基臨尼師今とは? わかりやすく解説

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基臨尼師今

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 02:20 UTC 版)

基臨尼師今
各種表記
ハングル 기림 이사금
漢字 基臨尼師今
発音 キリム・イサグム
日本語読み: きりん・にしきん
ローマ字 Girim Isageum
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基臨尼師今(きりん にしきん、生年不詳 - 310年)は、新羅の第15代の王(在位:298年 - 310年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の孫であり、父は伊飡(2等官)の昔乞淑[1]、母の名は伝わらない。『三国史記』新羅本紀・基臨尼師今紀の分注及び『三国遺事』王暦では基立(尼師今)とも記される。

治世

300年1月、倭国と使者を交わし、3月には楽浪・帯方[2]の2国が帰服してきた。

307年、国号を新羅に戻した[3]

在位13年にして310年6月に死去した。埋葬地は伝わらない。

脚注

  1. ^ 『三国史記』新羅本紀・基臨尼師今紀の分注では、乞淑が助賁尼師今の孫であるともいう。
  2. ^ ここでいう楽浪・帯方は後漢西晋の郡ではなく、国名であり、黄海北道鳳山郡文井面と沙里院邑とに比定する説が有力とされる。(→井上訳注1980 p.66)
  3. ^ 新羅本紀・基臨尼師今10年(307年)条に「復国号新羅。」とあるが、基臨尼師今までの新羅本紀においては、始祖赫居世居西干即位紀において「徐那伐」と号し(紀元前57年)、第4代脱解尼師今金閼智を得たとき(64年)に「鶏林」と号したことが見えるのみである。第17代奈勿尼師今の時代に前秦に朝貢してからは「新羅」が国際的に通用する国号となったと見られているが、第22代智証麻立干の時代にも国号を「新羅」と定めたという記事が見える。

参考文献





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