奈勿尼師今
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奈勿尼師今(なもつ にしきん、生年不詳 - 402年)は、新羅の第17代王(在位:356年 - 402年)であり、姓は金氏。
- ^ 『三国史記』によれば麻立干の号は19代訥祇麻立干からのこととするが、『三国遺事』では奈勿尼師今から麻立干の号を用いたように記している。『太平御覧』に見られる「新羅王楼寒」の表記のうち「楼寒」は「奈勿」に相当するものである。
- ^ 「斯羅國、本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅、宋時曰斯羅、其實一也。或屬韓或屬倭、國王不能自通使聘。普通二年、其王名募秦、始使隨百濟奉表献方物。其國有城、號曰健年。其俗與高麗相類。無文字、刻木為範、言語待百濟而後通焉」(『諸番職貢圖巻』)
- ^ 前秦への朝貢について377年および382年とするのは『太平御覧』の記年に従う。同書の記事を参考にしたと見られる『三国史記』新羅本紀では、単独朝貢を奈勿尼師今の26年(381年)のこととしているが、377年の朝貢記事を記していない。
- ^ 「r」の発音は「n」に変化することがあり「奈勿」が「楼寒」と記されているが同一人物である。
- ^ 奈勿尼師今には長子の訥祇(後の訥祇麻立干)、卜好(別名として宝海)、未斯欣(別名として美海、未叱希、未叱喜、微叱許智)があって、第3子の未斯欣(美海)が倭国に人質として送られたのが『三国史記』では実聖尼師今元年壬寅(402年)、『三国遺事』では奈勿尼師今36年辛卯(391年)であり、そのときに10歳であったとする。『広開土王碑』によれば、倭国が新羅を攻めて服属させたのが「辛卯年(391年)」であるため、未斯欣が人質として日本に送られた記年は『三国遺事』のほうが妥当であると考えられる。
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- 2 奈勿尼師今の概要
- 3 参考文献
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