ソナタ」の記事における「後期型(韓国名:ニューEFソナタ 2001年-2004年)」の解説
2001年1月にマイナーチェンジ。通称「ニューEFソナタ」。派生車種にSUVのサンタフェがある。 2003年-2004年の上半期頃にかけて日本に導入するという計画もあったようだが、実現しなかった。 このモデルから中国法人、北京現代汽車有限公司でも生産が開始された(漢字では「索納塔」と表記される)。 当初マイナーチェンジ版として開発が進められていたモデルは、経営破綻によって現代自動車傘下となった起亜自動車の旧態化したクレドスの後継モデルの「オプティマ」として登場した。 中国においては2009年4月にこのモデルの2度目のビッグマイナーチェンジモデルが「BT01」の名称で発表された。後にこのモデルとは名驭MOINCA ソナタの名称で発売された。2011年3月現在の中国ではEF系、YF系の2世代のソナタが併売されていた(ただし北京ヒュンダイのサイトを見る限り、2018年11月現在はLF系1.6/2.0ターボ、HV、PHEVのみである。)。またパトカーとしても利用されている。
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後期型(eマイティ、2004年-2015年)
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「ヒュンダイ・マイティ」の記事における「後期型(eマイティ、2004年-2015年)」の解説
2004年9月、大幅改良されて「eマイティ」として発売された。外観は姉妹車のキア・パマックスをベースにエンブレムなど小規模な変更を加えたものとなった。一方、パマックスの販売は打ち切られ、キアのトラックはボンゴのみとなった。また、内装もダッシュボードが変更を受けた。 なお、全幅の狭いナローボディ版は外観の変更を受けず、マイティQTと改名して継続販売された。 より厳格化された排ガス規制に対応するべく、エンジンはD4GA型3.9Lターボディーゼルに換装された。当初は147PSを発揮し、後に150PSに引き上げられた。また、さらなる軽量化が行われて最大積載量が3.8トンの積載量を可能とした。 2012年、車名を再び「マイティ」に戻した。
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後期型(0088年3月~)
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「Ζガンダム」の記事における「後期型(0088年3月~)」の解説
第一次ネオ・ジオン戦争初期の0088年3月に行った最後の改修後の仕様。フライングアーマーをFXA-01C型に更新し、胸部サイズや腕部フレームをZプラス仕様に変更、スカートアーマーはジェネレータ出力の強化や大型化、脚部はジェネレータの換装とラッチの増設が為された。後に「HG Zガンダム[U.C.0088]」として一部デザインを変更したものが商品化されている。
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後期型(P-RU60/63B系)
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「日野・セレガ」の記事における「後期型(P-RU60/63B系)」の解説
ブルーリボン ミドルデッカ(高床III)P-RU638BA 三重交通 1985年、昭和60年騒音規制対応と多様化するニーズに応えるべくフルモデルチェンジ並みの大幅な改良を受ける。ボディスタイルは初期型がRSの流れを汲む直線基調だったのに対し、フロントウィンドがやや寝かされ、全体に丸みを帯びた三菱ふそう・エアロバスの影響を受けたスタイルになった。また、前輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン)サスペンション車が追加され、ブレーキが従来のフルエア式から空気油圧複合式に変更された。車種は標準床が廃止され、従来からのミドルデッカ、フルデッカ以外に、新たにスーパーミドルデッカ(ミドルデッカとフルデッカの中間の車高)とグランデッカ(フルデッカより車高が高いスーパーハイデッカー車、EF750のみの設定)が設定された。エンジンはEF550 (300PS) とEF750 (330PS) がそのまま搭載されている。 ブルーリボン スーパーミドルデッカ(高床II)P-RU636BB 名阪近鉄バス 型式は前期形と同じだが、P-RU638BBと末尾が変化している。なお前輪車軸懸架式はP-RU638BAとなる。製造実績が極めて少ないフルエアブレーキ車はP-RU638CBとなる(ホイルベース6.6m、EF750エンジンの場合。他のエンジン・ホイールベースの場合は数字がそれにあわせて変化する)。 ミドルデッカ(高床III)はもっとも車高の低い車種で、車内にホイルハウス張り出しが残るなど、実質的には標準床に近い。サスペンションは前輪車軸懸架式で、エンジンはEF550搭載車が多く、EF750搭載車は少ない。ただし若干前輪独立懸架式も見られる。 スーパーミドルデッカ(高床II)は日野独特の車種で、前輪独立懸架式となる。エンジンはミドルデッカとは異なり、EF750搭載車が多く、EF550搭載車は少ない。