後期国分僧寺跡とは? わかりやすく解説

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後期国分僧寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 14:40 UTC 版)

近江国分寺」の記事における「後期国分僧寺跡」の解説

詳細は「国昌寺 (大津市)」を参照 弘仁11年820年以降近江国分寺後期近江国僧寺)については、国昌寺寺格継承したことが知られる。現在は廃寺のため所在地明らかでないが、滋賀職業能力開発促進センターポリテクセンター滋賀大津市光が丘町北緯3458分22.80秒 東経135度54分0.91秒 / 北緯34.9730000度 東経135.9002528度 / 34.9730000; 135.9002528 (ポリテクセンター滋賀国昌寺跡(後期近江国僧寺跡)推定地))座標: 北緯3458分22.80秒 東経135度54分0.91秒 / 北緯34.9730000度 東経135.9002528度 / 34.9730000; 135.9002528 (ポリテクセンター滋賀国昌寺跡(後期近江国僧寺跡)推定地)))付近に推定される。現在は晴嵐小学校内に石碑建てられているほか、周辺では国分寺ものとい礎石伝世される。 なお、現在では国昌寺推定地北方曹洞宗国分寺大津市別保)があるが、これは元は近江国分寺別所として建立され寺院という。源義仲木曾義仲)の戦乱焼失したのち本尊若宮八幡神社移されていたが、宝永3年1706年)に膳所藩主の本多康慶新楽寺として建立、のちに国分寺改称している。

※この「後期国分僧寺跡」の解説は、「近江国分寺」の解説の一部です。
「後期国分僧寺跡」を含む「近江国分寺」の記事については、「近江国分寺」の概要を参照ください。

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