憲徳王とは? わかりやすく解説

憲徳王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 06:04 UTC 版)

憲徳王(けんとくおう、生年不詳 - 826年)は、新羅の第41代の王(在位:809年 - 826年)であり、姓は金、は彦昇[1]。父は第38代元聖王の元太子の金仁謙(昭聖王により恵忠大王と追封)、母は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人(昭聖王により聖穆太后と追封)。王妃は角干の金礼英(金仁謙の弟、神武王により恵康大王と追封)の娘の貴勝夫人[2]809年7月に甥の哀荘王を殺害して、自ら王位に就いた。


  1. ^ 三国遺事』王暦では諱は彦升と記される。
  2. ^ 『三国遺事』王暦では、礼英角干の娘の貴勝とし、皇娥王后と諡されたと記す。
  3. ^ 井上1972 p.235
  4. ^ 唐の同姓不婚の風習を考慮して別姓を名乗ることとなったもので、王妃は礼英角干(1等官)の娘であり、兄弟(均貞、憲貞)の輩行字の影響からか、貞氏としている。哀荘王の脚注も参照。
  5. ^ 井上秀雄1972 p.236.
  6. ^ 日本後紀』巻二十五(逸文)嵯峨天皇弘仁七年(816年)冬十月:「甲辰。大宰府言、新羅人清石珍等一百八十人帰化。」
    同八年(817年):「二月乙巳。大宰府言、新羅人金男昌等卌三人帰化。」
  7. ^ 井上秀雄1972 p.238.


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