このモデルにおいて主に上高地に乗り入れに用いられる11m車(P-RU636BB形)が多数見られる。 フルデッカ(高床I)は他社のハイデッカーに相当する車種である。エンジンは基本的にEF750搭載車のみと思われる。また車体長は12m車(ホイルベース6.6m)が多いが、11.5m車(ホイルベース6.2m)もある。 ブルーリボン フルデッカ(高床I)P-RU638BB 名阪近鉄バス グランシリーズ(超高床)は他社のスーパーハイデッカーに相当する車種である。全てエンジンがEF750搭載車で、全長12m車である。 グランデッカは国産初の型式承認を得た2軸スーパーハイデッカーである。 グランジェットは1987年に改造扱いで設定した前面上下2分割窓の低運転席構造のスーパーハイデッカである。 グランシアターは1986年に設定され、前部から後部へ傾斜床を採用するシアターシート構造が特徴である。全高は、ほぼグランデッカ、グランジェットと同じである。なお同車種は非常に生産実績が少ない。 ブルーリボン スーパーミドルデッカP-RU608BB阿寒バス ブルーリボン スーパーミドルデッカP-RU638BB祐徳バス ブルーリボン後期型フルデッカP-RU638BB改(直結クーラー車)東京空港交通 ブルーリボン後期型フルデッカP-RU637BB伊予鉄バス ブルーリボン後期型フルデッカP-RU638BB東日本急行 ブルーリボン グランデッカ 夜行高速バス仕様P-RU638BB日ノ丸自動車 ブルーリボン グランデッカP-RU638BB阿寒バス ブルーリボン グランジェットP-RU638BB道北バス ブルーリボン グランシアターP-RU638BB改熊野交通 ブルーリボン グランシアターP-RU638CB改(フルエアブレーキ車)白濱観光バス 1988年にはスイング式の乗降扉に1枚窓風のより曲線的なデザインとしたものが追加された。 1990年にブルーリボンRU60/63系の観光バスシリーズは、セレガにモデルチェンジする形で生産終了し、ブルーリボンは以後路線バス専用の名称となる。 セレガシリーズに準じ、ミドルデッカをFM、スーパーミドルデッカをFS、フルデッカをFD、グランデッカをGD、グランジェットをGJ、グランシアターをGTと呼ぶ場合が多い。 なお日野車体のほか、富士・西工ボディでも製造された。 P-RU638BB富士重R3銀嶺バス P-RU638BB富士重HD-I三洋観光バス P-RU638BB富士重HD-I阿寒バス P-RU638BB富士重HD-II茨城交通 P-RU638BB西工58MC C-I西日本鉄道 P-RU638BB西工58MC C-II大分バス P-RU638BB西工58MC SD-I芸陽バス
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後期型(1974年 - 1976年)
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「国鉄485系電車」の記事における「後期型(1974年 - 1976年)」の解説
後期型MM'ユニット新製時車両番号一覧モハ485モハ484207 309 ↓223 325 224 603 ↓228 607 229 326 ↓248 345 249 608 ↓255 614 1974年から製造されたグループ。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、以下の設計変更・改良が行われた。 クハ481形は貫通扉を廃止した結果新たに300番台の番台区分を実施。車体長を250 mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250 mmとなり、同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。 200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。 列車名表示器は大型長方形で側面方向幕連動の電動式に変更。 342・348・350の3両は後述の3000番台改造を施工。 他形式の車両番号は中期型からの続番。MM'ユニットはモハ485-207+モハ484-309からとされたが、本グループではモハ484形600番台が1974年と1975年にわけて製造されたことから右表に示す車番組合せとなった。 台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形。クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更。 普通車座席を従来のT-17系回転クロスシートからR-51系簡易リクライニングシートに変更。 1975年製造車より側面ドアコック蓋・非常口ハッチをユニット式に、電動車については妻面の冷却風取り入れダクトの形状も変更。 一部車両で循環式汚物処理装置準備工事を施工。 以後に製造された1000・1500番台は基本的にこのグループの同期製造車の仕様を踏襲する。 クハ481-322 モハ484-605 クハ481形 (301 - 354) 200番台ベースのデザインであるものの分割・併合を伴う運用の必要性を欠き隙間風などに問題のあった貫通路の廃止と運転室の居住性改善など設計変更による区分で1974年以降に製造された。 