820年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 10:17 UTC 版)
千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: | 800年代 810年代 820年代 830年代 840年代 |
年: | 817年 818年 819年 820年 821年 822年 823年 |
820年(820 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。

他の紀年法
カレンダー
できごと
- 2月 - 遠江・駿河両国の新羅人700人が反乱を起こす(弘仁新羅の乱)[要出典]。
- 4月 - 藤原冬嗣ら弘仁格式完成。(830年施行)
- ペルシアの数学者アル=フワーリズミー、『イルム・アルジャブル・ワル・ムカバラ』を刊行。「代数」(algebra)という言葉の原点とされる。
- 東ローマ帝国皇帝レオーン5世暗殺、ミカエル2世が皇帝となる。
誕生
死去
脚注
注釈
出典
関連項目
「820年」の例文・使い方・用例・文例
- 米国の奴隷制度支持派と奴隷制度反対派の間の1820年の合意で、新しい地域への奴隷制度の拡張に関するもの
- ローマカトリック教会の旧裁判所(1232年−1820年)で、異教を発見して抑圧するために創設された
- 米国の婦人参政権論者(1820年−1906年)
- 英国の植物学者で、太平洋への最初の航海でキャブテン・クックに同伴した(1743年−1820年)
- 米国の出版者、編集者で、身近な引用集を編集した(1820年−1905年)
- 米国の海軍士官で、英雄的行為で知られる(1779年−1820年)
- 社会主義者で、1848年にカール・マルクスとともに共産主義宣言を書いた(1820年−1895年)
- 1760年から1820年までグレート・ブリテンとアイルランドの王
- 1820年から1830年までグレート・ブリテン、アイルランド、ハノーヴァーの王(1762年−1830年)
- スウェーデン人のソプラノ歌手で、P.T.バーナムの管理の下で米国のツアーを行った(1820年−1887年)
- 米国の婦人参政権論者(1820年−1905年)
- カナダの探検家(イングランド生まれ)で、マッケンジー川を探検し、北メキシコを通り北アメリカを初めて横断した(1764年−1820年)
- 英国の看護師で、クリミア戦争のときの功績で知られる(1820年−1910年)
- 英国の哲学者、社会学者で、人間社会に自然選択説を適用した(1820年−1903年)
- 英国の漫画家(1820年−1914年)
- 米国の奴隷廃止論者で、メリーランドの農園で奴隷として生まれ、奴隷亡命組織の有名な指導者なり、北部で他の奴隷を自由に導いた(1820年−1913年)
- イタリアの王で、ベニスとローマを取得することによってイタリアの統一を終了した(1820年−1878年)
- 英国の画家(アメリカ生まれ)で、第2代英国美術院の総長になった(1738年−1820年)
- 1820年から1829年までの10年間
- 英国皇太子がジョージ3世が心神喪失であった期間の間の摂政であった1811年から1820年までの期間
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