2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車され区分消滅。 モハ484形 (309 - 345・603 - 614) 600番台は青森・仙台に新製配置後分割民営時までに各地に転配され、603がJR東日本に、604以降はJR西日本に承継された。 モハ485形 (207 - 255) 229は1990年3月18日の「にちりん47号」運用中に踏切事故で受けた床の大きな損傷から復旧に際し保留車となっていた23から車体を流用したため冷房装置がAU12形6基の異端車となった。 サハ481形 (15 - 19) 15が仙台運転所に配置されたが、16 - 19は「雷鳥」「しらさぎ」増結用として金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置された。 1978年の東北地区3MG化でサハ481形100番台を捻出する必要性から15は車両交換、16 - 19は転出車補填の形で向日町運転所へ集中配置となったが、1984年以降は先頭車化改造の種車となった。 サハ481形 (101 - 118) 1976年に製造された付随車。基本番台から後位側に車販準備室・業務用室を設置する設計変更により定員が8名減の64名となり番台区分された。 新製時は向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CP設置準備工事が施工されていたことから、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。 110・111の2両はクハ182-1・2に改造されたが、1985年3月ダイヤ改正で残りの16両全車が向日町集中配置となった。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。108・109の2両が1998年に廃車されて区分消滅した。 サロ481形 (104 - 133) 本グループは国鉄時代に改造された車両も含め分割民営化時には全車車籍を有したほか、制御車化された車両はクロ480-15に改造された130のみで唯一のJR九州承継車でもある。残りの29両はJR東日本とJR西日本が承継しており、以下の改造例がある。 1975年に「つばさ」本系列化名義で製造された115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CP搭載・前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった当初から1000番台改造を前提にした仕様変更が実施されており、1978年に1051 - 1056へ改造。またJR東日本継承後に2両がサロ489形1050番台に、1両がサハ481形300番台へ再改造。 JR西日本が承継した121・133は1997年にサハ481-502・503へ改造。 グリーン車のまま183・189系化改造を施工された車両が5両存在する。このうちサロ189形改造車3両とサロ183形改造車1両は1989年にサハ481形300番台へ改造され再び本系列化したほか、126・129が本形式から直接サハ481-301・302へ改造された。 国鉄時代にサロ183-1053へ改造された112は、JR東日本継承後の1988年に本形式へ復元ならびに原番号復帰と同時に座席を2+1などにするグレードアップ改造を施工。またグレードアップ改造は105 - 107・114・124・125にも施工されたが、106は1998年に、107は1997年に3000番台化リニューアル改造により3106・3107へ改番。 原型車はJR西日本が承継した118の2005年12月廃車で消滅。JR東日本では3106・3107が2005年に運用変更で保留車となりならがも車籍を有していたが、2008年10月30日付で廃車となり本形式は廃形式となった。 サシ481形 (73 - 76) 国鉄の在来線用食堂車ならびにサシ481形としてサシ489-9 - 12と共に最終製造ロットである。73・74は1985年にサロ481-506・507へ改造施工され民営化時にはJR西日本へ継承。75・76は1979年に1000番台対応改造を施工後1986年3月31日付で一旦廃車。分割民営化直前の1987年3月に車籍復活の上でスシ24 502・503へ改造され、JR北海道へ継承された。 クハ481-301 - 354製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛川崎重工業日立製作所1974 向日町 301・302・304 金沢 303・305306・308 307・310 仙台 312・314 1975 青森 332 - 337 311・313・315 342 金沢 318 - 327 343・344 仙台 328 - 331 316・317 338 - 341 1976 青森 345 - 352 仙台 353・354 モハ484形後期型製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛川崎重工業日立製作所1974 仙台 309・310 603 - 607 向日町 311 - 315 金沢 316 - 322 323 - 325 1975 青森 610・611 仙台 608・609 金沢 329 - 336 343 - 345 南福岡 337 - 342 326 - 328 1976 青森 612 - 614 モハ485形後期型製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛川崎重工業日立製作所1974 仙台 207・208 224 - 228 向日町 209 - 213 金沢 214 - 220 221 - 223 1975 青森 251・252 仙台 249・250 金沢 232 - 239 246 - 248 南福岡 240 - 245 229 - 231 1976 青森 253 - 255 サハ481-15 - 19・101 - 118製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛川崎重工業日立製作所近畿車輛1974 仙台 15 金沢 16・17 18 1975 19 1976 向日町 101 - 113 南福岡 114 - 118 サロ481-104 - 133製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛川崎重工業日立製作所1974 仙台 114 金沢 108 - 111 112・113 向日町 104 - 107 1975 青森 130 秋田 122・123 115・116 127・128 仙台 124・125 126・129 金沢 117 - 121 131・132 1976 青森 133 サシ481-73 - 76製造メーカー別分類製造年次新製配置日立製作所東急車輛1974 向日町 73・74 金沢 75 仙台 76
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後期型(1974年 - 1979年)
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クハ489形300番台JR化後の白山色塗装 サロ489-25 サシ489-9 1975年3月10日ダイヤ改正で金沢運転所では、「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用を向日町から移管により担当となることから、485系との共通予備車とする目的から1974年に製造された485系300番台に対応するグループ。普通車座席を簡易リクライニングシートにしたほか、以下の設計変更が実施された。 クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を+400の700番台に区分。また700番台は600番台と同様の理由でCPを2基とし、300番台も含めて床下搭載としたことから助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く外見上からクハ481形と判別が可能である。全車JR西日本に継承され、300番台は2004年の303廃車で、700番台は2010年9月の702廃車で廃区分番台となった。 中間車の車両番号は中期型から続番でるためMM'ユニットはモハ489-31+モハ488-216 - モハ489-42+モハ488-227の12組24両で、民営化時には以下に継承された。 JR東日本:モハ489-31+モハ488-216 - モハ489-33+モハ488-218・モハ489-35+モハ488-220 - モハ489-40+モハ488-225 JR西日本:モハ489-34+モハ488-21・モハ489-41+モハ488-226・モハ489-42+モハ488-227 サハ489形は1985年に9・11が他形式へ改造、10・12は向日町運転所へ転出しJR西日本に継承されたものの保留車扱いで1991年12月1日付で廃車 サロ489形は21・22・24が1986年にサロ110形へ改造されJR東日本に継承されたほか、23・25 - 28は金沢配置のままJR西日本に継承された。 サシ489形は9が1986年に余剰廃車。10 - 12は1978にサシ481形へ改造されたものの12はサシ489-83として1982年に本形式へ復元。1985年以降は保留車となるが、1987年3月に北長野運転所へ転出しJR東日本へ継承。1988年2月にスシ24 506へ改造された。 489系後期型製造メーカー別分類形式製造年次予算東急車輛近畿車輛日立製作所モハ489 1974 48年第3次民有 35 - 37 31 - 34 48年第1次債務 38 - 40 48年第2次債務 41・42 モハ488 48年第3次民有 220 - 222 216 - 219 48年第1次債務 223 - 225 48年第2次債務 226・227 クハ489 48年第3次民有 303・703 301・302・701・702 48年第1次債務 304・704 サロ489 48年第3次民有 23・24 21・22 48年第1次債務 25 - 27 48年第2次債務 28 サハ489 48年第3次民有 10 9 48年第1次債務 11・12 サシ489 48年第3次民有 10 9 48年第1次債務 11 48年第2次債務 12
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